ニュースレター”アルナーチャラ便り”7月号が発行されました。
素晴らしい内容の記事ですので、シェアーさせていただきます。
ETERNAL TALKS
世界の信憑性
< 実在とは >
- 実際に存在すること、現実にあること。
- 想像・幻覚ではなく、事物・事象として存在するもの。
- 哲学で、絶えず生滅変化する現象の奥にある、無形の常住不変の存在。神、ブラフマンと呼ばれている。*
*この真理が何千年前に、唯一インドで、ヨーギ達によって発見されている。その実在がブラフマン(至高の存在)、アートマン(「私」)と呼ばれている。その真理が書き残された聖典が「ウパニシャド」、インド哲学の奥義書である。マハリシの教えはマハリシ自身の「真我実現」からもたらされたものであるが、ウパニシャドと同じ教えである。
**「実在」 の意味を辞書で調べると、上記の3つの意味が明らかになりました。マハルシが意図 する「実在」は3つ目の意味で、一般に理解されている「実在」は1と2を意味しています。このことを理解して以下のマハルシの教えをお読みください。
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あらゆる生き物は自分自身と身体を同一化している。「身体が私である」という誤解は、目に見えるすべての姿・形が実在であると信じさせる。現れたり、消えたりするものは実在ではない。身体は単なる物体で「私」ではないし、「私」は実に無形だ。それゆえ、見えるもの、目にするものはすべて実在ではない。「私」は明白に実在する。その実在が身体と同一化され、世界が実在だと受け入れられ、すべての霊的な教えの進展を妨げる。聖者にとっては、すべての形は実在ではないし、実在するのは形のないものだ。それを神と言ってもよい。純粋意識の中では、形あるものは何もない。
無知の中では、世界と「私」が形として見える。無知が消え去った光明の中では、二つとも無形だったと分かる。至高の状態では「私」のみ存在し、主体も見るべき対象もなく、実に、見ることもない。意識である「私」が唯一の実在である。自分自身を形あるものと見る人にのみ、名前・形が実在として現れる。名前・形は無知によって構築され、意識である無形の「私」の上に焼き付けられたものである。
薄暗闇の中でロープを蛇と見間違えて、本当の蛇だと恐れる。同様に、無知の中で「私」が隠れて、世界が実在だと見た目に現れ、サンサーラの悲哀が続く。
From: [ Supreme Science ] by Lakshmana Sharma (A.S.)
『サット・ダルシャナ』7月号
【真我とは何か?】
帰依者 ハートとは何なのか、どこに位置するのかなどについて知りたいと思います。しかしまず疑念を晴らしたいのです。私は真理を知らず、知識は限られていていて、不完全です。バガヴァーンは、「私」は真我アートマンを意味する、とおっしゃいます。しかし アートマンは常に真我に気づいていると言われても、私は気づいてはいないのです。
マハルシ 誰もがこの混乱に陥るのです。あなたが今自分と呼んでいるのは、生まれたり死んだりしない本当の真我のことではありません。
帰依者 それでは、私が自分と呼んでいるのが肉体か、肉体の一部だということを、バガヴァーンは認めたことになります。
マハルシ ですが、肉体は物質(ジャダ)で、知ることはありません。常に知られるものなのです。
帰依者 それでは、もし私が真我アートマンでもなく、非真我アナートマンでもないのなら….
マハルシ ですから、私が助けを出しているのです。精神と物質の間、真我と肉体の間に、アハンカーラ、自我、ジーヴァ、生命あるものと呼ばれる何かが生まれます。今あなたが自分と呼んでいるのはこの自我で、永遠に意識である真我とも無意識な物質とも別のものですが、また同時にチェータナ(意識)とジャダ(物質)の両方の性質を持つのです。
帰依者 それでは、「自らを知りなさい」とおっしゃる時、この自我を知りなさいということなのですか?
マハルシ ですが、自我が自らを知ろうとした瞬間、自我の性質が変わるのです。ジャダの性質が次第に薄らいで、自我が(身体意識が)吸収されると、徐々に真我アートマンという意識の性質を帯びるようになるのです。
【知られざる真我の座】
帰依者 それでは、「自らを知りなさい」とおっしゃる時、バガヴァーンは誰に向かって話されているのですか?
マハルシ 誰と呼ぼうとも、あなたに向かって話しているのです。あなたに対して、「自らを知りなさい」と提言しているのです。自我がそれ自身の出自を知る必要を感じたり、自身を乗り越えようと駆り立てられる時、自我はこの提言を受け入れて深く沈潜します。そしてそこに自我自身の真の源と実在を見出します。ですから、自らを知り始めた自我は、真我を認識することで終わるのです。
後略
元のニュースレターは、こちらです。
https://mailchi.mp/0ab46aad6c1a/ramana-japan-news?e=31785ac211
やはり、ラマナ・マハルシは、素晴らしいです。
私には、師と呼べるような人はいませんが、ラマナマハルシの教えは格別です。
もう、定期的にブログを書くことからは、解放されています。
今迄は、自分の探求の記録を書くことが、与えられた私の仕事、役割なんだろうなと感じ書いてきました。
そんな役目、義務感から、今は解放されて、書きたい時に書けば良いのだと感じています。
(実は、しばらく空いた期間にも、今迄なら書いていたであろう出来事も、下書き迄は、3記事程書いたのですが、公開には至りませんでした)
そんな私ですが、今、起こっている事を、ニュースレターの記事の内容にも後押しされて書いておきます。
今、私に起こっていることは、一言で言えば、理解を深めることです。
理解を深めることは、今迄も、ずっと続けて来た、私にとっては、最も、当たり前な、普通のことなのですが、今回の理解はその中でも、、一番、根本的なことに関してです。
それは、この現象世界とは、夢と同じような幻想であって、この自我の私、個人の私も、夢の中の架空の登場人物に過ぎないという理解です。
このことは、もちろん、知識としては、知っています。
でも、実際に、そのように認識するようには至っていません。
理解とは、このことを、直感的に、直接認識し、直接理解することです。
単純なことのように思えますが、でも実は、自我にとって、とても難しい理解です。
というよりも、自我には、決して直接理解できないものです。
何故なら、この理解は、自我が消えることで、訪れるものだからです。
それでも、最近、自我である私が、そのように思えるようになって来ました。
思えると言う様に、これは、まだ、思考であって、本当の理解ではありません。
でも、障害となっているのは、この身体を自分だと認識している、実在していると考えている思考です。
ですから、そうでない思考に移行するのは、決して、無駄なことではありません。
もしかしたら、自我が薄れて来たために、そのように思考する、思うことが可能になって来たのかもしれません。
この世界は、夢のようなもので、個の私も本当は実在しないと思える、感じるようになると、フッと胸の辺りに広がりを感じます。
自分が広がっているような感覚や、起こっている出来事に対する重さ、深刻さ、重責感などが無くなり、より自由に、軽やかに感じます。
まだまだ、このように感じ始めたばかりなので、今後どうなるか分かりませんが、これが、今、私に起こっていることです。