6月が終わる(楽天的な32歳) | はったブログ

6月が終わる(楽天的な32歳)

 退職してから3ヶ月が過ぎた。前々回の記事に書いたように、依然として同じルーチンで毎日を過ごしている。

 午前中は送られてくるメールや論文をチェックした後、30分程度の散歩。朝飯を食べてT Vを見た後(ワイドショー番組も長時間見るに耐えないが、エンジェルスの大谷のニュースが救い。他者を貶しあうことばかりが蔓延する当節、唯一、褒め称え合うことができる滅多に無いことだからに違いない)、論文原稿を書いたりして2時間ほどを過ごし、午後は読書と英国留学時に書いていた手書きの日記(メモ)の電子化とで、2-3時間という生活を維持している。

 

 日記メモの電子化は8ヶ月分が終わり、1978年6月の欧州旅行に出かけるところまでが、昨日までの進捗状況である(メモを音声入力して、wordを修正するのだが、滑舌が悪いことと、音声認識機能が不十分なのか、結構手間がかかり、時間が潰せるのだ)。

 

 今までの作業の感想を記しておくと、

 まず、エピソードには覚えていることや思い出せないことが混在していることに気づく。世話になったことや人名を見て思い出せる場合と、さっぱり分からなくなっていることが少なくないのに気づく。学生寮に住んだ最初の8週間は、早く研究に着手せねばという焦りばかりが記してある。そして、日本人恋しくて探し出した松下電気の社員(工場の英国進出の下拵えにドイツから転勤したばかりの幼い子づれ一家で、家族が合流した際にもよくしてもらった)の名前を失念していた。忘恩の徒と言うべきで、やはり、記録をとっておかないと40年後での記憶想起は、実に頼りない。

 そして、驚くほど積極さと信じられないほどの楽天的行動エピソードに驚くのだ。松下電気には、電話をしてタクシーで、用事もないのに(日本語が話したくて)押しかけたのだ。毎日のように何通も手紙を日本に送ったりしており、ちょっと、ノイローゼ気味だったのかもしれない。

 11月4日にヒースローで家内と子供を迎え、合流しての暮らし方が大変ということで、中古車を購入している。20万円ほどで院生から購入したFord Escort(バンで、後ろにバギーが載せられるので便利だった)は故障ばかりしている記載がある。エンジンがかからない(スターターが回らない)ことが何度も起きているのに、懲りずに車で出かけている(そして故障して、AAを呼んでいるのだ)。AAは日本のJAFに相当する会社で、何度も助けてもらっている(当時携帯電話はないのに、どうして呼べたのかは不明)。   

 自動車は故障するものという理解が当時では常識だったせいか、スタートしない車があると、周りの誰もが自発的に押しがけ(車を押して動かしてもらいつつ、エンジンを掛けるとスタートするのだ)を手伝ってくれるのだ。自分の車は故障のたびに、ダイナモ(発電機)をはじめ部品を新しくしていたので、決して安い買い物ではなかった。3歳児と生後数4ヶ月の子どもがいるのに、よくも懲りずに故障ばかりする車で出かけたものである。無謀な父親としか言いようがない。

 

 4月末には春を待ちかねてドライブに出かけている。その直前に車検を通しての出発だったが、50Kmも行かないうちにノイズが気になり出し、道中で見つけたFordのディーラーで見てもらうと、「サイドブレーキのケーブルが出す音なので、切断した」という。当時の英国の仕事ぶりにも驚くが、そのまま日帰りで運転しているのだ、ドライブは中止と考えていないのだ。もう、大丈夫と楽天的に考えたのだろうか。

今の自分は決して積極性が高い、楽天的な人間とは考えていないので、日記で確認した積極性や楽天さはどうしたことか、若さの故なのだろうか。

 

 若さとは楽観的であることなのだと結論づけてしまうと、確実に歳を取ったのだと思わざるを得ない。もっとも、「今の30代はそんなに楽観的な若者はいない」と言われると、日本が高度成長期に入った頃の時代精神がなせる業だったのかも知れない。