最終講義 | はったブログ

最終講義

 書かねばと思いつつこのコラムの原稿にまで手が回らなかったのは、年度内に脱稿の約束をしている新書の原稿書きと最終講義の準備が重なったためである。年明けからは上記の2件が重荷になっていた。言うまでもなく授業や試験もあったので大変だったのだ。両方とも目処が付いたので、しばらくぶりのブログである。
 最終講義をするのは名大を退職するためである。定年1年前なのだが、関西の私学にいる友人達から勧められ、急に退職することになってしまった。このことにまつわる事情はまた別に記載することもあろう。別に、セクハラ疑惑など居づらいことが急に生じたためでは決してありません。
 最終講義は途中退職なので義務ではないがやらせてもらうことにした。来年から名古屋大学でも始まる個人評価を避けて退職するのかと疑惑の目で見られるのも嬉しくないという理由と、けじめだからと考えるためである。
 さて、最終講義に何を話すかという段になってその内容に困ってしまった。これまでに幾人かの最終講義に出た経験はあるが、あまり内容は覚えていない。卒業式の学長の訓辞では「痩せたソクラテスたれ!」などの印象に残るものがないわけではないが、最終講義の内容はたいてい自分の個人史や自分の研究の中味を紹介するものが多かったようで、あまり印象深いものはなかった。自分の最終講義もおそらく、そうなるであろう。
 最終講義は「健やかな老年期のために」というタイトルでここ7年ほど実施してきた中高年者の高次脳機能に関する話題を準備中である。講義の内容の具体はここで書くわけにはいかないが、準備をしている途中で気づいたことがある。健やかな老年期には内科機能、骨・筋肉機能、認知機能がそろわねばならないというのが骨子なのだが、認知機能を如何に維持するかに関わっての気づきである。
 認知機能の基本である言語、注意、記憶などを高齢になっても維持することがどうすれば可能かが大問題なのである。認知機能の維持のために脳トレが喧伝され、実行者も多いようだが、脳トレのグッズを買い込んで始めてもおそらくは長続きせず無駄に終わるだろうと考えている。何故ならば、ゲームの類で実行者が長続きすることは例がないためである。ルービックキューブ、フラフープしかりで、ブームは基本的に長続きしないものなのである。
 長続きするのに必要な要素何かに気づいたのだ。それは、自己効用感を維持できることが必要ということではある。高齢者(自分も例外ではない)が元気よく言語、記憶、注意機能を発揮するのは昔話をするとき、自慢話をするときと相場は決まっている。いずれの場合も相手が知らないことを自分は知っているという自己効用感が持てる事態である。この効用感が高次脳機能を発揮させる動機づけとして作用すると思えるのである。実は、住民検診に参加した高齢者を相手に学生が文通する実験を行い、認知機能や筋運動系機能を測定したことがある。その際に2ヶ月間7日ごとに手紙を書いてもらうのは、途中で脱落者が出ることを想定していた。しかし、20人の対象者は誰も脱落しなかった。つまり動機づけが高い課題を準備できたのだ。そこでは、過去のことがらを学生が尋ねる形式を採った。記憶の回想を動機づけたのは、熱心に聞いてくれる相手がいるために自己効用感を保持できたに違いない。
 このように考えると、高齢者側が自己効用感を維持するための環境整備には、話題が、「その話は前に何度も聞いた」と言われないような新鮮な話題を提供し続けること、次々と自慢できることが繰り出せることが大事である。それと同時に、若い人は「それから、どうなったの?」などと関心を示すふりをすることが大切である。若い人のこれらのふりが、高齢になっても認知機能を維持させ、若い人の負担にならない策として大切であると思われる。

 数日前に、名大の授業を残すというプロジェクトの担当者から、最終講義のビデオ撮影とライブラリーに加える著作権の譲渡の依頼があった。講義は名大の財産と言われると、長年に渡って禄を飯できたものとしては拒否できない。しかし、記録されるとなると、講義での発言内容に気をつけねばならない。大学の執行部の悪口や面白くもないギャグを言ってしまわないかと心配である。とまれ、最終講義の記録はどこからでも何時でもアクセスできるようになるらしいので、関心のある読者はご覧になって下さい。