空襲警報体験からメディア情報を考えた | はったブログ

空襲警報体験からメディア情報を考えた

 イスラエルで開催された7月9日からの国際学会に参加した。エルサレムのホテルが会場であったが、値段や交通の便に加えて、以前に滞在していたので変わり様をこの目で確かめたいと思い、ホテルはテルアヴィヴにとった。共同研究者であったイスラエルの友人にも逢うことができた。77歳だという彼は昔より若返って見えた。
 1983年に滞在していたビーチ沿いのMarinaホテルはまだ存在してはいたが、封鎖されて廃墟に近かった(隣接して著名ホテルが建設中なので、そのうち壊される運命だろう)。辺りを散策すると関連した記憶が次々とよみがえる不思議な時間を経験することとなった。「生まれた家は、跡形もない。ホタル」の俳句を詠んだ種田山頭火の感慨もかくあらんと、感じた。
 かつては海水浴場とヨットハーバーしかなかったが、地中海に面するビーチはそれに加えて倍くらいの規模で遊戯施設やレストラン、有名店舗が軒を連ねるリゾートエリアに変貌し、ホテルの数も以前よりも増えてイスラエルの経済が発展してきたことがうかがえた。
 経済発展の指標はアルコールを飲む場所数で測定可能なのかも知れない(食べものの種類や味に大きな変化はなかった。経済発展指標には食べものは2次的なのではないのかもしれない)。と言うのは、テルアヴィヴ市内の繁華街ディゼンゴフ通りにはバーやカフェを始めとする飲食店が数多く出現していた。ヨーロッパの大都市同様にアルコールが提供される状況は、1983年頃に比べて大きな変化である。ディゼンゴフ通りで食事する場所探しの大変さや、ビールを求めて彷徨したのが嘘みたいな変貌ぶりであった。街頭の表記はヘブライ語とロシア語が並記され、英語の表記は激減したのも印象に残った。ロシアからの移民増の反映であろう。
 滞在3日目の夜に空襲警報のサイレンが鳴り、花火のような音がして窓が揺れ、ガザ地区からのハマスのロケット砲に、迎撃ミサイルが命中した結果であることを翌朝知った。その後、夜だけでなく昼間も空襲警報→防空壕へ非難という経験を何度かすることとなった。
 この様に書くと警報に逃げ惑う市民、地下壕に息をひそめる姿を想像するかも知れないが、実態はそうではない。ガザ地区とは異なりテルアヴィヴでは、空襲警報がなると建物の中に避難するのは事実だが、避難している時間は数分で、警報が鳴り終わると何事もなかったかのように人は街にあふれ、ビーチではラケットボールに興じるのである。
 イスラエルのミサイル迎撃網は完璧であると信じられているようで、空襲警報→建物に入る→ドンという花火のような音→日常にもどる、という数分間の繰り返しであった。テレビでのニュースは、ハマスの攻撃ミサイルを迎撃する様子(破片が降ってくる)が映し出されるが、人々の関心をそれほど引くものではない印象であった。
 今回のテルアヴィヴやエルサレムでの滞在は、現地にいた人間として、現実とインターネットで日本を含める海外のメディア情報とを同時に知るという希有な経験をしたことになる。前置きが長くなったが、これからが伝えたいことであるので、もう少しの辛抱をお願いしたい。
 日本のインターネットを検索すると、「ミサイル攻撃を受け外出を控える市民」という類の映像が得られたり、ガザ地区でイスラエルからの攻撃で破壊された建物の画像が提供されていたりしたが、ホテルのテレビに映し出されるのは、イスラエルの迎撃ミサイルが攻撃ミサイルを破壊する場面だけで、ガザ地区の破壊された建物の画像を見ることはなかった(始終、すべてのテレビチャンネルを見ていたわけではないけれど)。日本からのメールには「大丈夫か、朝の散歩は止めるように」などの連絡が入るが、街は平穏で、的外れの感が強かった。1983年当時の方が街に銃を持つ軍服姿が多かったように思える。
 日本やCNNでイスラエルに関するニュースをみると、破壊された建物、けが人を運ぶ救急車という画像や記事が報じられる。空襲警報という語彙から人々が連想するステレオタイプなイメージと何事もないような街という現実との乖離が、的外れ感をもたらすのであろう。
 つまり、メディアの情報は嘘ではないが全体像を報じることはないこと、紛争状態になれば国内メディアが報じるのは自分側の立場に立った情報だけであること、この2点を最近の機密保持法や集団的自衛権にまつわる国内事情とリンクさせて実感したことである。国際間で何かもめ事が起きるとき、伝えられるのは一方からの情報でしかなく、インターネットで検索は可能かも知れないが同時のそれらを比較する人間の割合はごく僅かでしかないのである。双方の情報を比較するという科学的思考を自らが身につけること、若者に付けさせることの重要さを痛感した。
 民族や宗教の対立がもたらすダイバーシティ(diversity)の克服の鍵は「殺さない、盗まない」というすべての宗教が求める倫理にあるのではないだろうかと、ガザ地区への地上軍の侵攻が始まる直前に、帰国の途につき、空港のテレビに映し出されるミサイル迎撃成功画像を見ながら考えた。他の民族を殺さない日本人であり続けること、それを次世代に伝えねばならないと、責任を感じたことであります。