新型コロナ感染騒動下の7月:感染者発見される | はったブログ

新型コロナ感染騒動下の7月:感染者発見される

 新型コロナ感染騒動は6月中に一段落と予想していたが、あっけなく外れてしまった。6月中頃から新宿周辺の盛り場に繰り出す若者の間で感染者が増え出した。大阪でも増えるかもしれないという心配は7月に入り現実となった。

変則型の対面授業を6月1日から開始していたが、7月3日(金)の授業に出ていた1年生が夜に発熱してPCR検査で陽性となったという報告が8日に入った。

 8日の午後から休校・入構禁止として、授業をやめ、学生は帰宅させる処置。保健所の指導で濃厚接触者の特定作業が始まり、夜遅くまで教職員は大童であった。同じクラスで授業を受けていた学生で座席が1.5m以内の学生と教員合計37名が濃厚接触者と同定され、9日に保健所に出かけてPCR検査を受けた。

 濃厚接触者に陽性判定者が出ると、その学生が出ていた講義で近くの座席に座っていた者がPCR検査を受けねばならないという様に要検査者は鼠算式に広がることになる。検査当日9日の朝には5名が発熱という報告があり、「クラスターの発生!」のニュースがmediaで流されることを覚悟した。幸いなことに大阪府に在住の33名は発熱者が全員陰性であった。その2日後には、熱が下がらない学生が1名いて、再検査という知らせが届き、やっぱりダメかと再度覚悟をした。幸いこの学生も陰性であった。39度近い熱が、自分も感染しているかもしれないという不安から自律神経の働きだけで生じるのだ。

 13日(月)の週に入って大阪府以外の残りの学生の検査結果は陰性との報告が届き、17日(金)のお昼過ぎに保健所からの「経過観察終了」の連絡が届いた。対面授業は教室の定員の半分以下として教室を変更して授業をしていたが、それでも講義の一つとゼミの教室はでは座席の間隔を1.5m以上にすることができなかったことで、濃厚接触者の数が多くなってしまった。ただ、教室変更の際に座席指定にしてあったので濃厚接触者の特定は迅速にできたのは幸いであった。

 

 7月13日から1週間は授業を休み、20日以降は遠隔授業に戻して春学期を当初の学年暦を1週間遅らせて終了することにした。

という様に、記録していくと大したことがなかったかのように思われるかもしれないが、職員は、「感染者が出たが、自分の孫・子どもは大丈夫か?」という類の学生の保護者や親戚からの電話への対応に追われ、僕はと言えば、「保健所に行くTaxi代は自前で!」、「再び遠隔授業に戻すのは安易すぎるのでは?」などの件で経営側とのやりとりに、内容は公にできるようなものではないが、疲れたことだけは記しておく。最終的な意思決定はいつもながら難しい。

 

 6月1日から5週間、学生は大学キャンパスに来て、友人に再会できたし、1年生は、大勢での大学生として聞く講義、ゼミという形式の授業など、大学生活の一端を実体験できたことは大きいと考えている。

春学期終了まであと2週間となったが、数日前から全国的に感染者数が急増し始め、大阪での感染者数も連日100名を超えるようになった。近隣の複数の大学でクラスター発生とmediaに取り上げられている。今、落ち着いていられるのは、遠隔授業に戻したおかげである。

 大学によっては、4月から一度もキャンパスに学生を入れることをしていないとか、7月から対面授業を始めたので9月一杯は授業で夏休みはない、と聞く。コロナ騒動での学生への皺寄せは我が大学はまだ少ないのではないかと考えたりするが、どの様な評価が得られるかは他者のすることであるし、先のこととなろう。

 

 オリンピックの開催のために休日を寄せ集めて4連休にした7月23日からは、悪評高い「go to travel」が始まったが、雨の日が多く大した経済効果もなさそうである。僕は4日間、雨の合間にキュウリ・トマト・万願寺唐辛子、ミョウガを収穫したのと、1時間ほど泳ぎに行った以外は自宅から外には出ずで、つまらんなあ、と独り言を言いながら、データの集計や解析の準備をしていた。ますます、視力が低下していることを自覚せざるを得ず、というところであった。

 

 今年は天候不純で日照時間が短く、家庭菜園は不作であった。ゴーヤは満足なものは2本しか収穫できずで、職員に配ることは叶わなかった。ゴーヤ料理は僕の担当で、スパムとのチャンプルー、豆腐チャンプルー以外のレパートリーを披瀝する機会なしであった。ただ、キューリは2本の苗で140本収穫した。連日、浅漬け、佃煮などのキュウリ料理が続いているのであります。

なかなか梅雨が開けず、気持ちも天気も鬱陶しい7月もそろそろ終わりそうである。