鹿児島県姶良郡栗野町 | thAshの雑種な日記

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主な登場人犬/ thAsh: ここの管理人、適当で不真面目で皮肉屋。 天然1号: 妻、平成サザエさん伝説の女、令和も伝説継続中!  フレディー: 長男 2011年5月追加。今の呼び名は2011/09/11の日記参照  天然2号: 愛犬、2015年1月4日没(享年19歳3ヶ月3日)。  

ずいぶん間が空いたけど、転職の話の続きみたいなもん・・。

転職して最初の仕事は半導体の生産と販売の管理のシステム担当だった。
楽器の会社に入ったのに、半導体を作ってるなんて知らなかったので、最初にそれの担当と聞いて驚いたっけ。

 

半導体の事業部は勤務先の本社ではなく郊外の工場のなかにあったので、本社に出社後にそこに車で通うことになった。

自分の車を業務に使うということにも驚いたが、困ったのは当時の俺の愛車はステッカーだらけでロールバーやフォグライトがゴテゴテついてるダットサントラックだったこと。

課長に俺の車は業務に使うにはちょっと・・というと、車なんて何でもいいと言っていたのに、実際に俺の車を見て課長はあきれていた。

 

なので転職したばかりなのに同じ職場の人にはほとんど会話もしないで、工場ばかり行っていた。

そして半導体は当時は製造の子会社があって、そこに行くこともたびたびあった。

ただその工場があったのは鹿児島の山の中・・

ということで、最初から鹿児島出張には何度も行った。

結局、営業とかでなくシステム部門なのに出張ばかりだったのは、この時からだと思う。

 

その子会社の場所は鹿児島といっても北東の宮崎との県境の近くの山の中で、冬は雪が降るようなところ。

当時は鹿児島県姶良郡栗野町だったが、今は湧水町というところに併合されたらしい。

出張は飛行機で、当時は中部国際空港も静岡空港もなく、新幹線で名古屋に行ってそこからバスで小牧の名古屋空港に行き、飛行機で鹿児島空港、鹿児島空港からはタクシーという大変な行程だった。

 

名古屋と鹿児島の便はいつも空いていて、時々団体の人が鹿児島に帰るのだが機内で焼酎を回して大騒ぎで酒盛りをするのにはまいった。

後に海外出張で飛行機には乗りまくるのだが、当時は国内出張で飛行機を使うのは自分の部署では少なくて、みんなに羨ましがられた。

でもマジでしんどかった思い出しかない。

 

一度、何を思ったのか事業部の偉い人と一緒の時に、打合せだけしに鹿児島に日帰りすることになった。

朝は始発に乗って、午前中の内に鹿児島の工場に行って打合せして、そのまま帰ったのだが名古屋空港でバスの最終まで時間が無くてみんなで走った。

帰宅は深夜で、みんなももう2度としないって言っていた(笑)。

 

日帰りはこの1回だけで、あとは1~2泊、長いとき1回だけ1週間近いことがあった。

定宿は最初はすぐ近くの県境を越えて宮崎県のえびののほうの国民宿舎だった。

その後はもう少し近い鹿児島県内の湯ノ尾温泉というところの小さな宿だった。

しかしどちらの宿もまわりに何もない・・夜はすることが全く無かったので退屈だったな。

どっちも温泉宿だけど、ここらの温泉は俺に合わなくて赤く発疹がでるので湯船には入らずシャワーだけ使っていたし。

 

ただ鹿児島の人は優しくて、言葉が独特のイントネーションがあって、なんかそれを聞くとホッとした覚えがある。

仕事先のパートのおばちゃんとか若いアンちゃんやネーちゃんとかとも仲良くなった。

でもパートのおばちゃんの一人はその後入院して、お見舞いにも出張中に行ったけど癌で亡くなってしまった。

その人からの最後の手紙は捨てられずにずっと会社の机の中に入れていた・・今も家にあるけど。

 

他にも霧島温泉の観光ホテルで接待のような打合せがあったり、その夜に上司が飲み屋でセクハラしてるのを見たり、何もない宿だけど食事は豪華だったり、高校生がスクーター通学していてびっくりしたり、空港近くには焼酎の工場見学ができてみんな飛行機に乗る前に出来上がっていたり、街道筋に饅頭を売ってるチェーン店があったり、霧で飛行機が来なくて帰れなくなったり・・

今から思い出すと何かと面白かったなぁ。

 

その後、鹿児島の工場は閉鎖して売却してしまったので行く機会はなくなったけど、またいつかあの辺りに行ってみたいな。