訂正と、夏の新生活スタイル
先回に書いた記事の内容に、訂正すべきことができた。
まず、フィッシング詐欺にあった件である。詐欺にあって、楽天カードへの申告手続きの面倒くささを指摘し、その対応内容から、返金されるようには思えないと書いた。ところが、7月13日に26,602円が銀行口座に振り込まれていた。第三者による使用が確認できたというメールも来た。したがって、僕の思い過ごしでカード会社を疑っていたことが判明した。嬉しい誤算である。
もう一つは、紛失した印伝のメガネケース(メガネも)についてである。カバンの横ポケットに入っていたのだ。5月に旅行した際に持っていた普段使わないカバンで、十分に探していなかったのである。名古屋での会議に持参したと思い込んでいたので、探す努力を怠ったのだ。全くの記憶錯誤であった。性格的にこの種の傾向があることは、家内から常に指摘されているが、面目ないということになる。
無くしたと思い込んで、新しいメガネを作ってしまったので、金銭的には得をしたことにはならないが、メガネケースが見つかったのは嬉しい。
加齢のせいとは思いたくないが、「人間は思い違いをすることがある」という当たり前の事実を再発見した。
この夏休み(と言っても毎日が休みなので、世間一般の表現を借りてという意味で)は、生活スタイルをいっときだけでも変更しようと考えた。
毎日、パソコン画面に向かい、Excelの表に膨大な縦断データを整理する作業からの逃避である。かっこよく言えば、デジタル・デトックスをしようと企図したのだ。パソコンを開かない、YouTubeや映画などを見たりせず、活字を媒介とする情報入手に変更しようというわけである。
理由の一つは、細かいExcelの数字ばかり見ていると目が霞み、肩や背中が凝って、湿布が必要な状態になってきたことである。そして、部屋の書棚に鎮座したまま、30年ほど目を通していない書籍を何とかせねば、目を通さないまま捨てる羽目になるのはもったいないと考えたからである。先回の記事に書いたように、書棚には昭和50年を記念して講談社が編纂した『昭和万葉集』20巻+別巻、合計21冊の本があるのだ。
『昭和万葉集』というタイトルの通り、専門家が発表した歌だけではなく、新聞などに掲載された一般の人々の歌も拾い集め、古代の『万葉集』と同様の趣旨で編纂されたものである。
なぜ裕福でなかった若い時代にこの全集を購入したのかはよく覚えていないが、父親が短歌の結社に属し、地元の人たちと万葉集の勉強サークルをやっていたことの影響かもしれない。いずれ歌を詠んでみたい、勉強してみようと思った時代があったのかもしれない(実現してはいないが)。
この4週間ほどで、昭和元年から昭和18年ごろまでの5巻に、とりあえずは目を通した。一首一首を丁寧に吟味するというより、ともかく目を通そうとしただけなので、理解が乏しいことは言うまでもない。
しかし、ともかく、昭和初期の日本社会の貧しさ、日中戦争への召集によってもたらされた暮らしの悲惨さ、戦死者の帰還を詠んだ歌の多さが記憶に残った。消耗品としての兵隊を準備するために、子供をたくさん産ませる政策の悲惨さがよくわかった。召集され、若くして志を無惨にへし折られ、亡くなった人たちの無念さが強く心に残った。
この歌集には、それぞれの時代の社会状況についての記載が詳細な注として付されており、貴重な歴史書であると感じた。また、大衆は時代の流れ(威勢の良い軍人や政治家が作り上げるものだが)に、なすすべもなく流されていくものだということも理解できた。
第6巻からは、来年の夏休みに読もうと思っている。
もっとも、デジタル・デトックス生活は、実は3週間が限度であった。情けないことに、パソコンを開き、どうでも良い情報だと思いながらもYouTubeを見てしまったのであります。活字だけの生活にはもう後戻りできないなあと嘆いて、TVで高校野球を見ているこの頃であります。