”ただ、・・・”について、少し、書いておきます。
ただ、在る・・・
これは、何の努力も、何の意味もなく、在ることを表しています。
真我の在るも、自我の在るも、基本的には同じです。
真我の存在の感覚は、自我に反映されています。
自我の存在の感覚を捉えることは、誰にでも簡単にできます。
普段、意識していませんが、その感覚は、いつもそこにあります。
でも、その深さが違います。
自我の存在の感覚を捉えることは、入り口です。
その入り口から、奥深くへ入っていくことは、やはり、簡単ではありません。
思考や感情や出来事や行為を、ただ、見つめる、観る、気づいている・・・
こちらは、思考や感情や出来事や行為を、所有せず、何の価値判断もせず、意味づけもせず、好き嫌いもなく、見つめる、観る、気づいているということです。
これは、真我の観照意識と呼ばれているものです。
真我は、思考や感情や出来事や行為に、何の影響も受けません。
真我は、それらのものは、すべてマーヤー(幻影)と知っています。
自我の私たちも、ただ、見つめる、観る、気づくことに、近づくことを求められます。
ただ、見つめる、気づくことができるようになると、すべてはシンプルに楽になっていきます。
自ら、苦しみや、問題を作り出すことはありません。
でも、やはり、自我の見つめるから、真我のただ見つめるへと深めることは簡単ではありません。
本当は、この二つの”ただ・・・”を、できるようになれば、他に何も必要ありません。
でも、それができないために、この二つのことが可能となるように、様々なプロセスが用意されているわけです。
本当は、とてもシンプルなことなんです。
真我、純粋意識は、ただ在り、ただ観照しています・・・