新年祝賀式――小学生だった頃の元日
長浜市北部の豪雪を伝えるテレビニュースを見て、子どもの頃の雪景色を思い出した。映っていたのは旧余呉村中河内地区で、昔からの豪雪地帯だから特別驚きはしなかったが、生まれ育った旧小谷村でも、雪かきが必要になるほどの雪が降ることは時々あった。
雪が本格的に降り始めると、授業は中断され、全校生徒が講堂に集められて、集団下校になった。長靴のまま体育館に入れるのが、なぜかとても嬉しかったことをよく覚えている。理由ははっきりしないが、普段は掃除のことでやかましく言われていたから、叱られずに土足で入れるという“禁じ手”が楽しかったのかもしれない。
そんな小学生時代の冬の場面を思い出しているうちに、ふと、元日は学校に行っていたのではなかったか、という記憶が蘇ってきた。元日は新年祝賀会があって、れっきとした登校日だったはずだ。「年の初めのためしとて、終わりなき世のめでたさを…」という歌を歌い、みかん(あるいは饅頭だったか)をもらって、すぐに帰る。そんな行事だったように思う。正月は遊びたいのに学校に行かされるのが、子ども心にはあまり嬉しくなかった。
この記憶が本当に正しいのか、急に気になって調べてみることにした。なにしろ70年も前の話である。手がかりは「小谷小学校百年誌」だ。書庫にしまってあるのを覚えていたので、ほこりをかぶった一冊を引っ張り出してきた。奥付を見ると、昭和50年(1975年)発行。僕が30歳の時の記念出版で、賛助金を出した関係で贈られたものだったらしい。
調べてみると、記憶は間違っていなかった。入学した翌年の昭和28年から卒業するまで、1月1日には毎年「新年祝賀会」と記録されている。昭和44年まで掲載がある。
この記念誌には、学校の日誌をそのまま写したと思われるページがあり、日付ごとに行事や出来事が細かく書かれている。抜けている時期もあるが、ツベルクリン反応や回虫駆除まで書いてある年もある。おそらく、記録をつけた先生の几帳面さの違いなのだろう。個人情報などという概念のない時代なので、生徒や先生の名前も普通に出てくる。僕の名前も三か所ほど見つかった。
ページをぱらぱらめくりながら、自分の記憶力に少し満足していると、昭和12年、13年頃から「村葬」の記載が目につくようになる。出征して戦死した人が出るたびに、生徒たちは葬儀に参列していたようだ。昭和19年9月には学童疎開が始まったとあり、高学年の生徒が大阪市北野国民学校の3・4年生100名を高月駅まで迎えに行っている。小学生が歩いて1時間近くかかる距離だ。なぜか、学童疎開児がいたという話を大人から聞いた記憶は、まったくない。
さらに目を引いたのが、昭和20年3月20日付の「満蒙開拓少年義勇隊入隊〇〇君壮行式」という記録だった。8月9日にはソ連が満州に侵攻している。この人はシベリア抑留や引き揚げなど、どれほど大変な目に遭ったのだろうか、と想像してしまった。
数日後、たまたま松本清張の生涯を扱ったYouTube番組を見たせいもあって、どうにもこの〇〇さんのことが気になり、AIに聞いてみた。昭和20年3月に満蒙開拓少年義勇隊に入隊した人は、どうなったのか。すると、「一定期間の訓練を受けてから渡満する制度なので、3月入隊者は5月以降の渡満となりやすく、最後の渡満には間に合わなかった可能性が高い」という答えが返ってきた。宙づりの世代で、戦後あまり語られなかった層だという。
大陸で悲惨な目に遭ったのでは、という僕の想像は、どうやら杞憂だったらしい。そう思うと、少しほっとした。しかし、運よく渡満せずに済んだとしても、歓呼に送られて入隊し、志半ばで帰省することになったこの人の戦後が、決して生きやすいものだったとは思えない。戦争の犠牲には、実にさまざまな形があるのだと感じた。
ところで、元旦に学校へ行かされるのが嫌だった、という記憶を書いたが、そもそもなぜ、そんな面倒な登校行事が行われていたのだろう。考えてみると、一つの仮説が浮かぶ。戦後間もない時期には、正月を祝う余裕のない家庭も少なくなかったはずだ。夫を戦争で失った家、子どもが多く、十分な収入のない家。そうした家庭の子どもたちにも、新年を等しく祝わせたいという、大人たちの知恵だったのではないか。
そう考えると、元日に出勤する先生方も大変だったろうが、皆が等しく貧しかった時代には、弱い立場の人を思いやる仕組みが、今より自然に存在していたのかもしれない。皆が貧しいと、他人のことを思いやれる、という面もあるのだろう。平成、令和と時代は豊かになったが、その代わりに、他者への想像力をどこかで失ってしまったようにも思える。
何も考えず、ただ元日の登校を嫌がっていた70年前の少年時代が、今となっては懐かしい。
追記
前立腺がん手術後の後遺症として心配されがちな尿もれだが、おかげさまで1月半ば頃(術後4か月)から急に減り、咳やくしゃみの時以外はほとんど気にならなくなった。もう少しの辛抱だろうと思い、骨盤底筋訓練を続けている。この年になっても、身体機能は回復するものらしい。