酷暑の夏 | はったブログ

酷暑の夏

 しばらく投稿していなかったので、無事かどうか心配してくれている方もあるかもしれないのと、備忘のために今年の夏のことを書いておく。

 

 今年の夏は昨年にも増して酷暑で、7月になるとあちこちで最高気温が40度を超えたと毎日のように報じられた。大阪も37-38度の暑い日が続いた。家内を説得して7月22日から3週間避暑地に酷暑を逃れて8月13日に帰阪した。

帰ってみると、家庭菜園や庭の芝生は雑草が伸び放題で、疲れの取れぬ身体を振るい立たせて芝生だけは綺麗にした(一応だけど)。そのうち、このような作業も出来なくなる時が来るはずで、どうするかを考えて置かねばと思いつつの作業であった。

 

 避暑地は日中でも22-23度と快適で、時に寒いほどであった。帰阪すると何もしなくても勝手に顔に汗が染み出してくる。この経験は昔に欧州から戻って数日間経験していた、身体の適応反応であることを思い出したことである。あまりに快適な気温なので、読もうと準備していた論文のpdfを開く気には全くならなかった。ボーと時間が過ごせることを実体験した。

 

 避暑地に行く前に食料を調達すべくスーパーに寄った。店を出ようとすると突然後ろから名前を呼ばれた。元同僚のH先生であった。彼は6月末から避暑地に来て、9月いっぱいまで滞在するということであった。僕ももう少し早くと考えてはいたが、病院がよいなどの事情で遅くなったのである。H先生も一人で買い物に来ていたので、奥さんは名古屋ではないかと推察したことである。

 

 我々の先生世代の生活スタイルに、「夏休みは避暑地で2ヶ月ほど勉強する」というのがあった(このようなことができた文系の大学教員は多くはないが、存在した)。僕やH先生の世代では、大学の教員になろうという誘因の大きなものが、「自由に使える時間が企業に勤めるより、多い」。だから、「給料が少なくても我慢できるはず」と考えていたものだ。しかし、昨今ではあり得ない。授業が7月末まである、オープンキャンパスなどの学務に、夏休み中に駆り出されるなど、大学教員は自由時間がない。加えて給料は決して高くないのだから、大学院に進もうとする学生が激減しているのは当然である。大昔、大阪ガスの社内報に寄稿を頼まれて、社員の発想力やモチベーションを上げるには、「週休3日、給料5割増」と臆面もなく書いたことを思い出す。これは今でも間違いではないと言えよう。

 

 と言うわけで、3週間はのんびりと研究論文を読む、書くこともなく、ボーッと過ごしたのであります(このままではいかんとは、時々は思うことがなかったわけではありませんが)。

 

 避暑先には次男夫婦が3人の孫を連れて、5日間滞在した。半年前から中1と小3の孫とはテニスをする約束だったのが実現できた。周囲は、「怪我する、肉ばなれする」とテニスに反対なので、僕は30分ほどしか実働しなかったが、花火もしたし、孫との約束は果たせ、嘘をつかない大人でいられた。

 2歳半の孫娘は大きく育ち、なぜか、僕のことを「おねえさん」、「お父さん」、「おじいさん」と、周囲の模倣をするので呼び方が一定しないままであった。可愛い盛りである。孫は「来てくれて嬉しい、帰ってくれて嬉しい」という表現を実感したことである。

 

 と言うことで、酷暑の夏を避け、幸せな時間を過ごせたのであります。来週は八雲研究に参加すべく、体力の温存を図っているところであります。