力が抜ける・・・ | SILENCE

SILENCE

探求の終わりについて書き留めていけたらいいです。
もう苦しみを終わりにしたい、本当に目覚めたいと思っている方に読んでほしいです。

私の非二元への探求の実践の記録です。
時間のある方は最初から日付順に読むのをお勧めします。

 

また少し、力が抜けていきます。

 

また少し、あるがままに近づいていくのを感じています。

 

 

日々起こる、日常の出来事があります。

 

様々な場面で、自分の行動を選択させられる出来事が起こります。

 

今迄は、過去の経験を元にした自分の考え方や、知ってきた知識をもとに判断し、行動していました。

 

そして、その行動の結果に対し、反省し、又、新たな経験とし、次の行動の指針として来ました。

 

でも、最近は、そのような過去の思考を参照する行動は、なるべく、しないようにしています。

 

その時の状況が、その時の私に求めることを、するだけで良いのだと感じています。

 

その時の状況に対し、過去を参照しない、自我の思考の視点に頼らない、より広い視野でいようとする気づきが起こっています。

 

もちろん、機能的なことは、過去の経験により培ってきたことが、生かされます。(この時間帯は電車が遅れることが多いから、早めに家を出よう・・・等)

 

でも、機能的でないことに関しては、意識的に過去の思考である自我の視点は使わないようにしています。

 

 

 

具体的には、どのようなことが起こっているのかを書いておきます。

 

まず、自我の視点に気づきます。(自我との間に距離が無いと難しいですが・・・)

 

そして、この自我の視点の思考には何の力も無いことを認識します。

 

部分の自我の視点には、全体性は理解できません。

 

自我には、全体性に調和した思考や行動とは何なのか、絶対に分からないことを受け入れます。

 

そうすると、自我の視点から離れ、隠れていた全体性が顔を出し、その広がった感覚の中で、自我から離れた思考や行為が起こっていくようにします。

 

こんな感じです。

 

もちろん、このように、手順を踏んだり、一つ一つの明確な思考や認識が起こる訳ではありません。

 

数秒間の間に起こることですが、何が起こっているのかを、説明しようと分析すると、大体こういうことなのかなと考えるだけです。

 

又、まだ、そこから起こる思考や行為が、本当に全体性から起こっているのか、自我の視点のものなのかは、自分自身、定かではありません。(半分くらいは、まだまだ自我の視点からだというのが今の感覚です。)

 

ただ、このように思考する時、その思考の望むことに対して、期待や執着が少ない事に気が付きます。

 

その思考による行為の結果に対する後悔などは、あまり発生してきません。

 

どのような結果になろうとも、そのあるがままを受け入れていることに気づきます。(その結果は、自我の自分のものではありませんから・・・)

 

期待や執着、後悔などは、自我の視点の思考、行動からしか生まれてこないのだと分かります。

 

 

このような体験が起こる為には、やはり、この現象世界に対し、自我に対し、ある程度、距離が出来ていないと起きないのだと感じています。

 

現象世界や自我を、わずかでも、現れである対象として認識し、巻き込まれず、距離が出来ていないと起きないのだろうなと感じています。

 

 

自我に、巻き込まれず、距離を置くことによって、力が抜けていきます。

 

現象世界や自我に気づいている視点、観照の視点から、物事を観ている時、自然と力みなどは消えていきます。

 

抵抗である力み、緊張などは、自我からしか生じないことが分かります。

 

本来は、全体性しか実在していません。

 

その実在である全体性の中で、虚構の分離した自我を維持するのには、全体性に抵抗する思考が常に働き続けるしかないのだと思います。

 

その抵抗の自我の視点に気づき、全体性に身を委ねる時、抵抗する思考としての力が抜け、全体性が顕われていくのだと思います。

 

 

かなり、理屈っぽくなってしまいましたが、力が抜けていくという単純な現象も、自我の視点から読み解くと、こういうことになるのだろうと思います。

 

 

補足)

私も未だにそうですが、自分が大事にしてきたこと、実績を挙げてきたことに対して、人は執着してしまいます。

その大事にしてきたことや、苦労して築き上げてきた実績を捨てることは容易ではありません。

でも、それらを捨てなければ、本当の意味で、今に生きることはできません。

 

追記・・2018/05/08)

機能的な思考について追記しておきます。

過去の経験や情報により、詐欺的な行為の手口や、詐欺まではいかないまでも狡猾な営業の手口は、私は、すぐ見破れます。

そういう場合には、もちろん、その手には乗らないでください。

過去の思考である自我の視点に頼らず、全体性に身を任せるという時、そのような誘いに簡単に乗ってしまう危険性があります。

そのような場合、全体性に身を任せるというよりは、狡猾な、自我にとっておいしい誘いに乗ってしまう、自我の欲望である場合が、殆どだと思います。

全体的な視点と言う”思考”の罠にはまらないように、注意深く、自我の自分を見つめてください。

念のため・・・

 

再び追記・・2018/05/09)

全体性に身を任せるという時、もう一つ、やはり、どうしても注意しておくことがあるので、追記しておきます。

それは、これは私の運命だ、使命だとして、意味、理由付けして行う行為です。

これは、スピリチュアルなエゴとして、知られていますが、スピリチュアルなことに巻き込まれている人に、多い傾向です。

やはり、これは、自我のスピリチュアルな欲望に過ぎません。

充分、注意していなければならないことだと思います。

 

思いの外、追記が多くなってしまいました。

最初の追記を書く時に、別記事にしようかと迷ったのですが、こういう形になってしまいました。

気を付けなければいけないことは、沢山あるのですが、特に気を付ける2点を追記してみました。

自我の欲望とは、さりげなく、自然に、気づかない内に起こって来ます。

この、狡猾な自我の視点の思考に気づくことが、第一歩です。

このことを、肝に銘じて、日々、自分を見つめてください。

そのことに気づくことが出来るようになって、初めて、全体性が顔を出すようになっていきます。