性に合わず、多忙である。

このところの天気気温も同じようで、「晴レタ。」と思ったらパッチを履かぬフトモモにビンタを喰らわせるが如くの寒風が吹き、ならばコノヤロと完全装備で固めてみれば、その暖かさにすっかりヤル気を削がれてしまうのだが、まあそれら全てが即ち春ということなのだろう。


仕事で高山へ。この時期には珍しいほどの雪が降ったらしい。





金晩の早い時間だったにもかかわらず、普段は国内外の観光客で賑わう街並みに人の姿は無い。

みぞれを浴びながら独り散策。









数日後、とても暖かく晴れ上がったその日、仕事を終えての帰路に、いずれ夏の川遊びに訪れようと思っていた場所を通ってみると、そこはまだ深い雪の中。





久しぶりに自宅に帰ると、ウグイスの声と共に様々な春が出迎えてくれて僕を驚かせた。

甘くて美味しいヤブカンゾウ。


開田高原からやってきたクレソン。


数年前に雪の山から越してきたノビル。


去年の大雨で茎葉が全て流れてしまった山葵も、また青々と茂っていた。





足元で「カサカサッ」と枯れ葉を踏む音がしたので、まさかとは思ったが見下ろしてみるとカナヘビの姿である。


僕の手耳は小学生の頃によく遊んでもらった、この懐かしいトモダチの事を良く覚えていたらしく、今だ彼のかすかな足音を聞き分けることも、伸ばした手が寸分の狂いも無く瞬時にやさしく捕らえることも、はじめは落ち着かぬ彼が、じっと手の中で暖めているとやがてすっかりおとなしくなってしまうことも、言葉としては全く覚えていなかったが、忘れていなかった。



毎日のようにトモダチと戯れていたあの時から、また何十回目となろう春のめぐりがやって来る。

やはり小さな頃、いっぱいいっぱい手の中に納めた虫達も、じき姿を現すだろうし、この田舎村にやってきて初めて見たタラの木も、言う間に次々と芽を伸ばし、昨年の如く宴を賑わすだろう。


うっかりするとまるでまた同じ春がやって来るかの如くである。



しかし僕はこの春、ヤブカンゾウの若葉が美味しいからといって山盛り食べて日に何度もトイレへ駆け込むことはしないだろうし、手の中に納まったトモダチと、あの時のように丸一日遊ぶことはきっともう無い。




今年初めての風呂を沸かすと、思ったとおり火入れと湯加減がすっかりヘタになっていて、なかなか温まらない風呂がやっと沸いたときには入れる温度に埋めるのにひと苦労してしまった。





風呂に入り見上げると春にしては満点の星空で、オリオンも僕と同じようにひしゃくを風呂桶がわりに流れ星でカラダを洗っていた。

彼も毎年この時期雲の上のあの場所で、同じようにひしゃくをひっくり返しているのかと錯覚してしまうが、時間が経てばやがて彼の素敵なベルトも、その大きすぎる七つ星のひしゃくも、すっかり消えてしまうのである。


冬の間止めていた山水の整備をすると、チョロチョロと水の流れ落ちる音と過ごす日常が始まった。





春が来た。