叙勲騒動記-1 | はったブログ

叙勲騒動記-1

 春の叙勲で瑞宝中綬章をいただいた。教育に功労があったということである。慌しかった1ヶ月ほどが経過したので、その間のファクトをメモしておこう。

 昨年9月に名大から申請してくれていたが、教育関連分野では80歳以上にならないと順番は来ないと聞いていたので、2-3年後だろうと考えていた。昨年夏に結構面倒な申請資料の整理の一部を自分でした。昔の講座制の大学では(大抵は弟子筋の)助手の仕事であったようだが、昨今の大学ではあり得ないことで、担当の職員は恐縮してくれた。その人には面倒な余計な仕事を増やして、申し訳ないことであった。

 3月14日にその職員から電話で内示の連絡が来た時には、予期していなかったので何?という感じであった。予想よりも早く頂けたのは、担当職員の申請書の書き方が上手だったのだろう。内示の連絡を受けてもあまり興奮するような感覚は生じなかった。受賞を待たずに鬼籍に入る先輩をここ数年は多数見てきたし、期待している人で残念がった人も少なくないだろうという思いの方が強かった。

 

 内示があっても最終的に閣議決定される4月16日までは口外禁止で、その間に複数回、申請後元気でいるか?犯罪に関わっていないか?の確認があった。求められる度に、生存や出席可能性が怪しくなる年齢であることを思い知り、元気なうちにいただけた幸運を噛み締めたことである。

 

 新聞に名簿が掲載された4月29日に、朝一番に先輩からお祝いの電話があった(耳が遠くなっておられるので詳細なやりとりは出来ず)。教え子たちからはLineでお祝いが届いた。そして祝電が届き始めた(配達員が玄関のポストでO Kかと確認するほど何度も配達された)。知らない国会議員からも結構届いた。豪華な色紙がついており、こんなところに政策活動費とやらが使われるのかと、裏金問題が喧しい時期なので思いを巡らせたことである。

 続いて、記念品や額を売る業者からのパンフレットが届き始めた。片手で持つのも重くて大変という豪華本を含めて15社以上からの送付であった。勲章を飾る額は3-150万くらいの幅があり(柿の木で作る額が一級品であることを知った)、記念品やパーティの代行など、叙勲事業は一大産業を構成している経済規模の小さくないイベントであることを知った(パンフに記載されていた勲章の伝達式から皇居までの振る舞い方の情報は参考になった)。

 

 勲章の伝達式はホテル・ニューオオタニ東京で5月13日に行われた。ドレスコードがあるので着替えが面倒だろうと伝達式場に前泊した(東京在住の教え子2名がホテルに来てくれて、夕食をご馳走してくれた。幸せな、教師冥利に尽きる時間であった)。

当日は、11時半からの受付でホテル内の会場(省庁毎に会場は別)に集合し、簡単な式典の後、文科省の職員が(予想したより大きく、重い)勲章を首に掛けてくれた。それからそのままの格好で20名ずつ指定されたバスに乗り皇居に向かった。当日は今年最悪という大雨であった。各省庁別に10-15台くらいのバスで皇居に移動した。食事は出ないので、ホテルの部屋に備え付けの水ボトルだけで、5時半頃まで皇居にいた。皇居内の駐車場でのバス内待機が長かった。雨の中、広大な駐車場の端にあるトイレに行く着物姿の女性は気の毒であった。皇居の建物内には何も持ち込めず、杖以外は全てバスに残していかねばならなかった。

 豊明殿に入り、省庁別の叙勲者と配偶者そして付き添いが200名ほど着席して待ち、侍従を従え入場された天皇陛下から祝辞と慰労の言葉があった。その後、フロアに降りて来られて5人と個別に言葉を交わされた(車椅子、女性、というように配慮が伺えた)。

その後、次の省庁の叙勲者群と入れ替わるので、豊明殿の入り口のロビーでの記念撮影へと移動した(天皇は大変な重労働と、同情したことである)。指定されたバスごとに撮影が行われたのだが、これに長い時間を要した。皆な年寄りなので迅速に移動ができない。次の省庁の叙勲者らが豊明殿に入る時間帯(40−50分を要した)は撮影が中断されるのであった。

 この頃は5時近くであり、帰りの交通機関の予約を気にし出す人がざわついていた。自分も、ホテルに戻って着替え新幹線でと考えると、今日中に帰れるかしら?と心配になってきていた。5時過ぎにやっと、撮影の順番が来て、その後、バスで東京駅、ホテルへと移動した。雨は依然として止んではいなかった。バスの中で、賜り物ですと言って皇居の絵葉書セットと、お菓子の箱をいただいた(菊の紋章の焼印入りの餡巻が3個入っていた。家内によれば、製造年月日や製造所、賞味期限などの情報が付いていない、と感心していた)。早朝から年寄りの世話を一日中せねばならない若い職員には申し訳ない気持ちで同情するばかりであった。

 

 バスは5時半に東京駅経由でホテルに戻った。大急ぎでモーニングから私服に着替え(靴も履き替え)ダッシュで(雨まだ降り止まず。傘をさして、キャリーケースを引きずって)J R四ツ谷駅に駆け込んだ。このホテルはJ R利用が便利であることを何度か来たことがあり承知していた。ホテル発は6時ジャストであったが、6時39分発の「のぞみ」に駆け込めたのでした(心臓に負担をかけたかも)。

空腹を忘れてしまい、疲労感だけ味わいながら、新幹線では何も口にせず、連絡が良かったので、9時半には自宅に戻った。食欲はなかったように思う。ともかく、慌ただしい1日で、ちょっと身体に負担をかけすぎたと反省したことであった。