たら・れば(15/6/8) | はったブログ

たら・れば(15/6/8)

「たら」・「れば」とは、もし何々だったらという仮定の話で、もしこれこれだったらとか、何々だったらという、ことを言う。未練たらしいことを考えるのは嫌いで、僕は基本的には考えない質である(と自分では思っている)。しかし、全然考えないかというとそうでもない。めったに考えないが皆無ではない。先週末に2回も考えてしまった。珍しいことである。
一つ目は池田小学校児童殺傷事件に関してである。報道ではまる2年たつのを機会に被害者遺族と文科省、付属小との間で賠償がまとまったという。それを期に、辞任を申し出ていた山根校長が校長職を辞任するという新聞報道があった。遺族の一人が教授職も辞任するのが筋だというコメントが出ていた。付属の校長職は大学の教授の併任であり、実際は名前だけのものである。山根さんは僕より1年上だが、大阪教育大では、このあたりの年齢の心理学と教育学の教授が5つほどある付属学校の校長を併任する仕組みになっている。心理学では僕より年少の2人が別の付属学校の校長を併任している。たまたま池田の付属の校長が当たったというだけなので、山根さんには運が悪かったとしかいいようがない。昔一緒にソフトボールに興じたから言うのではないが、山根さんは真摯に対応してよくやってきたと思う。遺族などからの責めは大変だったろうと同情を禁じ得ない。
僕が名古屋大に移らなかっ「たら」と考えてしまった。池田付属の校長を併任していた可能性は少なくない。僕だったら、山根さんのようには平身低頭、誠実に対応できなかったと思う。付属は廃止すべきだと昔から僕は主張してきたから、たぶん大騒ぎを起こしていたに違いない。事件以後、安全マニュアルが作られ市町村の教育委員会に配布されたが、大半は読んでいないという記事を載せていたが、前記のコメントを述べた遺族は翌日の新聞で、そこでもコメントを寄せており、そういう事態は池田小学校に問題があるという、訳の分からない幼児性の強い八つ当たりを言っていた。こういう遺族を相手に僕は一悶着起こさずには居られまいと思う。山根さんに激励の手紙を出そうと思ってしまった。
2つ目は、アカデミックな話である。以前に行動の終止メカニズムを勉強したい旨のことを書いた。たまたま、文献を検索していたら、2編の関連論文が見つかった。1999年と2002年の新しいもので北欧の研究者によるものである。これから読もうと思っているが、それらの引用文献にDimond先生の研究2編が記載されているのに気づいた。1971年頃の仕事である。僕がここ1年ほど前から気になっている問題意識をすでに30年も前に取り上げていたのだ。僕がDimond先生に出会ったのは1977年なのでこの種の仕事は知らなかった。追いつけない研究者というものに30歳の頃に出会えたことをありがたいと思うしかないが、先生が43歳というような歳でなくなるのではなくせめて10年ほど長生きしてくれてい「れば」、という思いに駆られたことであった。