新学期が始まった | はったブログ

新学期が始まった

 変則形式であったが、3月23日に卒業式を無事終えた。変則とは午前と午後の2回に分けて人数減らして密着を減らす工夫をしたこと、保護者はライブ配信視聴、そして、時間短縮という意味である。5分程度で式辞を、という条件を満たして文章を作るのは結構大変であったが、ともかくも終われてホッとした。その次の週から他校園での卒業式、入学式が続いて忙しかった。幼稚園、高校、短大の式典にも出ねばならないためである。座っているだけの仕事ではあるが、礼服を着なければならないのは面倒で、出される弁当もほぼ同じ内容で、贅沢は言えないが食傷気味となるのである。4月1日は、学園職員の辞令交付式、短大入学式、大学教職員向けの所信表明、教員向け研修会をこなした。

 

 4月4日(月曜日)には大学の入学式をした、ここではモーニングを着るので、午前の式を終わっても午後の式典まで特別なシャツを着たままでで過ごさねばならず、そしてその間に保護者会での挨拶が2回入るので、疲れはしたがともかくも無事終えることができた。

 

 大学の卒業式と入学式は遅刻ができないので渋滞を避けるために7時前に自宅を出ることにした。午後の入学式が終わった4時頃には「疲れた。早めに帰る」と事務方に知らせて駐車場に向かったが、途中で要件を指摘されてまた戻った。それでも5時5分ごろには帰路に着いた。忙しい週だったのが終わったので、どの酒を飲もうかなどと考えつつ車を走らせたが、高速道路で渋滞に出会い、今までの最長記録、4時間5分もかかって9時を回っての帰宅となった(いつもは70分ほどで行き来できる)。トラックが横転して足場が道路を塞ぐ事故のための渋滞であったらしい。酒を飲む気力もなく、すぐ就寝した。眠りは良いものではなかった。

 渋滞はたまたま入力したナビが、「75分くらいかかります」と言う。そんなにかかるものかと、横着を決め込んで走行中の近畿自動車道から「阪神高速に入れ」とか、「東大阪J Cで降りて、13号線におりろ」という指示を無視して走っていると、途中で全く動かない状態が20-25分✖︎2回、あとは6キロほどでのノロノロ運転で、結局は4時間越えになってしまったのだ。ナビは「2時間経ったので休憩しましょう」は音声ガイドするが、3時間経過、4時間経過は文字表示しか出ない。「言うこと聞かん奴には言っても無駄だと」いう仕組みのようだ。それと、ナビは高速道を6キロの速度で走る時間が一定を過ぎると、高速にいるのか地道にいるのかが分からなくなるようで、途中から変な地道の画面が現れることも発見した(発見に意味はないが)。

 

 翌日は翌5日も6日も行事や会議がいっぱいで、疲れが出るのではないかと心配したがほとんど何もなく、「歳の割には体力がある」と、密かに自慢気味でいた。7日(木曜日)は幼稚園の入園式であった。木曜日は自宅研修日にしており通常ならゆっくりするのだが、新園長となったので、気を遣って大学に出た。30分ほどの式典を終えて部屋に戻った頃から急に背筋が痛くなってきた。なぜだろうと考える間も無く、渋滞での運転でハンドルを持つことでの背筋の過労のせいであることを理解した。疲れは翌日も翌々日も感じなかったのだが、60時間ほど経過して出てきたのだった。「歳の割には体力がある」のは間違いで「歳相応、いやそれ以上に体力は無くなっている」のだ。弁当を食べずに速攻、帰宅したことである。痛む背中で翌8日(金曜日)も高校の入学式に出た。

流石に、土曜日は背筋痛も消えた。3月末から4月初めの週は体力的にキツイ。今年度が3期目の任期最終年なので、なんとか最後まで体力が持つことを願うしかない。ともかくも、新年度の1週間は何とも幸先の悪いものとなった。

 

 体力の自覚症状の他にも、新たに老化の特徴だろうと思うことがある。それは記憶についてだ。まだ、単語を忘れるとか事象を思い出せないというような症状はないと思っているが、過去の事象についての心的距離(時間知覚)に変化が出てきた気がするのだ。つまり、数時間前の事象がずっとそれ以前の事象のように思えるのだ。10時の式典を終えてしばらくすると、それはずっと以前のものであったように思えると言う具合だ。認知症が進んだ老人が、「飯まだか?」と食べ終わってすぐに言うとエピソードを聞くが、案外食べ終わってからの心的時間が長く思えるようになったせいで、食べた事実を忘れているのではないのかも知れない。とすると、僕も認知症が始まったのかも知れない。別に個人的には嫌なことではなく、それもいいかも知れないと思っている(周囲は困るかも知れないけど)。自分が理解できなければ平気でいられるはずだ。類似の時間記憶の歪みの文献でも探そうかな、と思っている。

 

「幸先は良し」とはいかなかったが、新しい学期が始まった。物理的時間は定常に進んでいるようである。コロナ感染症の再拡大なしで春学期が終われることを願うばかりである。