『終盤戦79歳の日記』を読んだ。
身体の不調を嘆き、
庭の花々や友人たちに励まされ支えられて
読み、書くことを続ける日々。
他に著書を読んだこともないし、
登場する人たちもヴァージニア・ウルフくらいしか名前を知らないのだが、
不思議と惹きつけられ、
読んでいると心が落ち着くようだった。
「いい年のとり方をするには、ささやかな心地よさ(コンフォート)を
楽しまなければならない」という文章があった。
そして「恵み(グレース)」に気づくこと。
・・・他にも染みる言葉がたくさんあった。
ビデオで昔の映画を楽しんだり、
無礼な作家のオファーに怒ったり、の様子も、面白かった。
ところが、病気に苦しむ日記を読んでいたら
なんと自分も、昨日、また、目眩を起こしてしまった。
部屋の反対側へ行くのさえつらい、というようなことが書いてあったが、
自分もそうなってしまった
幸い、数時間で目眩はおさまったのだけれど。
まだ、少しぼおっとしている。
気温の変化が大きかったところに、
長女宅の手伝いに行ったり、
洗濯機を新しくするので電器店に見に行ったり
忙しくしていたから?
疲れが溜まらないよう気をつけていたつもりなので、
何だか自信喪失
🎹
先日ピアノレッスンの4回目が終わった。
びくびくドキドキだったが、思った以上に進み、
ツェルニー40番の1〜3と、バッハのインベンション1番終了
ベートーヴェンの悲愴第2楽章は、一応最後まで音が出せるようになった、
というところ。
やはり手がだるく、肩・背中がかなり凝ってしまうので、
今くらいの練習ペース(1日1時間)がいいのかな、と思う。
弾けば弾くほど上手くなる、ような気がして、ダラダラ弾き続けたくなってしまうのだけれど。
それでも、繰り返しているうちに
出来なかったことが出来るようなっているのが、
単純に、嬉しい。
目眩が出た直後はさすがに弾く気になれなかったけれど、
落ち着いてくると、
ピアノに触りたくなり、悲愴第2楽章の美しい響き(脳内イメージ)に慰められる。
ピアノ・読書に疲れると数独をしている。
頭を使う部分が違うからリラックスするような気がするが、
違う部分を疲れさせているのかも
『超激辛数独11』は、91問中36問まで来た
🏚🏚🏚
次女は近くにアパートを借りていて、
最近は我が家とアパートを行ったり来たりしている。
次の契約更新のタイミングで、アパートを引き払い、
我が家に戻ることにした。
亡くなった母の部屋を使うことになる。
物置きとしても使っていたので、
しまっていた物や、残っている母の物を片付け移動しなければ。
今までのペースで、少しづつ、と思っていたら間に合わないかも
でも、物を減らすいいチャンス。
次女が一緒に住んでくれるのは心強い。
次女のリクエストで作った冷やしおでん。