入れ歯生活が始まった | はったブログ

入れ歯生活が始まった

 3週間ほど前に、目覚め際に口の中で奥歯が揺れるのに気づいた。40代の頃に何本も虫歯が見つかり(それまで歯医者にかかった事がなかったのだ、)その時に両端の歯に被せる形で3本分の奥歯が治療されていた、左の上顎の被せ物がダメになったのだ。

次男の同級生で、車で5分ほどの場所に10年ほど前に開業した歯医者がかかりつけなので(半年に1度の検診には必ず出かけ、あまり変化はなかったのだが)、揺れる奥歯の状態で見てもらうこととなった。奥歯を支える骨が被せ物を支えきれなくなっていること、もう歯を支えるには骨は頼りなくて、骨に埋め込む義歯は無理と診断されてしまった。軟口蓋に薄い金属の橋を掛けるようにして、左奥歯(偽歯)を右奥歯とで橋渡しする入れ歯を作る羽目になった。1週間で入れ歯は完成し(細かい作業をするものだと、感心したことである)、使用しはじめた2-3日は入れると肩こりが酷かったが、調整に通い違和感は減少した。医者は慣れるというので、なるべく入れ歯を入れて生活するようにしている。右の奥歯も被せ物がしてある元気でない歯なので、万が一、右の奥歯がダメになった時に困るはずと、入れ歯の左奥歯を使うように練習中なのである。

 

 この部分入れ歯を使い始めて、泳ぎに変化に影響があることに気づいたのだ。日曜日には、ルーチンとしてスイミングプールに行く生活スタイルを続けている(運動しましょうと、健診の際に住民に言っている手前、「あんたもね!」と言われないためでもある)。

 長男が小4くらいの時に肥満児傾向と言われ水泳教室に連れて行ったことがあった。自宅はJRや阪急の北側にあり、その頃これらの鉄道線路を越える場所には複数のスイミングスクールがあったが、線路の北側地域の、それも車で10分弱の距離にスイミングスクールが新しくできた。そのスクールの隣には看護学校があり、僕は駐車を許可してもらっていたので好都合でもあったのだ。もっとも、今ではその看護学校の跡には高層マンションが2棟立っている。スイミングスクールも20年ほど前に経営者が代わり名称も変わったが、中の設備に変わりはない。今風の筋トレマシーンなどはなく、プールとサウナが装備されているだけなので、会費は割安ですむ。そこに、長男が入会した際の家族会員証があるので自分だけは30年以上通っている。

 7時半に泳ぎ始めて1時間ほどで帰宅し、朝ご飯というのが日曜日のルーティン。最近は25mプールを15往復クロール+10-15往復の水中歩行と決めている(時々、まだ泳いでいますかと聞かれることがあるので、辞めにくいのだ。そう言えば、浜寺水練学校卒の故宮田洋先生には必ず聞かれたものである)。

 

 日曜日の早朝は自分より高齢と思しき男女14-15人が水中歩行をしている。若い人(中年のこと)はもちろん威勢よく泳いでいる。だいたい見かけるのは決まったメンバーなので、声はかけ合わないが、会釈くらいはする(老女達はずーと喋りながら横並びで歩行するので、邪魔だが、関わりあわない)。昔は20往復を30分程度でという時もあったが、今は早く泳げないが、この泳ぎのときの調子で体調のモニタリングをしている。予定通りに泳いで帰る車中で、「まだ元気みたい」と自分に言い聞かせる。体調が悪いと朝食後、うたた寝をしてしまうが、良い時はそのまま自室に篭れるのです。

 

 先日、泳ぎはじめ、普通でない、泳ぎ難いことに気づいた。(泳ぐのは泳げたけど)息つぎがしにくい気がしたのだ。そこで思い当たったのが、入れ歯を入れていたことである。長々と書いたが、要するに、老人の典型的な身体の変化である歯についにガタが来た。そして、まだ入れ歯使用練習中の状態で泳いでしまったというわけ。そうしたら、口中の空気が入る容積が少なくなり(おそらくだけど)、息苦しいと感じたのだ。入れ歯が占める体積はごく僅かなはずなのに、老人でも人間の自己受容感覚の精密さは凄い!と感じたということである。

 

 入れ歯を入れた状態への順応は今しばらく時間を必要としそうな状況で、右側の奥歯達の頑張りに縋るしかない。

それにしても、30歳代までにもっと丁寧に歯磨きをして、歯科医師の指導を受けておけばと、今更、詮無いけれども後悔している。若い読者は、ご用心を!