評伝「吉田健一」を読んで考えた
年末24日に文科省相談に出かけるなどぎりぎりまで忙しかったが1週間程の正月休みはとれた。この休みの間に新たな論文に着手すべきじゃないかという気持ちは一日に数回はあぶくのように浮かんではいた。しかし、ちゃんとした本を読むことから遠ざかっているという気持ちもどこかにあり、この飢餓感の方がまさったのか、「吉田健一」を読んだ。新聞の書評で評価が高かったので衝動的にアマゾンに注文してしまった本である(愛用しているキンドルで池波正太郎や藤沢周平の作品の電子版を毎晩睡眠薬代わりには読んでいるのですが、寝ながら読むのはいかんなあという文学小説のたぐいはご無沙汰しているのです。ちなみに睡眠薬代わりの二人とも吉田健一の書評で世に出たらしい)。
編集者として彼の晩年に付き合いのあった長谷川郁夫という人の評伝である。3日から読み始めセンター入試の日に読み終えた。久しぶりに5時前に起きてまで読みたくなったのだから著者の腕はたいしたものだと思う。すでに37年も前になくなっている文学者の評伝が出版されることは珍しい。若い頃に読んでいた吉田健一の名前が懐かしく書評に眼がいったのである。
僕が好んで手にしていたのは吉田健一の随筆で、とにかく一文が長い。句読点がないのが特徴で、息を吸い込んで読まないと読みづらいのだが、長い文を読むと、きらびやかな、とくに光や色彩が浮かび上がるのが気に入っていた。とくに酒の話を書くのが上手であった(評伝では、吉田健一は日本語表記での句読点に悩み、源氏物語には句読点はないとの結論に至ったために一文が長いのだそうです。この本でも山形の酒「くどき上手」と新潟の「今代司」を激賞していたらしいので、僕の好みと同じだと喜んだりした。後者はまだ味わっていませんが)。
この評論は2段組みで650頁もある大分なもので、定価は税別5000円するが、推薦したい本である。内容は今ではなくなった印象がある「文壇」史の形をなしている。僕が読書をするのは大学生の頃からで、実際に読んだ本や未読だが名前は知っている作家との付き合いが、吉田健一を軸にして展開される構成になっていて懐古情緒を活性してくれた(育った田舎には本屋は自転車で30分の高校の所在地に書店が1軒あるのみでしたので、本は読まなかった(読めなかった)子どもでした)。
約50年前の大学生の頃は、演劇や音楽を聴きに頻繁に行けるような金銭的に豊かでもなく、そういう学生も周りにはいなかったので、時間をつぶすのは、もっぱら読書しかなかった。もちろん、カラオケやインターネットでサーフィンをなどという時間の使い方はなかったので、僕だけが文学に興味を持って、読書家という訳ではなく、ごく標準的な学生であった。それでも学生は読書するものという時代の社会環境であったので、普通の学生であった僕も「世界」、「展望」、「中央公論」、「現代の眼」などの総合雑誌を含め活字には親しんだ。
若い読者には、この評伝で展開される河上徹太郎、福田恒存、中村光夫、大岡昇平,三島由紀夫などと文壇史を紹介しても親近性はないと思うので取り上げないが、文学作品ではなく吉田健一という人間について知らなかった事柄も記載されていて、酒や食べ物に関する随筆だけに着目すべきではないとを恥じたので、そのことを記しておきたい。
外交官であった吉田茂の長男であり、明治の元勲牧野伸顕(2・26事件で暗殺対象になりながらも箱根にいて難を逃れた人)にかわいがられた孫であることなどは知っていた。金持ちの御曹司で英国留学を途中で切り上げ、うまい酒を探し美食三昧で暮らしたのだろうと勝手に想像していたが、骨のある人であったことをこの評伝を読んで知った。牧野伸顕も吉田茂も頑固な自立した精神の人であることも知ることができた。
われわれの対人認知(他人についての捉え方や思い込み)というものはいい加減なものであると改めて考えさせられた(反省!)。吉田茂は戦争前に陸軍に睨まれ、拘束されたこともあるということである。健一は終戦前の半年程海軍に徴用されたらしいが、戦後も数年間は金がなくてその頃の服装で過ごしたという(吉田茂の息子なので厳しく対応すべしという陸軍からの指示があり、そのために海軍は逆の待遇をしたという。仲間割れ状態の日本が戦争に勝てなかったはずである)。戦後すぐに父親は首相になっていたが、父親からの援助に頼らず、父親も援助はしなかったらしい。親子の間が疎遠であったということではないので、自立した親と息子の関係であったということなのだろう。牧野伸顕も戦後は表舞台に出ることをせず、清貧の生活であったらしい。
まだまだ紹介したいことはあるが、長くなってきたので一つだけにしたい。
吉田健一は外交官であった茂の長男であったので、英語や仏語がいわば母語であった。ケンブリッジから20歳頃に帰国してから日本語を学び直し、物書きを目指した人である。死後37年も経って独自の文学世界を日本語で構築したことを評価されているわけなので、それまでに至る努力は想像を超えるものがあったはずである。
この過程で彼が獲得したものの一つに、「もしそれが自分は少しも苦労せずに、つまり自分から解ろうと努力しないで何かが頭に入ってくるということならばそういうものに碌なものはない」という信念があったと引用があった。つまり受け身で獲得した情報は身に付かず、自ら能動的に獲得しないと有益なものは得られないということである。僕が「Be imitative」と言っていることと同義ではないだろうかと我田引水したい。
そろそろ、卒業式の式辞を準備する時期であり、「つかえるかも」とほくそ笑んだことでありました。評伝にでてきた沢山の未読本を、研究者を辞めたら読みたいのでもう少し元気でいなければならないと考えたのであります(「患者の話に耳を傾けるようになれた頃、医者は耳が遠くなっているという」、マーフィの法則風の、「本を読める余裕ができる頃には、視力も気力も衰えてしまっている」という囁きも聞こえますけど)。
編集者として彼の晩年に付き合いのあった長谷川郁夫という人の評伝である。3日から読み始めセンター入試の日に読み終えた。久しぶりに5時前に起きてまで読みたくなったのだから著者の腕はたいしたものだと思う。すでに37年も前になくなっている文学者の評伝が出版されることは珍しい。若い頃に読んでいた吉田健一の名前が懐かしく書評に眼がいったのである。
僕が好んで手にしていたのは吉田健一の随筆で、とにかく一文が長い。句読点がないのが特徴で、息を吸い込んで読まないと読みづらいのだが、長い文を読むと、きらびやかな、とくに光や色彩が浮かび上がるのが気に入っていた。とくに酒の話を書くのが上手であった(評伝では、吉田健一は日本語表記での句読点に悩み、源氏物語には句読点はないとの結論に至ったために一文が長いのだそうです。この本でも山形の酒「くどき上手」と新潟の「今代司」を激賞していたらしいので、僕の好みと同じだと喜んだりした。後者はまだ味わっていませんが)。
この評論は2段組みで650頁もある大分なもので、定価は税別5000円するが、推薦したい本である。内容は今ではなくなった印象がある「文壇」史の形をなしている。僕が読書をするのは大学生の頃からで、実際に読んだ本や未読だが名前は知っている作家との付き合いが、吉田健一を軸にして展開される構成になっていて懐古情緒を活性してくれた(育った田舎には本屋は自転車で30分の高校の所在地に書店が1軒あるのみでしたので、本は読まなかった(読めなかった)子どもでした)。
約50年前の大学生の頃は、演劇や音楽を聴きに頻繁に行けるような金銭的に豊かでもなく、そういう学生も周りにはいなかったので、時間をつぶすのは、もっぱら読書しかなかった。もちろん、カラオケやインターネットでサーフィンをなどという時間の使い方はなかったので、僕だけが文学に興味を持って、読書家という訳ではなく、ごく標準的な学生であった。それでも学生は読書するものという時代の社会環境であったので、普通の学生であった僕も「世界」、「展望」、「中央公論」、「現代の眼」などの総合雑誌を含め活字には親しんだ。
若い読者には、この評伝で展開される河上徹太郎、福田恒存、中村光夫、大岡昇平,三島由紀夫などと文壇史を紹介しても親近性はないと思うので取り上げないが、文学作品ではなく吉田健一という人間について知らなかった事柄も記載されていて、酒や食べ物に関する随筆だけに着目すべきではないとを恥じたので、そのことを記しておきたい。
外交官であった吉田茂の長男であり、明治の元勲牧野伸顕(2・26事件で暗殺対象になりながらも箱根にいて難を逃れた人)にかわいがられた孫であることなどは知っていた。金持ちの御曹司で英国留学を途中で切り上げ、うまい酒を探し美食三昧で暮らしたのだろうと勝手に想像していたが、骨のある人であったことをこの評伝を読んで知った。牧野伸顕も吉田茂も頑固な自立した精神の人であることも知ることができた。
われわれの対人認知(他人についての捉え方や思い込み)というものはいい加減なものであると改めて考えさせられた(反省!)。吉田茂は戦争前に陸軍に睨まれ、拘束されたこともあるということである。健一は終戦前の半年程海軍に徴用されたらしいが、戦後も数年間は金がなくてその頃の服装で過ごしたという(吉田茂の息子なので厳しく対応すべしという陸軍からの指示があり、そのために海軍は逆の待遇をしたという。仲間割れ状態の日本が戦争に勝てなかったはずである)。戦後すぐに父親は首相になっていたが、父親からの援助に頼らず、父親も援助はしなかったらしい。親子の間が疎遠であったということではないので、自立した親と息子の関係であったということなのだろう。牧野伸顕も戦後は表舞台に出ることをせず、清貧の生活であったらしい。
まだまだ紹介したいことはあるが、長くなってきたので一つだけにしたい。
吉田健一は外交官であった茂の長男であったので、英語や仏語がいわば母語であった。ケンブリッジから20歳頃に帰国してから日本語を学び直し、物書きを目指した人である。死後37年も経って独自の文学世界を日本語で構築したことを評価されているわけなので、それまでに至る努力は想像を超えるものがあったはずである。
この過程で彼が獲得したものの一つに、「もしそれが自分は少しも苦労せずに、つまり自分から解ろうと努力しないで何かが頭に入ってくるということならばそういうものに碌なものはない」という信念があったと引用があった。つまり受け身で獲得した情報は身に付かず、自ら能動的に獲得しないと有益なものは得られないということである。僕が「Be imitative」と言っていることと同義ではないだろうかと我田引水したい。
そろそろ、卒業式の式辞を準備する時期であり、「つかえるかも」とほくそ笑んだことでありました。評伝にでてきた沢山の未読本を、研究者を辞めたら読みたいのでもう少し元気でいなければならないと考えたのであります(「患者の話に耳を傾けるようになれた頃、医者は耳が遠くなっているという」、マーフィの法則風の、「本を読める余裕ができる頃には、視力も気力も衰えてしまっている」という囁きも聞こえますけど)。