ああ~長崎はひどい、雨だった | はったブログ

ああ~長崎はひどい、雨だった

 長崎に出張した。シーボルト大学という新設の大学で情報関連の授業がどうなっているのか、心理学に関係するポストを医療系の学部で獲得するにはどうすればよいのかを探るのが真の目的の出張であるが、マラッカ海峡で海賊に拉致された会社の社長が記者会見で述べたように、公式の目的と真の出張目的がやや異なることがあることについては、目こぼしを御願いするしかない。
 余った時間でグラバー邸を訪問した。17歳の頃に高校の修学旅行に来たことや、好きだった女の子らと何とか一緒に写真が撮れないかともだえていたのを懐かしく思い出したりしたことであった。新しく知ったことは、キリンビールの生まれるもとはグラバーらが関係していたこと、意外と狭いところに住んでいたのだなということや、旧長崎高等商業が東京、神戸に続いて長崎に3番目に出来たということである。長崎大学の経済学部は伝統があるということである。

 長崎シーボルト大学で学んだことの一番重要なのは、約束は当てにならないということである。長崎県には2つの県立大学があり平成20年度には合併するらしい。噂なのかも知れないが、数年前に大学設立のために集められ当時は70歳まで勤務できるとされて就任した教員も合併時には選抜されるようである。見せてもらった職員紹介の本では僕よりもかなり年長の教員の方が多数おられる印象を受けた。開設時にかなり無理をして教員を集めた印象をうけたが、3年後に合併するときには篩いにかけるようである。「新しい組織ですので、連続していません、悪しからず」ということなのだろう。よい方法だとは思うが、管理者側か、教員側かどちらの側で判断するかで大いに異なる。気をつけねばと思った次第。
 思案橋界隈で飲んでホテルに帰る頃には夜から雨になった。「雨の丸山、訪ねても、冷たい雨が降るばかり…」などとクールファイブの歌を思わず口ずさみながら宿に帰り寝た。疲れていたのか爆睡した。
 翌朝は天気予報の通りに雨だった。知人迎えに来てもらった8時頃はたいした雨ではなかったのだが、だんだん雨脚がひどくなった。大学によった後で長与町で高速艇に乗るころには風も出てきた。20分ほどで縦揺れのする船を下り、空港について10時25分の飛行機に乗るべくチェックインをすませ、待合室に入っていくと、逆走する人がぞろぞろ出てきた。飛行機のキャンセルが出たのである。前線の通過ということで、飛行機は悪天候のために海上空港である長崎空港に着陸できずに福岡空港につぎつぎと降りているという。僕の乗る予定のANAは悪天候の表示だけで、なかなかキャンセルが出ない。あわただしく電話を大声でかける人や(たいていはキャンセルを楽しんでいるように思えたが)、朝の便から遅い便に切り替え、待ち時間の長さをしつこく繰り返すおっさんのグループなどで、何とも異様な風景の待合室であった。ガラス越しの滑走路には強い雨がアスファルトを叩きつけながら吹き抜けていく。
 僕は福岡空港まで連れて行かれるのかも知れないと思いつつ比較的冷静であった。この日は何も予定がなかったからである。出張前日に水曜日の教授会の打ち合わせを4時からやることにしていたのだが、事務方の都合で水曜日の朝に変更してあったために、月曜のこの日は高槻に帰ればよいだけの予定であった。
 幸いなことに50分遅れで出発の表示が出た。伊丹には結局1時間遅れで、揺れながら着陸した。5分後発の空港からのシャトルバスに運良く乗り込むと、今度は御堂筋で事故があったらしく、経路を変更されて25分で着くところを50分も掛かって雨の新大阪に着いたことであった。トラブルは重なるものである。

 教訓。1)余裕を持ってスケジュールを作っておかないと精神衛生に悪いことになる。2)世の中には何が起こるか予測不能であるということ。3)結局、僕は福岡まで連れて行かれて新幹線で帰ることにはならなかったので、憑いているのかも知れないと、ポジティブに思うべきであるということ。4)キャンセルで移動があったときに荷物があると困ると判断して土産を買うのを控えて得をしたかも知れないということ。
 あわただしい出張のために、うまい酒と新鮮な料理とおしゃべりに終始してしまい、クールファイブの歌をカラオケで歌うことを失念してしまった。残念!!。