仮説の検証 | はったブログ

仮説の検証

 気がつけば10月も終わりに近づいており、時の経つ速度がますます加速されている気がする。学長職について半年が経過したが仕事の内容が以前よりも多様化し、量的にも増えた。何でもとりあえずお伺いを的事項も少なくない。なかには「自分で解決しなさいよ」とか、「大学全体の将来のこと、考えてるのか」と反射的に内言が浮かぶ事項もあるが、プライバシーに関わることも多いし、多面的に情報が集まっているわけでもないので、にわか判断をするわけにもいかない。したがって、ブログを始めた頃のように、記載して気分を発散するというわけにも行かない。
 もともとは指導する院生間での情報交換の目的で始めたこのブログも今では様々な読者がいるらしい。思わぬ人から「読んでいるよ」と言われることがあり、客観的性が乏しい内容で個人を傷つけはしないかと気を抜けない(辞めればよいのだが、自分の認知の予備力対策なのだ)。
 週末に学長や理事長が集まる私立大学の総会がありその夜の晩餐会で関東の大学の学長になっている旧知の心理学者が、僕の席にやってきて「イスラエルに行ったんだってな」と読者であることを知らされた。お互いに小規模大学での大変さを慰め合ったことである。彼からは、学長をしている、あるいはしていた数人の心理学者の名前を教えられ、「心理学者はデータ依存でものごとを処理するからな。結構多いんだ」ということであった。悪く言えば原理原則に弱いと言うことかも知れないし、方円自在で対応力があるということかも知れないが、妥当性を持つか仮説かは不明である。もっとも、このような仮説を検証してもたいした面白くもないが。
 導入が長くなったが、価値のない仮説検証の話をしよう。僕でも知っているテレビ番組制作会社から、数日前に左ききに関連させた企画が持ちかけられた。
 曰く、きき手と血液型の関係を検証する実験を含んだ番組をやりたい。ついては相談に乗って欲しいという。担当者の頭の中にある仮説は、「左ききは、右ききに比べて天才と呼ばれる人が多い」、「血液型別で分析をするとB型の人は、独創的な人が多い」、「天才が多い左きき、独創的なB型、両方の特性を持った人たちが集まるとどんな行動をするのかを番組内で実験したい」、「B型左ききは巷で言われる変人なのか?それとも、巷の噂は迷信だったのか?番組内での実験から結果を導き出す」というものらしい。今はやっていない卒論指導で、テーマと決めなさいという指示への学生の返答にこの種のものが多かった。物事の考え方に科学的側面が乏しいと言わざるを得ない。もちろん、×の返事を返したが、親切なので理由も記載しておいた。
①「天才」ってどういう人を言うのかの定義ができるのか問題です。左ききにダヴィンチなど著名人がいるのは事実だが、左ききの母集団と右ききの母集団での学業成績を比べた研究は見たことはあるが、天才と呼ばれる人は誰かのデータは見たことがないので、ダヴィンチ=天才=左ききの図式からの直観ヒューリスティックスに過ぎず、認知バイアス(間違い)と考えられます。
②血液型と性格との関連研究などまともに相手にされるレベルのものはないです。今年に翻訳した「本当は間違っている心理学の話」には50のテーマが取り上げられて、すべての神話が否定されると言う内容である。加えて各章に20-30の検討すべき神話があげてあるが、血液型と性格のことには記載がない。神話でないというより、欧米では話題にすら上らないレベルの日本固有の神話のようです。
③2つの事象の関係を調べると、何かしら関連が見いだせ、ときには相関係数のような数値を算出できるけど、両者の関連を調べるための論理がないと因果関係を調べる手法である実験など考えられません。無駄ですよ。「へその大きさ」と「英語の試験成績」との関係は数値化できるが、数値が大きくても小さくても、2者を媒介する理屈が成り立たないと取り上げる意味はないのです。
と、いう具合に記載した。これで企画がボツになれば企画担当者はへこむかも知れないが、彼女がへこむ痛みより、いい加減な番組で人生の貴重な時間を消費させられたかも知れないテレビ視聴者の利益の方が僕には関心がある。仮に彼女の仮説が妥当というような実験結果が得られたとしても、残るのは左ききやB型の子どもが小学校あたりでいじめの対象になる光景を想像してしまう。気の弱い僕にはこの種の社会的責任は僕には負えない。
 自分の周りに左ききがいてその人が変人なのかも知れない、と彼女の直感ヒューリスティックスを生んだ環境に思いを馳せると、メールで、つまり文字言語での伝達では十分想いが伝わらず、番組制作者を傷つけたかも知れないと少しだけ気に病んでいる。