最後の最終講義 | はったブログ

最後の最終講義

 最終なのだから「最後の」というのはおかしいとお気づきかもしれませんが、字句の誤りではありません。昨春退職した大学の学内学会での講演に呼ばれて、また最終講義をしたのです。

名古屋大学に移籍するとき、名古屋大学を退職する際にと、2度も最終講義をさせて貰ったので3度目です。本当にもう最後になるはずです。

講演依頼の時には、テレビ出演の裏話でもいかがですかと言われましたが、芸人でないので90分も間が持たないし、昨春、退職時に依頼されて多忙なのでと断っていたこともあり、多忙でなくなったので、最終講義にするかと決めた次第です。10年以上在籍したそれぞれの勤務先で最終講義をして、15年の痕跡を話すのも良いかもと考えたわけです。有り難いですことであります。

 

 最終講義はいつの頃からか大学教員が退任時にするものとなっており(著名な教授の最終講義を収録した「最終講義」というタイトルの大部の本(角川書店)を読んだ記憶があります)、1週間前にも名古屋大学での後輩教員の最終講義に出席しました。コロナ禍で久しくこの種の催しは無かったのですが、自分の過去の研究を紹介し、指導学生から花束をもらうという昔ながらのスタイルでした。久しぶりに出かけた名古屋大学は図書館前の芝生が大規模な工事中でありました。何でも地下に建物を作り、完成時にはまた芝生に戻すそうで、見てみたいものだと思ったことです。

 ちなみに、自分の最終講義で1年ぶりに訪れた大学は何も変わっていないなあ、と感じました(大学自体の活力の差異なのかもしれません)。

 

 最終講義では冒頭に、この種の講義は他人の自慢話を聞かされるので苦痛でしょうが、加齢に伴う脳の機能低下には「回想、懐かしさの感覚」は有効性が高いという最近の研究結果があるので、辛抱してほしいと断って話しました。1週間ほど前に世話役の先生にパワーポイントの資料を送付していたのですが、前日に自分が研究を始めた1960年代の社会の出来事や研究道具(手回し計算機や数表本)を付け加えることをしました。

 講演はともかく終わり、懐かしい教職員との再会を喜んだのち、(講演料をいただいたので)若い教職員と上本町で飲み会をしました。皆からまだ若い!の声を聞かされ、調子に乗って久しぶりに11時過ぎの帰宅となりました。翌朝は二日酔い気味でしたが、自宅で過ごして就寝。その次の日の寝入りばなに、最後に付け加えたスライドの年代表記の間違いに気づきました。1964年の東京オリンピック(大学入学)、1968年3億円事件(大学卒業)、1969年東大安田講堂事件、…、1977年大学入試センター発足(大教大助手)と社会情勢のスライドを作っていたのです。この最後の1977年の記載は、大教大助手は1972年が正しいので、間違いなのです。その間違いを36時間後に誤りに気づいたことになります。

 

 この記憶再生メカニズムはどうなっているのだろうと気になっています。心理学徒は「運動学習レミニッセンス」という現象を知っています。一定の運動を練習して中断すると、中断後再開時に運動成績が上がる現象で、運動に使われるネットワークが、物理学でいう慣性の法則のように継続するのだろうと解釈されます(多分そうだったのでは?レベルの知識ですが)。

 

 人の時間記憶は物理的なものと同一ではありません。Mental Time Lineは変なもので、近い記憶は遠いものとして、遠い昔の記憶は近いものとして感じられる特徴があります。30年前の出来事がまるで昨日の出来事のように、2-3日前の出来事はずっと昔の出来事であったかのように心的に認識される特徴があり、高齢になるとこの歪みは拡大すると思われます。最近特にこのことを実感している毎日です。「ご飯を食べたのを忘れてしまう」は認知症の典型的なエピソードとされていますが、事実の忘却ではなく、Mental Time Lineのさせることかもしれないと考えたりしています。

 僕のスライド記載事項の間違いに発表を終わって1日以上も後になって気づくというのは、「記憶のレミニッセンス」現象かも、と考え、調べねばと思っています。

 

 もっとも、ここ2週間ほどは柑橘類の皮を使ったお菓子「ピール」作りにハマっています。柚子、文旦、柚香、スイートスプリングの4種について生産しました。ウイスキーの当てには絶好であると吹聴し、今日までに少しだけお裾分けした9人には(真実は?ですが)好評です。30個くらいの柚香の皮で300個くらいのピースを作るので、それを乾燥のために、一片ずつ並べている時間は、無心になれるなあと気に入っている作業なのです。

 まだ、冷蔵庫にはもらった柚香が30個ほど残っており、これもピールにせねばなりません。こちらの優先順位が高いので、「記憶のレミニッセンス」現象の解明は、先行きが見通せません。