概算要求雑感 | はったブログ

概算要求雑感

 病気辞任の学部長に代わり概算要求に関わった。いままで概算要求について全く知らないわけではないが、部局全体のそれも他部局にまたがるような規模のものに関わる経験は始めてである。約2ヶ月に渡るやっかいな交渉ごとも昨日で大方の目途がついたという感じでいるが、学ぶことが多かった。以前、これらの交渉時に感じた鬱憤を書いたことがあるが、その後の過程で必ずしも他部局の交渉者が分からず屋でひどいとも言えないことが判った。しかし、それは決して言うわけにはいかないレベルのもので、政治的折衝にはある種の欺瞞や駆け引きが付随することも経験した。
 今になって思うことは、こんなにもめたのは、当事者が俯瞰的に事態を捉えていなかったことに起因すると言える。独立行政法人化を目前にした時代での概算要求というものの特性をしっかり把握できていれば、もっと簡単にことは済んだ可能性が大である。責任者が俯瞰的に捉えていなければならないはずなのに、そうではなかったということである。責任のなすり合いをするつもりはないが、俯瞰的にものを見ることを時々はしないと、的を外してしまうということである。昨今、流行語の抵抗勢力なるものも、渦中にある人に流れが見えないため、それなりに懸命に悪気なく動いているが、事態に棹さして、そのように呼ばれてしまう羽目になるのであろう。
 今回の概算要求折衝においては、幸い僕らのグループは大学トップの意向や構想を直接知りうる手だてがあったため、ほぼ望んでいる形で収拾できた。直接交渉している相手よりもさらに上位にある基本理念・構想を知りえたので、(途中では混乱させられ、気分を害したりどなり合ったりで、往生したが)最後はうまくまとめることができたのである。つまり、もめている交渉ごとを俯瞰できたことがよかったのだと思っている。
 ときどき鳥になり、自らを取り巻く状況を俯瞰することが大切なのだということを学んだ。Bird Viewの大切さを知ったということである。つまり、If I were a birdの気持ちで、返り見ることである。このことは、単に反省することを意味しているのではない。反省ならサルでもできる。少し高見から自分を捉え、自らの行動の戦略を立てる、律することである。これは、サルにはできないことであると同時に、NOVAに駅前留学しなくても可能だ。