不思議な4日間
第17回世界学長会議が6月12日から3日間横浜パシフィコで開催され、前夜のパーティから参加した。おかげで大学でのルーティン生活からは解放された4日を過ごすこととなった。参加者は36カ国から約350名が参加する規模の大きな集まりであった。文科省大臣や宮様も開会式に参加し(実際には代理しか来なかったけれども)、国連の事務総長がビデオメッセージを送ってくるというレベルの会議であった。正直なところ事前の調べなしに理事長に付いていった形なのだが、不思議な体験ができた4日間であった。世界には不思議がいっぱいである。
世界学長会議(IAUP)は、国連の高等教育施策(女性の参加、若者のグローバルマインドの育成、若者の多国間交流促進などなど)とジョイントする私立大学長の集まりで3年ごとに大きな大会があり、30年前には神戸で開催されたらしいことなどが自ずと判ってきた。日本の学長は私立大学協会メンバー(加盟校約500校)が多数参加し、私立大学連盟(加盟校は戦前からの大学で、基本的に新参者は加盟できないらしい)からはわずかしか来ていないように見受けた。
もうすぐ創立50周年という割には世界学長会議にどうして有名校は参加しないのかが不思議であった。この会議は個人で参加する形態だが、機関で参加する別の世界会議(IUP)もあるらしい。類似の集まりをいくつも作るのは,おそらく長になりたい人が多いのだろう(これは不思議なことではない)。
初日のウェルカムパーティではウクライナの50歳代の女性学長と話す時間が長かった。父親が大学を創設したということである。私立大学はどこの国でも世襲制であるらしい。これも別に不思議ではない。本国はほぼ内戦状態なのに,どういう経路できたのかなどと聞くと自分はキエフなので、大丈夫!みたいなことであった。連日のBSニュースのウクライナ情勢とは乖離が大きく不思議であった。タイの大学の学長も家族連れで、父親とそっくりの若者がいたので親子かと聞くと子どもは米国に大学の学生と言うことであったが、お国の状態は大丈夫なのかなあと不思議であった。どこの国でも特権階級は別で、不思議でないということか。
イラクの大学からの老齢の夫妻(学長会議なので自分を含め、たいていは老齢なのだが)とはガラディナー(余興付きの夕食会のこと)のテーブルで一緒になった。この日のセッションで、クルド地区に3年前にできた大学の学長とともに、話題提供していたイラクの大学からの学長夫妻であった。アルカイダ勢力が首都近くまで攻め込んでいるニュースを朝に聞いたばかりで安全に帰国できるのか僕は心配したが、夫妻は富士山への生き方や広島へは日帰りできるかを聞くだけで、不思議であった。
彼らは国連の研究者救援活動計画でイラク戦争時にイラクから救出された人であることは,国連が仕切るパネルディスカッションで知った。イラクやクルドからの参加者は国連が上手く処置するのかも知れない。しかし、スカラー・レスキュー・プログラムなどというそんな活動があることは知らなかった。国家が崩壊し再建するときに学者や医者、研究者など高学歴の人間は国連が救い出してくれるらしい。国家を再建するには高等教育を受けた人材は不可欠という理屈は判らないでもないが、人権はすべての人間で平等ということではないというのが国連での共通理解のようである。違和感を抱く僕は大方の参加者からみると不思議なのかも知れないけど。
上妻宏光の津軽三味線がガラディナーの余興のメインであった。ピアノと和太鼓との3人でのセッションで、それなりに盛り上がり楽しかったのだが、上妻は途中で1曲だけ歌を歌ったが、それは「雨は降る降る,人馬は濡れる。越すに越されぬ田原坂。..」であった。西南戦争を描く歌であり、梅雨時だから雨の歌を選んだのかも知れないが,ヨコハマだし、その日は前日とは打って変わった快晴であった。不思議な選曲であった。
4日間も横浜パシフィコを借りて国際会議をする予算は何処からでるのかは最大の不思議ではないのかと読者は聞きたいかも知れないが、スポンサーがいるのだ。僕にも不思議と言うしかない。
5時過ぎに自宅に戻ると畑のキュウリが急成長(しゃれではなく)していた。思いがけない速さでの成長を目のあたりにして、「不思議な4日間であったなあ」と自問したのでありました。日曜日に来た孫のためにジャガイモを抜いてみせたが、彼女はとくに関心を示さず、集めたイモをあちこちに掘り投げるのに夢中でした。子どもが一番不思議な生き物かも知れません。
世界学長会議(IAUP)は、国連の高等教育施策(女性の参加、若者のグローバルマインドの育成、若者の多国間交流促進などなど)とジョイントする私立大学長の集まりで3年ごとに大きな大会があり、30年前には神戸で開催されたらしいことなどが自ずと判ってきた。日本の学長は私立大学協会メンバー(加盟校約500校)が多数参加し、私立大学連盟(加盟校は戦前からの大学で、基本的に新参者は加盟できないらしい)からはわずかしか来ていないように見受けた。
もうすぐ創立50周年という割には世界学長会議にどうして有名校は参加しないのかが不思議であった。この会議は個人で参加する形態だが、機関で参加する別の世界会議(IUP)もあるらしい。類似の集まりをいくつも作るのは,おそらく長になりたい人が多いのだろう(これは不思議なことではない)。
初日のウェルカムパーティではウクライナの50歳代の女性学長と話す時間が長かった。父親が大学を創設したということである。私立大学はどこの国でも世襲制であるらしい。これも別に不思議ではない。本国はほぼ内戦状態なのに,どういう経路できたのかなどと聞くと自分はキエフなので、大丈夫!みたいなことであった。連日のBSニュースのウクライナ情勢とは乖離が大きく不思議であった。タイの大学の学長も家族連れで、父親とそっくりの若者がいたので親子かと聞くと子どもは米国に大学の学生と言うことであったが、お国の状態は大丈夫なのかなあと不思議であった。どこの国でも特権階級は別で、不思議でないということか。
イラクの大学からの老齢の夫妻(学長会議なので自分を含め、たいていは老齢なのだが)とはガラディナー(余興付きの夕食会のこと)のテーブルで一緒になった。この日のセッションで、クルド地区に3年前にできた大学の学長とともに、話題提供していたイラクの大学からの学長夫妻であった。アルカイダ勢力が首都近くまで攻め込んでいるニュースを朝に聞いたばかりで安全に帰国できるのか僕は心配したが、夫妻は富士山への生き方や広島へは日帰りできるかを聞くだけで、不思議であった。
彼らは国連の研究者救援活動計画でイラク戦争時にイラクから救出された人であることは,国連が仕切るパネルディスカッションで知った。イラクやクルドからの参加者は国連が上手く処置するのかも知れない。しかし、スカラー・レスキュー・プログラムなどというそんな活動があることは知らなかった。国家が崩壊し再建するときに学者や医者、研究者など高学歴の人間は国連が救い出してくれるらしい。国家を再建するには高等教育を受けた人材は不可欠という理屈は判らないでもないが、人権はすべての人間で平等ということではないというのが国連での共通理解のようである。違和感を抱く僕は大方の参加者からみると不思議なのかも知れないけど。
上妻宏光の津軽三味線がガラディナーの余興のメインであった。ピアノと和太鼓との3人でのセッションで、それなりに盛り上がり楽しかったのだが、上妻は途中で1曲だけ歌を歌ったが、それは「雨は降る降る,人馬は濡れる。越すに越されぬ田原坂。..」であった。西南戦争を描く歌であり、梅雨時だから雨の歌を選んだのかも知れないが,ヨコハマだし、その日は前日とは打って変わった快晴であった。不思議な選曲であった。
4日間も横浜パシフィコを借りて国際会議をする予算は何処からでるのかは最大の不思議ではないのかと読者は聞きたいかも知れないが、スポンサーがいるのだ。僕にも不思議と言うしかない。
5時過ぎに自宅に戻ると畑のキュウリが急成長(しゃれではなく)していた。思いがけない速さでの成長を目のあたりにして、「不思議な4日間であったなあ」と自問したのでありました。日曜日に来た孫のためにジャガイモを抜いてみせたが、彼女はとくに関心を示さず、集めたイモをあちこちに掘り投げるのに夢中でした。子どもが一番不思議な生き物かも知れません。