何か変だ(8/28)
今年の8月はものすごく忙しかった。思い返せば、初旬に北海道で実験による資料収集、名古屋での大学説明会、東京での大学評価基準作成関連の2種類の会議、大阪での学会、京都での研究会と飛び回っていた。この他に大学内の委員会や膨大な量の大学評価関係の書面作成があった。例年、夏には海外に学会関係で出かけて息抜きができていたのに、今年は自宅でのんびりという日は一日もなかったといっても過言ではない。今までの人生で一番忙しい8月であったような気がする。日本の大学で教えている米国人の友人に忙しさを嘆くと、I sympathize with your situation! I have experienced only 1/100th what you have endured, but I also have the strange feeling that the "reward" for a good research career is bureaucratic punishment!!! Something is wrong here と返事が来た。そうだよなあ、うまいこというなあ、と感心した。日本では少し大学で目立つと(それは研究者としてなのだが)、大学での管理職的仕事が当然のように割り振られてくる。管理職をしていると、東京での会議などの委員に当然のように指名されてしまう。この種の委員は大学に配分されるので非協力的な印象を与えないために引き受けざるを得なくなる。ますます、仕事は増え、新幹線に乗る回数が増えることになる。まさに命を削っている感覚があるが、東京での会議に出てみるともっと忙しそうな人が大勢いるので、愚痴も言えないなあと思ってしまう、という仕組みが次第にできあがる。忙しい者はますます忙しく、使える者はどんどん使おうとしているようで、まさに、bureaucratic punishmentを受けているようである。
何かが変である。
先週は大阪からほぼ満員ののぞみに乗り(駅の予約掲示ではたいてい満席となっているが、以外と空いているときがあるのだ)、空席にとりあえず陣取り、京都、名古屋、新横浜と予約客がこなかったので、ラッキー!と、とてもうれしかったのだが、予約する時間もなく新幹線に飛び乗り、空いている席に座ってみて、停車駅で、予約客がこないのを喜んでいる場合ではない。何か変だ、と思っているうちに、自分の研究の進捗が明確に変だとなってしまうのはごめん被りたい。そうかといって言って、いつまで論文書きなどやっているのかと白い目で見られるのも困るし、悩ましいことである。