自我の相対的な習性と心の純粋性・・・本当の明け渡し | SILENCE

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探求の終わりについて書き留めていけたらいいです。
もう苦しみを終わりにしたい、本当に目覚めたいと思っている方に読んでほしいです。

私の非二元への探求の実践の記録です。
時間のある方は最初から日付順に読むのをお勧めします。

 

自我である人間は、相対的に人間を判断します。

 

その顕著な例として、他者を自分より上と観るか下と観るかです。

 

 

極端な人では、自分より下と判断した人には横柄な、時には暴力的な態度に出ます。

 

ところが、自分より上だと判断した人には、ペコペコと媚びへつらったりします。

 

自分より、地位が高い低い、お金を沢山持っている持っていない、才能が有る無いなどの判断基準です。

 

 

私の判断基準は、心が純粋かどうかです。

 

人の良い人、嘘の付けない正直な人、誰に対しても親切で優しい人などです。

 

でも、その様な人達は、時に、この相対的な世界で生きづらさを感じたり、苦しみを多く抱えたりしています。

 

それは、人間を上下関係で観る人達に、下と見られた時に、ひどい扱いをされたりするからです。

 

心がとても純粋な美しい人なのに、その純粋さ故に、恐怖に怯え臆病になったり、最悪な時は卑屈なってしまう人さえ出て来てしまいます。

 

 

でも本当の純粋さは、強いです。

 

それは、その様な相対的な判断基準である思考に左右される事がないからです。

 

本当の純粋さとは、心が真我である純粋意識と一体になっているからです。

 

※少し前に書いた本当の純粋性について書いた記事です。

 

 

 

先程、書いた様に私は、人の地位や財産や能力では無く、心の純粋性を一番大事にしています。

 

私は、自分で言うのは何ですが、結構、純粋です、、、笑

 

でも、弱くもありません。

 

通常は、私に対して自分より下だと判断し、横柄な態度をとって来る人間は無視しています。

 

でも、カチンと来る時には、敢えてその人が私より下だと思わせることで、ギャフンと言わせたりしています、、、笑

 

本当は、全て現れだと、純粋意識として観照者になるのが一番良いのですが、私は、そこまで純粋にはなっていません、、、笑

 

 

ラマナマハルシは、人は圧倒的な力に明け渡すと言っています。

 

自分には、とても敵わない、どうしようも無い、そんな自分の無力さを感じる時に、人は謙虚になれます。

 

でも、自分は願いを叶えることが出来る、自分の意思で行為することが出来ると思い感じている内は、本当に謙虚になって自分を手放すことは出来ません。

 

自分は決して行為者では無いと、自分の無力さを完全に認識した時に始めて、本当の明け渡しは起こるのだと思います。

 

でも、それは自我が死ぬ時です。

 

決して、自我は自分から死ぬ、自分を自ら捨てることは出来ません。

(自殺は、死ぬことで辛さから逃げようとしたり、自分を救おうとすることで、本当に自分を捨てることではありません)

 

 

それは、恩寵によってのみ起こることです。

 

この自我を生み出した真我である純粋意識にしか出来ないことです。