日本の歌を勉強する | はったブログ

日本の歌を勉強する

 後期の授業がいよいよ始まる。管理職であるにもかかわらず、担当授業のコマ数はそれほど減っていない。その理由には昨年度カリキュラムの改革をして、教養科目やキャリア関連科目を新設したが、新規に担当教員を採用せずに自前でやる方針を採用し、自らが何時間分かを担当するようにしたためである。大学の資金が底をついたという理由ではないが、理事者側から教員を新規採用せずにカリキュラムを改変するという難題を担わされたためで、カリキュラム改革の責任者としては、自分でも負担を担わないわけにも行かずと言うことで、自業自得の結末である。最近はこういうことにあまり怒りが生ぜず、「まあ、いいか」と考えてしまう。こういうのは脳機能の加齢による変化らしい(Science2012年の336卷のBrasson論文に脳科学的証拠が提示されている)。
 新規に行う後期科目に「教養としての芸術」があり、2コマを担当する予定で、日本語表記の特性と芸術との関係についての内容を考えている。1月末の予定であるが今から準備しているという感心すべき状況にある。役目柄突然に予定が入るので,準備を怠るわけにはいかない。すでにある程度準備はしていたが、加筆せねばと感じることがあったのでその経緯を書く。今回のコラムは読むと勉強になるはず。
 加筆せねばと思ったきっかけはテレビで江差追分の歌唱コンクール番組を見たことで、江差追分の奥の深さに感心し、授業に甚句を加えることにした。年を取ったせいなのか日本の歌が気になるのである。とくに日本語の甚句に含まれるモーラ(拍)が気になるのである。
 この番組で歌唱者は、「カモメ鳴く音に ふと目を覚まし、あれが蝦夷地の 山かいな」という甚句を「カモメ鳴く音に」の部分だけで30秒近く声を継がずに自分流に歌うのである。合いの手はソイソイである。江差追分には音符はないので、自分流に歌うのだ。息を継がずにコブシを転がす上手さを競う番組であった。音域がやたら広いことと母音を長く歌うのが特徴である。もちろん江差追分には「カモメ…」以外にも大量の甚句がある。
 ちなみに追分は「牛馬を追い,分ける場所」で牛馬と歩く道すがら心地よい拍から構成される甚句を歌ったのであろう。それらの評判の良いものが民謡に転化したのだろうと、勝手に推量している。
 以前にモンゴルの歌手が長時間息を継がずに声を転がす様子と似ていると感じ、われわれはモンゴリアンであることを再確認したことであった。
 ちなみに、甚句とは江戸時代に発生したといわれ、歌詞が7、7、7、5拍(モーラとも言う)で1コーラスを構成するもので、全国各地の民謡にこの形式が多い。ハッタは「ハ」「ッ」「タ」で、3モーラ〔2音節〕、チョコレートは「チョ」「コ」「レ」「-」「ト」で、5モーラ〔4音節〕である。音韻構造で定められる音節とは違うものである。
 甚句で真っ先に浮かぶのは相撲甚句で、土俵上で力士5~7人が輪になって立つ。輪の中央に1人が出て独唱する。周囲の力士たちは手拍子と、「どすこい、ほい、あ~どすこい、どすこい」といったような合いの手を入れる。
 七五調は日本語の特徴で心地よいらしく、江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804-1852)によって大成された音声言語による定型詩都々逸(どどいつ)は7・7・7・5の音数律に従う。
 「ついておいでよ、この提灯に、けして(消して)苦労(暗う)はさせぬから」。「あとがつくほど、つねっておくれ、あとでのろけの種にする(あとがつくほど、つねってみたが、色が黒くて わかりゃせぬ)」など色っぽいものを講義で例としてあげて受けを狙うか、「内裏びな、少し離して また近づけて、 女がひとり 雛祭り」、「ぬいだまんまで いる白足袋の、そこが寂しい 宵になる」などの文芸調が良いか思案中である。
 いずれになるかは当日まで不明だが、日本語の音声言語としての特徴を生かした、芸術や芸能が様々な形で展開されてきたことを紹介し教養を高めてもらうつもりである。
 このような言語をつかう行動は、脳科学的には記憶(宣言的記憶,作動記憶)を使用するので辺縁系及び前頭葉前部の機能が活性され、認知予備力(Cognitive reserve)を高める、と我田引水的に結論づける予定である。
 忙しい忙しいと良いながらもコラムを書いているのは、私の認知予備力を高める作業なのであります。