2022年を振り返る | はったブログ

2022年を振り返る

 あと1日で2022年は終わる。今年も忘年会への誘いは一件もなかった。コロナ前であれば11月の末から12月末にかけて日程を調整するのが大変、というのが通常であったのに、コロナ3年目で慣れたとは言うものの少し寂しい。

コロナの感染状況が一向に下火にならず、ここ2-3日新たな感染者が増えている状況にあり、大阪府は黄色から赤に注意信号を変化させた状況なので、忘年会を!というような呼びかけが出るはずもない。まだほとんどの人がマスクをしている。ロンドンに住む友人のクリスマスカードには、感染者はいるようだが、マスクをする姿は皆無で、コロナはもう忘れ去られていると報じていた。

 と言うわけで、師走も静かに暮れていく中で、記録を残しておきたい。後年、読む機能は残るが、書くことは叶わないとなった場合に懐かしむ資料となればという思いからだ。

 

 仕事の方は、次年度の予算申請についての各部署からのヒアリングが朝から晩まで続くスケジュールは今年も同様であった。大学の建物は建設されてから約30年が経過し、あちこちにガタが来ている。その修復工事費の見積もり額は膨大で、学生数が増えて収入が充分という状況ではないので、通常の教育・研究予算へのしわ寄せをいかに減らすか、ため息まじりの日が10日ばかり続いた。今年は、阪神高速道路の工事の影響で通勤に使っている近畿自動車道では毎日のように数ヶ所で渋滞が発生し、いつもは60-70分で住む通勤時間が2倍以上かかる。混む時間帯を避けたいのだが、予算ヒアリングのスケジュールは朝から入っているのでそういうわけにもいかず、通勤に体力を消耗したというのが特記事項である。

 

 2022年の重大事件を記録しておく。その第1は2月24日のロシアのウクライナ侵略であろう。ロシアの侵略計画はうまくいかずに戦争状態は今も続いている。ロシアのエネルギー政策の影響が秋口から日本にも襲ってきて、物価が高騰している。アベノミックス由来の円安も加わって、大変だ。ネット情報では、数年前には1万円を下回っていた、モルトウイスキーの「ラガブーリン」は倍ほどの値段になっていた。まだ2本分ストックはあるが、もうすぐ年金生活者になるので、買うのは無理になるかも知れない(と書いておけば、誰かがプレゼントしてくれる可能性もゼロではないのでメモしておく)。

 第2は7月8日の奈良での選挙演説での安倍晋三銃撃事件である。銃撃犯は旧統一教会と彼との関係を恨んでの犯行ということが明らかになるにつれて、カルトと自民党との関連が炙り出され、政治家の卑しさが露わになるという社会状況になったことも記しておこう。その後の数ヶ月の社会状況は、半世紀以上前の学生運動が下火になる頃に「一点突破、全面展開」(状況は不利だが、一つのきっかけで、ガラリと様相は変わるのだ、という意味)」と叫んでいた、落ち目のセクトのスローガンが蘇ってきた。社会状況は大きく様変わりしたことを記しておく。

ウクライナ侵略を引き金に中国の台湾侵攻を連想する世相を追い風に、岸田政権は突然専守防衛策の転換と防衛費を賄うための増税を打ち出しできた。この先どうなるのかわからないが、歴史の大きな転換期に差し掛かっている印象を肌に感じる。じっとして傍観しているだけの人間ではいけないと思うので、仕事に行かなくて良い自由の身になれば、若い頃に戻って街頭でのデモ行進なんかに参加したいとものだ(もっとも、邪魔になると言われる可能性もないわけではないが)。

 と言うわけで、元首相銃撃事件から学生運動の頃の標語が想起され、そこから、デモに参加していた学生時代が想起されて、「事あれば、街頭に出ようか」と意気込んでいるのであります。

 

 クリスマスの賑わいにも年末の賑わいにも程遠い一年であったと改めて記録しておきたい。長男夫婦が帰省するというので、体力に応じた程度に部屋の整理やガラス磨きぐらいはせねばならない。できるかどうかは不明だが、それだけの気力だけはある、2022年末である。

 

 年末にあたり、教え子の池田和夫、親しくして頂いた箱田裕司、丁野恵鏡の諸氏が、それぞれ、60,代、70代、80代で亡くなられたことも記しておく。

 

 我が身は、コロナ感染もなく無事に年を越せることを喜びたい。