6月末で退職で、有休が今年度も4月から20日間支給されたので、繰り越し分とあわせて31日分残っている。
なので6月の稼働日が20日間、そして5月に11日間使うように計算すると、今日が勤務の最終日。
そう、今日で長かった社会人生活が終わる。
いや、ほんとうにこれで終わるのかはまだわからないが、とりあえず次の話は今のところないし、その意思も今は無いので終わりになるだろう。
1983年に大学を出て最初に横浜のソフトウェア開発の会社に入って、30歳の終わりに転職して浜松の某楽器製造会社に入り、60歳で定年退職と雇用延長で子会社の契約社員になって4年。
まぁいろいろあったなぁ。
最初の横浜の頃はバブル真っ盛りの時期で、とんでもない仕事量で毎日毎日命を削るような仕事の仕方だった。
残業代のほうが基本給より多くて、土日も仕事だったり夜勤や徹夜もあった。
けれど日本全体が活気にあふれていて、楽しい時期だった。
そして浜松に来て、受注する方から発注する方に変わってすこし楽になった。
とはいえ、仕事は厳しくて夜中にシステム障害で呼ばれて徹夜とかもあった。
寝ているところを呼ばれて会社に向かう車の中で逃げたくて、このままどっかに走って行っちゃおうかと思うこともあったな~。
10年くらいしたら海外の仕事が増えて、しょっちゅう海外出張をしていた。
最初は英語もできないし、日本人の同僚もいなくて大変だったけど、なぜかすぐになじんで楽しめるようになった。
東南アジアばっかりだったけど、多い年は毎月1週間は海外で、パスポートのハンコの量がすごかった。
海外出張は体力を使うけど、違う文化や人種と出会い、自分の世界が凄く広がった。
その後は異動があって、こんどは毎週のように東京や大阪の国内出張の時期があった。
このときは仕事にやりがいを感じて一番仕事を楽しめていたかもしれない。
仕事自体は少ない時間でそれなりの成果も出ていたし、自分のペースでできるのでずいぶん楽になった。
そして定年、そのままやりがいのある仕事を続けると思っていたら、まさかの異動でいちばんやりたくなかった仕事へ。
さらにこれが2020年4月だったので、ちょうどコロナ禍の始まりでテレワークになって、通勤という苦行から解放された。
そしてダラダラとやる気もなく4年・・怖いものなしだったので仕事を増やさないように断りまくって、すごく楽をした。
そう、上記の流れを見てもわかるように仕事は歳をとるにつれて時間的にもプレッシャー的にも楽になっていった。
なのでその次の段階の退職にもあまり違和感が無いかも。
多分明日もいつも通りに起きるけど、机に向かわないだけだろう。
有休消化期間中だけど、5月末と6月末に月次の勤怠処理をPCでやって、6月末に出社してPCとかの貸与物を返却して終わり。
しかしなんだろ、この終わったという感覚の薄さは?
もっと感慨深いものとか大きなイベントと思っていたのだが、実際には普通の1日とまでは言わないけど、年末休暇の始まりみたいな感触・・