退職準備を開始 | はったブログ

退職準備を開始

 

 今年度末が任期切れとなるので、退職する。学長を3期9年も務めたことになる。これまで2期以上の人はいないので、長くやらせてもらったことになる。2-3年で別の大学に移るつもりであったのに、都合15年も在籍したことになる。静かにフェードアウトしたい。

 

 あと100日余りで部屋を出なければならないので、12月に予定の廃棄書類の提出日に合わせて、いらない文書や本を束ね始めた。今の大学に来てからはできるだけ専門書等は購入しないようにして、電子ジャーナルを中心に学術情報を得るようにしてきたので、それほど大量の廃棄本は無い。しかし、本棚からいらないものをと探していると、いろいろな思いが浮かんで、作業は捗らない。たとえば、製本された博士論文の処置だ。博士論文はハードカバーで製本し、背表紙に金文字でタイトルをつけたものを提出することが求められていた時期がある。そのために古い博士論文はハードカバーである。それが合計23冊、その後はソフトカバーでも良くなり、それらも合計2冊ある。自分が主査や副査の学位論文もあるし、議論したことのある学生からの謹呈本もある。

 問題はこれらを本人に返却すべきかだ。もらったものを邪魔だから返すというのも失礼だろうし、自宅に持って帰るわけにも行かない。自宅にはスペースが乏しいからだ。場所がないというだけでなく、自分が死んだ後で家族が処置に困るだろうということもある。さてどうしたものか、もうしばらく考えねばならない。

 

 振り返れば、27歳で大阪教育大の助手の仕事についてから(当時には珍しく、公募人事であった。僕が蹴落とした事になる応募者のその後はどうなったのだろうと、時に思い、その人たちに恥ずかしくないように生きねばという想いはある)、たくさんの学生を指導してきた。すべてというわけではないが、大多数の元学生たちの自己実現を手助けできたのではないかと思う(歳を取ると何でも都合よく解釈するので)。「一番幸せな人生は、次の世代の行く末を、安心して見送り、消えていけるもの」という箴言をどこかで見たことがある。幸せな人生であると改めて思う。

 

 大学の部屋の書物を整理する際に、自宅の本棚にもなにがしかは入れなきゃならないと思い、思い立って自宅の本棚からいらないものを捨てる作業もしている。学部生の時代に購入した学術書は、値段が高いものであったので蔵していたが、すでに内容も古いし、躊躇なく廃棄準備ができた。一方で、思い出があり、捨てられないものも見つかった。例えば、森北出版の「バローの数表」という本がある。裏表紙を見ると昭和26年が初版で、僕のは昭和39年18版のものだ。全部で208頁からなっているベストセラーだ。内容は、数字ばかりで、1から1万までの2乗、3乗、平方根、立方根、逆数、などが印刷されているだけの内容である。この数表とそろばんと手回し計算機(Tiger社製の片手では持てない鉄の塊のようなもの。自室には廃棄されたものをアンチークとして飾っている)で、統計の授業を受けたのだ。いまではボタン一つでできる相関係数や分散分析、因子分析などもこれらの神器で行った。統計計算の仕組みなどは理解できたが、随分手間がかかり、毎週実験演習のレポート提出のために、実験データを仲間同士が分担しながら計算し、駅の待合室の電灯の下で持ち寄ったものだ。

 

 僕は心理学を専攻したものの、その内容についてよく知らなかったのでこんなものかしらと思って履修しただけだが、心理学を学ぶことに意識の高い学生の中にはフロイド選集なんかを読んでいる人もいて、実験と統計処理が必要なレポートを作成する作業と自分の考えていた心理学とは違うと言う学生もいた。2年生の初めに8名いた心理学専攻生は卒業時には4人になっていた。一人は卒業した年に亡くなった。残り3人は時々集まっている。

 

 捨てられないなと思ったもう一冊は、緑の表紙の『E. F. Rindquist;Design and Analysis of Experiments in Psychology and Education. Boston: Houghton Mifflin Co.』の本である。統計の先生であった生澤雅夫講師は、この393pageのテキストを用いて1年間分散分析の授業をされた。学生も当然英語はできるものとみなしてのことだったのか分らないが、我々学生は付いて行くのに必死であった。一年では単位が取れないのが普通とされている科目で、忘れもしないが、試験は10時に始まって4時に解答を回収するものであった。3要因の分散分析を、数表と手回し計算機でやった。今から考えると、生沢先生はその後、「潜在構造分析」の統計書を出版されたので、学生と一緒に勉強しておられたのかもしれない。先生は海軍兵学校の最後の頃の学生で、京都大学を経て着任されて間もない頃であった。定年後、神戸学院大学に心理学教室をつくられたが、すでに鬼籍に入っておられるので、確認しようがない。

 

 という具合に、部屋の整理をはじめているが、なかなか進まない師走なのです。