寒波到来の月末 | はったブログ

寒波到来の月末

 

 1月23日からの週は10年に1度の寒波襲来という天気予報の通りになった。おかげで、いろいろなことが起きた。仙台に3人目の孫が生まれて、家内が手伝いに行って不在のこの期間は、一人でなんでもせばならない多忙な時期となった。

 まず1月23日(月)。昼過ぎの会議中に突然左の耳が聞こえにくくなった。ちょうど飛行機に乗って気圧が変わるときに経験する耳がツーンとする感じになってしまったのだ。口を大きく開けたりすると聞こえが戻るが、それもそのうち有効ではなくなり、一晩寝れば良くなっているかもしれないという淡い期待を抱きながらも、木曜日に病院に行こうと思って帰宅した。

 翌24日(火)は午後から夕方にかけて気温が極端に下がるという天気予報なので、迷ったが車での通勤をあきらめて、入試のための8時の職員朝礼に出るために、朝早く出勤した。耳のことがだんだん気になりだし、18時からの会議まで時間があったので、保険証なしで、大学近くの耳鼻科に突発性難聴ではないかと診察してもらいに行った。なんと左耳に耳垢が詰まっていたのが原因であった。2ヶ月ほど前に病院で耳の精密検査を受けた時、左右の耳垢を専門医が取ってくれたので、どうして急に左耳に垢がたまったのかは謎である。しかし、聞こえ難くさはなくなった。突発性難聴かもと、心配していた自分がおかしいくらいで、自分はラッキーと思ったことである。

 予報通り、午後から雪が降り始めた。早く帰りたかったが、18時過ぎからの会議で、19時過ぎに大学を出ることになった。雪は大したことはなかったが大阪駅に着くと、JRは雪のための遅延でダイヤは乱れに乱れていた。60分遅れ70分遅れの表示を横目に新快速に乗りこむと、運よく2・3分で出発した。ところが途中で信号待ちが何度かあり、高槻駅には45分程の遅延で到着した(隣の線路を各駅停車が何度も追い越して行った。各停に乗れば遅延なく済んだのだが)。その頃の高槻は吹雪で、バスを待っている間も地吹雪のようであった。21時頃にやっと帰宅し、急いでお風呂沸かし、レトルトご飯とカレーでお腹を満たして床に着いたのであった。このときも、車で通学しなくて良かった。夏までには新しいタイヤに変えなきゃいけないと思っていたので、この積雪では運転は難しかったかもしれないと、自分の判断に、ラッキーと満足していたのであった。翌朝のテレビは、前日20時頃からJR新快速は高槻から山科あたりで信号機の氷結で何本も運行できなくなり、6時間も8時間も電車の中に閉じ込められたと、ニュースを報じていた。自分も30-40分遅ければ、缶詰状態にあっていたかもしれない。自分はラッキーだったのだ。

 翌水曜日は会議が多く、特に人事教授会などが予定されていたが、自宅周辺の積雪は10cmばかりで、市営バスは運転を見合わせ11時後まで動かなかった。JRも同様に運転を見合わせてみたため、大学には出勤しないことにした。木曜日は研修日なので2日間の休日となった。家内に言われていた風呂掃除やゴミ出し、トイレ掃除などで一日を費やした。文句を言われずに済んでラッキーと思ったことである。

 

 1月28日土曜日には生まれたばかりの孫娘を見るために、飛行機を予約してあった。朝の7時半ごろのバスで阪急電車を使い、モノレールで伊丹空港に行く予定でいた。早く準備ができたので、迷ったが、6時50分のバスに乗った。この日も寒く、道路は前日の雨が凍り、バス停まで荷物を持ちながら、やっとたどり着いたのであった。バスは定刻に来た。空港には余裕を持って着けると思っていたら、バスは、5分程で駅にたどり着くあたりまで来たが、「陸橋上でドラッグが横転したため通行止めです。降りてください」ということになった。阪急の駅まで荷物持ちながら凍っている道路をおそるおそる30分ばかりを歩いてやっとたどり着いたのであった。予定していた時間のバスであれば、バスは不通で空港には予定通りつけなかったと思う。なかなか、ラッキーと感じたことであった。

 

 仙台で予定どうり、孫娘に会うことができた。生まれたときの体重が少なかったので退院は遅れ、自宅に戻って3日目であった。赤ちゃんは思ったより大きく(見えた)、よく飲み眠るので安心した。仙台は雪こそなかったが道はまだ凍っている部分が多く、外に出ず、孫の相手をして過ごした。6歳の孫(男)は慣れてくると、ここぞとばかり体をぶつけてきたり、夜一緒に寝ると言う。およそ一年ぶりの孫との再会を果たし、祖父としての幸せな感情を満喫した。

 

 31日(火)に家内と帰阪した。疲れてるので、タクシーで帰ることにした。代金は6,000円ぐらいかと思っていたが、中国自動車道が工事中で阪神高速経由ですと運転手がいう。伊丹から豊中IC+吹田ICを経由しての道のりで、3角形の長い方の2辺を通ることになった。料金は2倍になった。ラッキーとは行かなかった。

 

 この10日ほどの間に、自分はついているな、ラッキーだなと思っていたが、タクシーの件を含めると、必ずしもそうでもない。そんなに良いことばかりが続くわけには行かないのが人生なのです。

と、いう具合に、寒波襲来の1月末はあっという間に終わったのでした。