半年以上前の話の割りにシツコク続きである。
晴天が続いた島の天気が一変し、風と雨に包まれた。
任務を終え、イベント前に独り帰還するスタッフを送りに港へ。
乗船予定の船は台風並みの風に翻弄され着岸をやり直すが、数度やり直して無理だと判断したら諦めてそのまま行ってしまうそうである。
だから一同車の中から風に傾く船の動きを固唾をのんで見守る。



船は無事着岸。
そして我々スタッフは3度目の引越しで、この風雨とは関係なくも避難施設送りとなる。
施設の入り口にヘリポートが有ったり、建物内にもこんな装備があるのでなんとも仰々しいが、守られている感は強い。


ただいかんせん愛想が無く無機的すぎる感はある。

そんな施設に当日スタッフ達がなだれ込み、人口は一挙に数倍にも膨れ上がった。
そして迎えたイベント当日。
天候は快方に向かっていたがメインコースは濃いガス(火山性ガスでは無く霧のほう)に包まれ、予備会場をつかうことに。
イベント中のことは画像撮ってるヒマなどなかったのでオフィシャルレポートで。
半月滞在の島流し組にしてみると、雨風という嵐の去り掛けに、イベントがまた嵐の如くやってきて、嵐と共に去っていく、という感があった。
そんな嵐たちを見送りに港へ。


思えば去年、僕はあっち側でテープを握っていたのだ。

そして残された島流し組はまた引越し。
次の寝床はネットはおろか、携帯すら繋がらないが、何故だかとても安らぐ宿であった。

猫たちも同じ事を思っているに違いない。


三宅島エンデューロ名物、火山灰ヒルクライムコースの撤収へ。

コースは山向こうのメイン会場へと下りて行く。

このあたりのコース杭を打っている時、立ってられないほどの風にスタッフは一時避難した。
一本の杭を二人で支えながら打つ姿が、南極観測隊が旗を立てている画に重なり、笑えた。
そんな苦労して設営したコースも、結局使われることは無かった。

そんな思いを慰めてくれるかのように雲が出てきて、海に絵を描き始めた。

仕事を終えると、ジョギングで夕日を見に行った。


釣りもやってみた。

僕の釣果はこのなかの2匹ぐらいか。

釣ったアオムロアジを宿へ持って帰ると、オカミさんがおかずの一品に仕立ててくれた。


そしてまた風が吹いた日、時々後ろのデッキが天を仰ぐ船に乗って、島を去った。




その夜、東京湾で人の営みの濃縮を見たとき、東京に戻ってきたのだ、と思ってしまったがそれは間違いで、三宅島もしっかりと東京だったのだ。

うまく言い表せないが、その半月の滞在で、黒くごつごつと人を寄付けぬ形相の中に、どこかやわらかい懐を持ったあの不思議島に、少なからずの興味を持ち出したのは事実である。




晴天が続いた島の天気が一変し、風と雨に包まれた。
任務を終え、イベント前に独り帰還するスタッフを送りに港へ。
乗船予定の船は台風並みの風に翻弄され着岸をやり直すが、数度やり直して無理だと判断したら諦めてそのまま行ってしまうそうである。
だから一同車の中から風に傾く船の動きを固唾をのんで見守る。



船は無事着岸。
そして我々スタッフは3度目の引越しで、この風雨とは関係なくも避難施設送りとなる。
施設の入り口にヘリポートが有ったり、建物内にもこんな装備があるのでなんとも仰々しいが、守られている感は強い。


ただいかんせん愛想が無く無機的すぎる感はある。

そんな施設に当日スタッフ達がなだれ込み、人口は一挙に数倍にも膨れ上がった。
そして迎えたイベント当日。
天候は快方に向かっていたがメインコースは濃いガス(火山性ガスでは無く霧のほう)に包まれ、予備会場をつかうことに。
イベント中のことは画像撮ってるヒマなどなかったのでオフィシャルレポートで。
半月滞在の島流し組にしてみると、雨風という嵐の去り掛けに、イベントがまた嵐の如くやってきて、嵐と共に去っていく、という感があった。
そんな嵐たちを見送りに港へ。


思えば去年、僕はあっち側でテープを握っていたのだ。

そして残された島流し組はまた引越し。
次の寝床はネットはおろか、携帯すら繋がらないが、何故だかとても安らぐ宿であった。

猫たちも同じ事を思っているに違いない。


三宅島エンデューロ名物、火山灰ヒルクライムコースの撤収へ。

コースは山向こうのメイン会場へと下りて行く。

このあたりのコース杭を打っている時、立ってられないほどの風にスタッフは一時避難した。
一本の杭を二人で支えながら打つ姿が、南極観測隊が旗を立てている画に重なり、笑えた。
そんな苦労して設営したコースも、結局使われることは無かった。

そんな思いを慰めてくれるかのように雲が出てきて、海に絵を描き始めた。

仕事を終えると、ジョギングで夕日を見に行った。


釣りもやってみた。

僕の釣果はこのなかの2匹ぐらいか。

釣ったアオムロアジを宿へ持って帰ると、オカミさんがおかずの一品に仕立ててくれた。


そしてまた風が吹いた日、時々後ろのデッキが天を仰ぐ船に乗って、島を去った。




その夜、東京湾で人の営みの濃縮を見たとき、東京に戻ってきたのだ、と思ってしまったがそれは間違いで、三宅島もしっかりと東京だったのだ。

うまく言い表せないが、その半月の滞在で、黒くごつごつと人を寄付けぬ形相の中に、どこかやわらかい懐を持ったあの不思議島に、少なからずの興味を持ち出したのは事実である。



