※↑の続きです

 

「もう受験やめよう」

「明日塾には伝えとく」

 

そう宣言したら、感覚としてはっきりとわかるほど、肩の荷が一気に下りていきました。

 

いつの間にかわたしにとって、中学受験が重荷になっていたのです悲しい

 

「やめたくない」と言う息子。

 

でも、親が「やめさせる」といえば、もう「やめる」しかありません大泣き

 

 

気づかぬうちに親の受験になっていた

 

その夜、息子が寝てから冷静になって気づいたことは、わたしが大人であるが故に、そして現実主義であるが故に、目標とする学校と、そのときの息子の偏差値(51)の差に焦ってしまっていたということでした。

 

でも、ふと我に返って考えてみると、わたしも夫も息子が行きたいと言っている学校を始め、高偏差値の学校に何がなんでも息子を入学させたいわけではない真顔

 

わたしは息子の伴走(サポート)でも、普段大人である自分が仕事でやっているように、目標を定めたら、それを達成するためのステップを組み立て、とにかく達成しようと急いでいたのでした。

 

息子の受験のはずなのに、わたしの受験になっていた凝視ガーン

 

息子が、今は偏差値が15足りない学校を目指したっていい。


そこに向けて自分なりに努力できればいい。

 

わたしが親としてやるべきことは、息子の立てたその目標にとらわれるのではなく、そこに到達しなくても「行きたい」「ここもいいね」と思える学校を探すことなのだと思いました花

 

 

「ママが塾に『やめます』って連絡してなくてよかった」

 

翌日、わたしは息子に謝りました。

 

高い目標に対して焦ってしまったこと。

息子の受験なのに、「続ける」「続けない」をわたしが決めようとしてしまったこと。

厳しく言いすぎたこと。

 

目標に届かなくてもいい学校はいっぱいある。公立中も、もちろんいい。

 

「受験する?」と問うと、息子は「んー、もういいかな」と言いました。あんなに「やめたくない」と泣いていたのに真顔

 

本当は遊びたいのを我慢して、彼なりに一生懸命がんばっていたのでしょう。

 

でも、ママはそのがんばりを認めてくれない。逆に足りないんだと怒られるもやもや

 

「塾やめたからさ、遊びに行っていい?」帰宅後の息子の第一声はこれでした(笑)

 

やっぱり小学生です。遊びたいんです。

 

その日の塾から「行かせない」と伝えていたし、とても悩みましたが、「今日は塾に行っておいで。それで考えればいい」と言い、行かせることにしました。

 

帰宅した彼は「ただいま!気づきといつも以上に元気な声昇天

 

その日の理科、社会の授業がとても楽しかったということでした。

 

おやすみ「あー、ママが塾に『やめます』って連絡してなくてよかったよ」

 

わたしも強制終了させることにならなくて、心底ほっとしました。

 

中学受験を途中でやめるのは悪いことではないけれど、親の一方的な感情でやめさせたら、ただの苦い思い出となり、確実にしこりが残るだろうとます。

 

やるもやらないも、親が決めることではない。子ども自身が決めること。

 

そのことを心の奥深くに刻む1日となりました。

 

 

 

その後すぐに「部活に男子バレーボール部がある学校」という、我が家なりの中学受験をする目的が見つかったのでした。