GWが終わった | はったブログ

GWが終わった

 ここ2年ほどGWには早春の信州を楽しむことをしてきたが、好天恵まれたにもかかわらず、今年は2日から6日までの5日間を自宅で過ごすこととなった。12月から居候をしていた次男が出産を終えた嫁と合流する駅前マンションへの引っ越しの手伝いがあったためである。結局、夏野菜の支柱の組み立てや孫の相手などで何をして過ごしたか思い出せないような時間の経過で終わった。昨夜から孫もいなくなり、空の巣症候群などと名付けられた空虚感はこういう類の強烈なことかと思ったりする。
 女の子の初孫は1週間たらずの滞在で500gほども体重が増え、表情や仕草が日ごとに豊かになることを楽しめた。上下動のあやし方を好むので背筋や内股に筋肉痛が残っている。振り返れば、子どもを育て、彼らが家庭をもち、孫の世話をするという発達課題をつつがなくこなせてきたのは幸せなことである。次男の仕事の都合で週末は家に来ることになるらしく、日ごとに大きくなる乳児を見るのは楽しみであり、送迎用に車に付けたチャイルドシートもBaby in my carのステッカーもそのままにしてある。
 連休中に学会の抄録を書く予定はこなせたが、3月末に書いた論文の下書きに手を入れることも読みかけの安岡章太郎の「流離譚」の下巻を読み終える予定もできず終いでGWは終わる。若い頃だと何とかして自分で決めたスケジュールをこなそうと焦ったものだが、まあいいかと自堕落になっていくのも年齢のせいであろう。
 「流離譚」は著者が亡くなったニュースを知り、本立てに彼の本があったことに気づいて読み直し始めたのだが、なかなか進まない。寝る前に数ページも読まないうちに本を閉じるのが何十日も続いているためである。眼鏡をかけなくても就寝前に読めたのが、半年くらい前からは著しく困難になってしまった。老化は着実に進行していることを思い知らされている。もっとも、酔いに任せて寝るつもりが、読書が面白くなって寝むり難くなることはなくなってよかったと何事にもポジティブに解釈することが多くなった。これも老人特有の性格であろう。
 「流離譚」は著者の先祖が土佐藩の郷士で勤王党に属し、投獄されるなど一族のルーツを探る内容である。安岡がルーツにまつわる本を書こうとしたのも加齢のなせる業に違いない。資料を読み解く作業をしながらの歴史書とも思えるもので、司馬遼太郎と類似した資料の使い方をするが、安岡の方が一般向けの性格は薄い。しかし、面白いのでお勧めである。上下の2巻構成で未だ7割ほどしか読めていないが、幕末の土佐藩の上士と郷士の階級闘争や封建制度の具体的な中身については始めて知ることが数多いからである。武市瑞山(半平太)は上士なので疑惑を受けても拷問はされないのに郷士は拷問で責められることや坂本龍馬などのような脱藩者は一族が責めを追うことなどはよく知らなかった事実である。身分制度の堅牢さや土佐藩に掛川から移ってきた武士と土着の武士との何世紀にもわたる確執などは,人間の心理構造の有り様を教えてくれる。江戸後期に経済が発展して藩校などで下級身分のものが教育を受けると身分制度をひっくり返す者達を生み出すわけであり、歴史の移りゆく仕組みが見えてくる。國を豊かにしようとがんばり、その結果教育を受けさせる範囲を広げたことが、自分たち権力者が追い落とされることの原因となるという皮肉な歴史の仕組みは現在の世界の経済発展と、新興国の勃興の仕組みの理解にも示唆が多いなあ、などと思いを巡らしている。
 次男夫婦の世話から解放されて老人ホームへのボランティアに出かける家内を送り出し,久しぶりの一人の時間を楽しめた。今日で終わりのGWもこれで良いのだと満足することにしよう。