新年度が始まった | はったブログ

新年度が始まった

 4月から新しい年度が始まった。3月が目の回るほどの忙しさであっという間に過ぎ去ったという感覚に比べて、4月の時間の流れは遅かった。今の大学に移籍して5年が経過したので4月からは新しい契約年度に入ることになった。退職金をもらって、再雇用というわけだ。退職金は高級官僚がつぎつぎと2-3年おきに職場を変えその都度受け取ったはずの金額の1割程度を受け取ったにすぎない(もらえるだけ有り難いのは言うまでもないので,文句を言っているわけではない)。生活の実態は本質的に変わらないので退職したとか、新規の雇用年度が始まったという特別な気持ちがあるわけではない。
 4月からは教務部長職を解いてもらえたので肩書きは2つとなった。毎日何度も何かしら問題がわき出る教務部長の仕事がないのは、有り難い。3月までの忙しさの原因はこれだと確認できた。もっとも、4月からは様々な日常的なことではないもっと規模の大きな課題をあてがわれたので,気分的にはうっとうしい。
 新学期の授業開始の初日の4月8日第一時間目にキャリアデザイン科目での講義を行った。2年前のカリキュラム改革で新規に作ったキャリア関連科目の2年生用の授業である。キャリア科目の設置は法令化されたので一般に大学では専門教員を採用している。カリキュラム改革を主導する過程で面倒なやり取りに時間を掛けるのも、と考え、僕は敢えて理事者に専門教員を要求しなかった。
 高等教育の改革に関わった連中がキャリア科目の設置を法令化させたのだろう。就職してすぐ辞める新卒生対策でミスマッチを減らさないとたまらないとする企業側の意向が底辺にあるはずである。文科省に都合がよいことだけつまみ食いさせる高等教育の研究者は何をしていると言いたくなる。
 いままで教員養成系大学にあった「進路指導」の科目担当者が担っていた内容がキャリア科目の基本内容と考えられるが、専門の大学教員が育成され設置が準備されてきた形跡は皆無なので、多くの大学に行き渡るほどの専門教員はいるはずがない。企業などの人事経験者を採用せよということだろうが、学生たちのためになるキャリアの授業が可能かは怪しいし、にわか作りの教員が大学に紛れ込むのであれば誰でもできる科目とも言える。第一、キャリア教育を中身の濃いものにするのであれば、大学に1人くらい採用したところで足りるわけがない(1学年4000人規模の大学で選択科目にして200名未満が受講しているに過ぎないのがほとんどの大学の実態)。それならば自前で担当者を育成し、すべての学生にしっかり学ばせるべきだと考え、1年から3年まで必修化したのである。2年目に入ったところなので、成果は未だ検証できないが、小規模大学での立派な特色にできると思っている。そう言うわけでキャリアデザイン科目の旗振り役を自らやる羽目になり(自分で自分の仕事を増やしたことになっている)年度初めの講義をすることになった次第である。声高には言えないが,他大学でやっているキャリアデザインの授業内容は,ミスマッチを避けるノウハウ、エントリーシートの書き方など、些末な内容が大半である。これらが不要とは言わないが就労の基本的なことを学生に伝えることに力点を、と考えている。「何故働くことが必要か」、「労働とは身体と時間を賃金と交換すること」、「働いて税金を納めるのは何故か」、「労働に必要な知識」、「追い出し部屋などの手口」などの方が小手先の手続きを教えるよりも重要なはずと考えている。
 キャリアの授業は昨年から始めているが、「義務教育には税金が使われているのを知って驚いた」、「年金は自分らの税金でまかなわれているとは知らなかった」とコメントする学生や「頑張らないものは頑張るものの邪魔をするなという竹中平蔵の発言に、「同感だ」などと記述する、社会的な仕組みについての無知と自分は強者側にいるのだと思い込んでいる学生が少なくないので、科目を設置した真の目的の達成は容易ではない。しかし、選択科目で半年キャリア科目を受講して,法令を形式だけクリアしているだけの大学との差別化を目指さねばならない。知らないことが多すぎる心優しい学生に、働く意味と賢く働く知恵をしっかり身につけさせれば、穏やかな老年期までの就労が可能となるはずだからである。
 すっかり大学の経営者みたいな物言いだねと皮肉られそうだが、新しい雇用契約では経営サイドに身を置くことになってしまったので仕方がない。
 このようにして,数年前にナカニシヤ出版から共編で出した本のタイトル「幸福な高齢者としての生活」は今しばらく延期というわけである。今日はお産で里帰りしていた初孫が始めて自宅に来たので「幸福な高齢者」の一部要素は充足されているが、「穏やかな」という生活には未だ時間がかかりそうである。でも、夏野菜の苗(ゴーヤ、キュウリ、トマト、ピーマン、オカワカメなど、2-3本づつ)を今日買いに行って植え付けを済ませたので「穏やかな」生活の一部は充足できていると自分を納得させつつ成長を見守りたい。