16年ぶりの再会:教え子が運んでくれた幸せ | はったブログ

16年ぶりの再会:教え子が運んでくれた幸せ

 ポーランドからの元留学生が無事に帰宅したとメールが届いた、「27年ぶりに再訪でき、日本料理が美味しかった、家族も大満足で、夢が叶って、幸せでした」とあった。この元留学生は国費留学生で2度来日し、在籍した2つの大学で、いずれも僕が受け入れ教員を務めた人である。母国ではドイツに近い都市にある大学の日本語学科の教員なので、日本語は読み書きも達者である(漢字の読み書きの脳機能研究をやっていた頃に来た人である)。日本語が丁寧で、振る舞いも今時の若い日本人より日本人らしい人である。

 

 16年前に、家内と一緒にポーランドを訪問したとき以来の再会である。その時、彼女は結婚して2人の子どもがいた。その時は日本大使館に勤めていた彼女の教え子に案内を頼んでくれ、ワルシャワを日本語で観光するなど、ずいぶん良くしてもらった。

 

 今回は夫と子ども2人を伴い、一家4人で来日したのである。あの時、連れて行ってもらった城の公園で、歩くのを嫌がっていた4歳の娘が20歳、長男は22歳の大学生になっていた。一家は2週間、日本での滞在を楽しんだ。東京に6日、京都に9日間滞在した。ありがたい時代になったもので、LINEで日本語のやり取りができ、前もって彼女からは「センセイは高齢ですし、私たちは自分たちであちこち旅行できるので気を使わないで欲しいけど、会いたい」ということであった。彼女は関西もよくわかっているので観光地を連れ回る必要はなかった。

 

 16年前の帰り際に、ぜひ日本にいらっしゃいと家内が言った時、とてもとても費用が大変で、と言っていたのを思い出す。家族4人で2週間も日本で遊べるようになったのは円安も後押ししたのだろう。16年前はおそらく日本円が1ドル100円位だったので、当時の僕たちはいい思いをした。今回は逆で、彼女らは日本の物価は安いと言っていた。円安を呪うよりも、一定の時間が流れ、豊かでなかった国が豊かになり、豊かであった国がそうでなくなっていく循環は、「代わりばんこ」に楽しい体験ができるので、今の若い人には気の毒だけど、それなりに悪い話ではないなあと思ったりした。

 京都に滞在中に4人を我が家に呼び、積もる話をした。日本語、英語、ドイツ語、ポーランド語が飛び交う3時間であった。彼女の夫は英語がダメだがドイツ語はOKということで、僕とはドイツ語でのやり取りとなった。彼女がまだ独身の頃に僕は彼女の実家にお邪魔したことがあり、すでに亡くなられたお母さんとカタコトのドイツ語で話したことがあった。その話を彼女が夫に伝えると、皆が無口と思っていた彼が、俄然喋り出した。YouTubeでドイツ語会話をたまに見ていることもあり、2-3割しか理解できなかったが、スーパーで寿司がいくらとか、スキーをやるなどのたわいない内容であった(と思う)。まあ、子供は英語で話すので1人取り残されている思いを彼がしなくてよかったのだったら幸いである。

 

 その後、彼女の希望で駅前の居酒屋で日本料理(創作コース)を食べた。本格的な日本料理とは少し違ったが、4人には珍しかったようで喜んでくれて安堵した。

 

 彼女のメールには27年ぶりに日本に来ることができて幸せだったと書いてあったが、僕も教え子が家庭を作り、幸せに暮らしていることを目の当たりにできて幸せであった。昔、政府が日本の大学に海外からの学生を呼び込む、いろんな施策をした時代があった(日本円が高かった頃である)。しかし、留学生の受け入れを敬遠する教員は少なくなかった。僕は若い時に留学先でお世話になったこともあり、留学希望者を受け入れてきた。何十年も経って、昔の留学生が会いたいと言ってくれる事は、法外な幸せである。昔の記憶が色々と蘇り、脳も元気になったように思える。

 

 先週、20数年前のインドネシアからの留学生が、正教授になったと知らせてき、来年2月に来日するので会いたいと言ってきた。若者が立派になって会いに来てくれることを経験できる年寄りはそれほど多くは無いだろう。振り返れば、教員は給料が安かったが、こういう楽しい経験は会社員ではむずかしかろうと思う。

 

 先月は、車をぶつけるし、芝刈り機は壊れるし、自室の椅子は老朽化で壊れるなど、不運続きであったが、前立腺の手術をしてちょうど1年が経過した先月中頃から尿漏れの状況が格段に改善した気がする。何より尿漏れを恐れて止めていた自己流体操や、菜園の作業ができるようになった。不運なことばかりが続くわけでもない。

草だらけの土地を耕し、ブロッコリーの苗を植え、サラダ菜の種をまいた。腰への湿布は欠かせない状態ではあるが、なんとなく嬉しい。