災い転じて | はったブログ

災い転じて

 週末、残暑が厳しかったがスーツを着て、某大学の周年記念式典と祝賀会に大阪市内のホテルへ出かけた。大阪駅でのシャトルバスを待つ行列は長く、汗がにじむ中を待って、2台目にやっと乗り込めた。受け付け開始時刻5分ほどの早めの時間に会場に着いた。

 日がよいのか、結婚式に参列と思われる人が多く並んでいた。ホテルでは7組の結婚披露宴があるらしく、ジミ婚が多くなったと聞いているのに、こんな所にも格差があるなあと思いつつ受付にて、預かってきた祝い金を渡そうとした。だが、どうやら名前がないらしい。対応中に別の役付きらしい女性に大学名と法人名、理事長名も伝えたが見あたらないようであった。その人は式典のプログラムとピンクのリボンをくれ、控え室に案内してくれた。ほどなく、案内があり式典会場に入ろうとすると入り口で座席番号を聞かれた。受付でもらったプログラムにはそのようなものはなく、立ち止まっていると数人の会場係らしいホテル関係者が受付に戻って確認しているようであった。入り口の脇に移動して待つこと約3−4分、リボンの色を間違えましたとブルーのリボンを持参して、既に付けていたリボンと交換してくれ、左側の列の椅子に案内してくれた。

 隣の女性の様子を伺っているとその人の持っているプログラムには個人名が印刷されているのが見えた。ブルーのリボンを持参した男の人が「フリーで」と小声で口にしたのを覚えていたので、来賓客に自分の名前が抜け落ちていることを確認した。ピンクのリボンを付けた顔見知りの私大の理事長らが右脇の列の座席に向かうのも目にしたので誰かがミスをしたことが判明した。少し気分を害したが、自分の学園の総務でのミスかも知れないとその場に留まり、理事長、文科省、私大協、自治体の長3人プラス学長の7人の祝辞を聞くこととなった(名前がないのなら帰ると言わずに、紋切り型の祝辞をこれも仕事であると、聞いていられるのはエライ!と自賛したことである)。

 祝賀会までの20分ほどの間に、プログラムに来賓名な印刷されているのに気づいたが、我が学園名も大学名も抜け落ちていたことは言うまでもない。わざわざ来たので何か口に入れねばソンだと、生来の貧乏人根性で祝賀会場に移動した。リボンの色で立食会場のテーブルが違うので、当然顔見知りは遥か彼方のテーブルにいた。

 ブルーリボン用のテーブルにて開式の挨拶を待っていると、突然2人ほど先にいた男の人が「先生、久しぶりです」と寄ってきたのである。どこか顔に見覚えがあると思っていたら、大教大に出入りしていた業者であった(今は副社長である)。ブルーリボンは出入り業者のグループを示すものであることがこの時点で判明した。彼は、パナコピーといって今はない九州松下電工が売り出したばかりのスライド作成機を販売した人で、私がラテラリティの実験を盛んに行っていた30代の頃に出入りしていた販売代理店の営業マンであった。彼が言うように彼の会社からは僕はその一件しか買っていないが、故障するたびに5時過ぎに呼び出されていたということであった。昔は実験する人間はきめ細かく対応してくれる業者がいてくれることが研究の進捗には重要であった。ウマがあったのか彼は時々研究室に来ては雑談し、毎年カレンダーを配ってくれていたことが蘇った。

 スライドという言葉自体がもはや死語であるが、パワーポイントが普及するまでは、学会発表にはプロジェクターでスライドを映してというのが一般的であった(したがって、学会発表の準備は10日前には出来ていなければならなかった)。パナコピーは、それまで「発表原稿や図表をカメラで撮影し、現像して一コマずつフィルムを切り出して、スライド枠にはめ込む」というプロセスを、「前もってはめ込んだスライド枠にプリントさせる」という新発想の機械であり、詳細は省くがラテラリティの実験刺激作成のパラダイムを一変させるものであった。当然値段も100万を超し、スライド一枚100円ほどしたと記憶している(今から35年以上前の昭和の時代の価格である)。心理学実験のための用途を想定していなかったということで、九州松下電工の役員が実験室に取材に来たことがあった。このことは彼も自分が引率したということで覚えていた。

 

 彼の会社は我が学園と取引があるとのことで、私のことも以前から知っており、一度会いに行くつもりでいたということであった。二人で祝賀会の進行をそっちのけで、35年以上も昔の思い出話をした。彼は途中で僕のリボンの色に気づいたので、事情を話すと、「誰がミスったか知らんけど、お蔭で先生に逢えた。これが縁と言うもんやな、嬉しいわ」と昔ながらのざっくばらんな口調で話すのであった。

 誰かのミスで来賓のりストから抜け落ちていて、面白くない気持ちがどこかにあったが昔なじみに会えて、「災い転じて福となす」ということかも知れないと考えたことである。

 

 この種の立食パーティでは、コンパニオンや誰かが食べ物を運んでくれるのを動かずに食べ、飲むというのが常であり、それに慣れすぎてしまったのであろう、この祝賀会では飲み食いのパフォーマンスはダメで、すし4貫と蕎麦1杯、ビールコップ2杯で終わった。

 

 開式の際に白鹿の菰被り3斗が割られたので、樽酒が味わえると考えていたが、それらはブルーリボンのテーブルの届くことはなかった。ピンクリボンであれば、間違いなく樽酒にありつけたのではないかと考えると、「災い転じて福となす」と単純には言えないのではないかとも、酒飲みの私は自問しているのであります。