テムズ河の潮汐を眺めつつ -326ページ目

国際結婚、我が家の場合(補足)

1つとても重要な事に触れるのを忘れていました。家庭で使う言葉についてです。我が家の場合は私と夫の間では英語で意思疎通をしています。たまに夫の日本語の勉強用に、わざと日本語で話す事もありますが。これまで言葉の違いによって問題があった事はありません。娘と夫の間ではやはり英語で会話、娘と私の間では日本語で会話しています。とは言っても娘は私に英語で返事をしてしまいがちなのが現実ですが。

夫の透は私と結婚してから日本語の勉強を始めました。最初は自習用の教材を買ったり、ウエストミンスターユニバーシティーの短期の日本語講座に出席する事から始めました。学ぶ気を見せてくれるだけでありがたいけれど、日本語が出来るようになるまでの道のりははっきり言って遠いと思っていました。その後「弥生がフランス人だったらアルファベットも共通しているし発音を変えるだけで良い単語もたくさんあって楽なのにな。」などと弱音を吐きつつも、ひらがな、かたかなをマスターし、漢字の勉強をし始める様子を見てこれはひょっとしたら可能性があるのではと思うようになりました。

昨年は一年間街中にある日本語学校に毎週通って宿題もこなしていました。現在はその学校はお休みしていますが、週の半分位は日本語の自習をして、この春から契約した日本語衛星放送でNHKニュースなどを私と一緒に視聴しています。これまで里帰りをする度にはりきって私の実家の家族や友人達に話しかけても分かって貰えなかったり、または自分の発言を理解して貰っても今度は相手の返事が分からなかったりでがっかりする事の繰り返しでした。でも最近の熱心な勉強ぶりを見ると近い将来必ず日本語ができるようになるだろうと思います。私も練習問題の採点係になって応援しています。

さて、最後に私の英語ですが、まだまだ勉強の余地はあるけれど日常の用事を足したりお友達とおしゃべりしたりするだけでなく、現地企業で何とかお金を稼げる程度には上達しました。10年間も現地に住んでたら当たり前だけど。これから直したいのはすぐに身元の割れる私の日本語訛りです。夫はそんなに酷くない、かえってキュートだと言ってくれるけど、私は訛りなしの英語でしゃべってさらに背景に溶け込んでしまいたいのです。

国際結婚、我が家の場合

我が家は私が日本人で夫はイギリス人の国際結婚カップルです。国際結婚は日本人同士の結婚に比べて乗り越えなくてはならない障害が多いと思われがちです。例えば宗教や習慣の違いとか。でも少し考えてみると日本人同士の結婚であっても同じ事が問題になり得ることが分かります。例えば妻は都会で自由主義的な家庭で育ったけれど夫は田舎の家長主義制度的考えが根強く残っている所で育ち、妻は夫側の親戚の集まりで『嫁』として扱われるのに困惑するとか。

宗教、習慣、育った家庭環境、価値観、趣味、年齢は、国際結婚に限らず日本人同士の結婚においても違っていても成り立つけど近ければ近い程摩擦は少なくて済むのではと思います。我が家の場合は、生まれ育ったのが遠く離れたイギリスと日本である割には上記の6点がとても似通っています。

宗教は2人とも無宗教です。習慣の違いもお互いに受け入れられないほどの違いはこれまでの所ありません。日本だと入浴は夕方にしてイギリスでは朝にするけれど別にそれで困る事はないし。食事も私はイギリス料理の大抵の物は食べられるし、夫もさすがに納豆は無理だけどそれ以外は寿司を含めて日本食大好きです。

育った家庭環境は両家とも大金持ちでもなければ極貧でもなく、両親達は健在で今も結婚しています。夫は姉が1人、私は妹が1人。価値観についても大筋で一致しているし、趣味もとても良く似ています。余暇の過ごし方での対立もないし家の内装選びも楽でした。年齢は6ヵ月違いとほぼ同じです。

という訳で国際結婚は大変でしょうと心配してくださる世間の方には申し訳ない程スムーズな結婚生活なのですが、これはイギリスに住んでいるせいもあると思います。国際結婚でしかも異人種間の結婚だとやはり日本だとまだまだ少数派なので夫婦の間は円満でも、外から要らない注目を集めてしまう場合もあるのではないかと思うのです。

その点イギリスの、特にロンドンでは国際結婚、異人種間の結婚は珍しくもないので背景に溶け込めてしまえて非常に楽です。とにかく移民が多いので、例えば市役所や病院の順番待ちで明らかに外国のものである姓名が呼ばれても誰も振り返ったりしません。去年の暮れにクリスマスカードの準備用に娘の保育園のクラスのお友達の名前の一覧が学校から配られましたが、本当に様々な外国の名前がありました。

これから子供の日本語教育の問題とか、年老いて行く日本の両親の事、頻繁には会えない日本のお友達の事など心配だったり寂しかったりする事が無い訳ではないし、イギリスの公共の交通機関を始めとするサービス業一般の質の悪さや治安の悪さなどを考慮に入れても、私達のようなごく普通の市民の日常生活は確実に日本より豊かだと思うので私はイギリスで暮らす事に満足しています。

通勤時に見かけたご近所さん達

今週の半ばから我が家は大変静かです。娘の香蓮が夏休みでワイト島に住む祖父母の所に約4週間の予定で遊びに行っているからです。普段の朝は夫と2人で娘を近所の私立保育園に連れて行ってからバスの停留所に向かうのですが、夏休みの間は停留所に直行です。夫とバスを待っていると道向こうの反対方向行きのバスの停留所に、上の階に住むジャービスさん(私達が勝手に付けたあだ名です。パルプのボーカルのジャービス・コッカーさんに雰囲気が似ているのです。)とそのフラットメイトが来ました。向こうも気がついたようなので手を振ったら振りかえしてくれました。

ジャービスさんは季節先取りの秋冬ファッションに身を包んでいました。ベージュ地に焦げ茶の格子柄のツイードスーツを着てその下には焦げ茶のタートルネックセーターを合わせていました。手にはしっかりした感じの革の鞄を持っており、眼鏡のスタイルも含めて『60年代の頃のスパイか何かを演じているマイケル・ケーンさん』のようでした。ジャービスさんの職業は美容師で、いつもレトロ風の素敵なおしゃれをしています。他の通勤客からは完全に浮いていた私達のご近所さん達でした。ちょうどその時やはり近所に住む同僚の皐月さんが停留所にやって来ました。

彼女は前は始業が午前9時半なのにも関わらず9時に始業の私と同じ時間帯に家を出ていたのです。でも6月の末からは終業後も旦那様のビジネスの手伝いにほぼ毎晩行くようになり、さすがに疲れるのでこの早出はほぼ止めています。でもたま~に前のように早出するのです。一緒のバスになると会社までずっと雑談や情報交換ができて楽しいです。上記のように彼女は最近とても忙しいのでこの時間はとても貴重です。今朝はまた面白いエピソードを聞かせてくれました。

先日会計部長の信之介さんが皐月さんに質問があって話しかけて来た時に、「今忙しいから後で聞いて下さい。」と答えたら、「あの、私は一応あなたの上司なんだよ。私が私の上司の輝明さん(プロダクションを担当の社長)に今忙しいから出直してくれなんて言うの聞いた事があるかい?」と言われたそうです。それに対して皐月さんは「言えばいいじゃないですか。何で言わないんです?」と答えたら信之介さんに苦笑されてしまったそうです。もう皐月さん、強いな~。

話は飛んで職場からの帰り道。私のバスは夫が地下鉄を下車する駅の前を通ります。この頃は私の乗ったバスに夫が乗って来る事も多いのですが、今日は居ませんでした。家の最寄りのバス停で降りて共有の駐車場になっている中庭に入ったら家から数軒先に住むご近所さんの猫が3匹等間隔に斜めに並んで座り、こちらをじ~っと見ていました。このご近所さんは男性2人で住んでいます。マッチョな体型で割と無愛想な感じなのですが、彼等が2人で洗車をしている時に家のバルコニーから香蓮が話しかけると無視はせずに返事をしてくれていました。

彼等はなんだか永遠に家のDIYをしているようです。外したドアその他のガラクタが玄関脇に置いてあるのです。その上中古車販売の仕事でもしているのか分かりませんが、ピカピカの高そうな車を何台も入れ替わり駐車していたり、かと思えば玄関の前にはパンクした白いスポーツカーとむき出しのエンジンが地面に置いてあったりします。このご近所さんが猫を3匹も飼っているのは意外な感じなのですが、さらに意外なのが彼等がお花好きであるという事です。玄関の外や腰の高さの塀の上にはフラワーバスケットやらプランターに花がいっぱい咲いていて華やかです。今日もせっせと如雨露でお花に水をやっていました。

総合病院の小児科外来へ

先日夫と私はまた有給休暇を取って娘の香蓮を公立の総合病院の小児科外来へ連れて行きました。香蓮は前回の6月28日の診察から体重は0.3 kg増えて17kgに、身長は 1cm伸びて108cmになっていました。現在の年齢は4才5ヵ月です。今年の初め頃から原因不明の体の痛みを訴え、近所のヘルスセンターでは診断がつかなかったので総合病院を紹介されたのです。今回がこの痛みの件では3回目の通院です。

今回診察してくれたのはシニアドクターのリース先生でした。リース先生は50才くらいの金髪のボブヘアの女性で、金色の口ひげ(!)がありなかなかの人物でした。彼女は私達に、ジュニアドクターが同席しても良いか許可を求めて来ました。私達は全く構いませんでした。まずはなぜ今回の予約が入れられたのかの説明がありました。私達は理由を知らされておらず、前回の検査の結果が悪かったのかと心配していたのです。

しかし単に前回の先生が診察しても何も痛みの原因を見つけられなかったので、シニアドクターのリース先生に香蓮の診察を依頼する手紙を書いていたのだと聞きほっとしました。見せて貰ったファイルに綴じてあった手紙の写しには前回の診察で私達から得た情報が書いてあり、香蓮はとても溌剌とした子ですなどと娘の診察時の様子も描写してありました。

リース先生は問診をできるだけ直接患者である香蓮にしようとしました。香蓮はいくつかの質問には答えましたが、他の質問にはただ肩をすくめたり、返事を先生に直接せずに夫や私の耳に囁いていました。問診の後は検診です。この時もジュニアドクターも一緒に診ても良いかしらと直接香蓮に許可を求めていました。リース先生の診察では、肺がちょっとぜいぜいしているのを除いてはどこにも異状はなかったそうです。

リース先生はとても親しみ易い性格で私達とジュニアドクターの両方に向けて説明はとても分かり易かったです。香蓮をちゃんと1人前に扱ってくれて嬉しかったです。最初は「あら、子供の言う事を全部鵜呑みにしてしまうのかしら?」と不安になりましが、やがて子供は時々周りの人が憶測で話しているのを聞いてそれをそのまま話してしまう事があるとか、そういう危険も承知の上なのが分かったので安心しました。

それに比べて近所のヘルスセンターのある先生は冷たくて、赤ちゃんだった香蓮を連れて診察に行った際に私は怒鳴りつけられました。後で夫が診療所の事務所に苦情の電話を入れたら、苦情の電話はしょっちゅうだと事務の人が言っていたそうです。テムズ河出版の同僚で近所に住む皐月さんもその先生に当たり、ほぼ同じ状況で赤ちゃん連れの時にやはり怒鳴りつけられたそうです。いくら苦情が来ても全然反省していないんですよね。

そのヘルスセンターにはその酷い先生と彼女の夫の診療所の他にもう1つ診療所が入っています。こちらの方は数人の医師達がチームとして働いているようです。前からしようと思っていた診療所の変更を最近実行しました。申込書等、記入する書類が多くて大変でしたが、コピーを取っておいたので次回引っ越してまた新しい所に登録する時は少し楽になるでしょう。申し込みの書類の文面からも前の酷い先生の診療所よりも新しい所はプロフェッショナルで患者思いな感じがします。

こういう酷い先生に診察で遭ってしまった経験があるので、余計にリース先生の素晴らしさが実感されるのです。忙しいのに香蓮の緊張を解いて、問診に答え易くなるようにまずは名前や年齢を聞いたり、検診中も常に香蓮に話しかけて「聴診器で自分の心臓の音を聞いてみたい?」と訊ねて実際に聴診器を貸してくれたりしました。正味30分ほどだった診察の間にも、リース先生が本当に人柄が良くて親切で頼りになる先生だと感じ夫も私もとても感激しました。

営業面担当の社長、巌さん

テムズ河出版には社長さんが2人いますが、今回は営業サイド担当の巌さんの話をしたいと思います。彼は年齢は50才過ぎ位で髪の色はダークブロンド、眼の色は薄めの茶色で銀色のフレームの眼鏡をかけています。染めているのかも知れないけど白髪が見えなくてスッキリした七三分け風の保守的な髪型なのできっと実年齢より若く見えると思います。中肉中背、身長は165cmの私より高いけど巨人でもなく、たぶん175cm位。夏のこの時期はベージュ色の麻のスーツなど淡めの色のスーツをよく着ていて、いつもネクタイをしています。皐月さんからの情報によるとお子さんは2人ほど居るらしく、1人は20才前後の息子さんです。離婚したけどその後もお友達らしい奥様はイタリア人でオフィスにもたまに来るらしいです。

私が彼に最初に会ったのは2次面接の時です。その時にもう1人の社長の輝明さんにも会いましたが陰と陽で言えば巌さんが陽、輝明さんが陰。巌さんが営業サイドの、輝明さんがプロダクションサイド担当と聞いて「適材適所って感じだな。」と納得しました。面接の時以来しばらく接点はなかったです。テムズ河出版では仕事は部長の一平太さんがデザイン面の承認した後で編集部、営業部、社長さん達の所に回覧されそれぞれ承認を受ける事になっています。何かデザイン変更の要望がある時は巌さんは私の所に直接来ずに一平太さん経由で話して来ました。私と一平太さんが2人で巌さんの所に行って話し合うという場合もありましたが。その時は「どう思う?」と私の意見も聞いてくれたので嬉しかったです。

その後も私が通常9:30から17:30までの勤務時間を9:00から17:00までに変えて貰うまではほとんど会話をする機会はありませんでした。巌さんと輝明さんは他の社員より早い9時前後に出勤する習慣のようで、私が新しい勤務時間で働く事になってから朝職場に前後して到着するようになりました。ひょっとして実は人見知りなのかそれとも人を信用するまで時間をかけるタイプなのか最初の頃は割とそっけない感じで、私が「おはようございます。」と挨拶をしても言われたから挨拶を返すみたいな感じでした。でも私が防犯アラームを鳴らしてしまった時も私を責める事無く「きちんと説明しなくて悪かったね。」と言いさっそく会計部長(総務兼務)の信之介さんから私にシステムを説明するように手配してくれました。

あまり愛想がなくてもめげずに挨拶を続け、「私、お茶いれるのにお湯を沸かす所です。一杯いかがですか?」などとたまには声をかけてこの頃大分私の存在に慣れて貰えたようです。先々週の火曜日に出社した時には玄関で巌さんがカナダからのビジネスパートナーと一緒に鍵を開けている所で、私の事を「前に話した、今年の春から我が社に参加している弥生さんです。」と紹介してくれました。英語でcame on boardという表現を使っていて、直訳すれば「運命共同体としての我が船(会社)に乗船して来た。」という感じです。朝、少し前までは巌さんが先に出社していて他にも社員が居た場合は、私の側を通りかかっても特に目もあわさず行ってしまう感じでこちらからもわざわざ「おはようございます。ご機嫌いかがですか?」と話しかけにくい事もありました。しかしこの頃では必ず「あ、弥生さん、おはよう。」と気がついて言ってくれるようになりました。

金曜日の朝には「おはよう、弥生さん。あのIQシリーズの表紙のデザインの修正、良い解決法だね。」と声をかけてくれました。このパズルとクイズのシリーズ本の売り込み先の出版社はかなり気難しくてデザイン修正の注文が何回も来ていたのです。一番最近の要望はシリーズデザインとして全ての表紙に共通して使われている爆発の光のような効果を6つの表紙毎に違う物にしてくれという物でした。「例えば螺旋とか。」と言って来たのですが、1つは螺旋、1つは今の爆発の光としてあと4つも同じ効果を出す形を考えるのは大変です。その爆発の光の効果は表紙に焦点を作るための装置なのですが。結局クライアントの螺旋模様案は却下して既に使っている爆発の光をイラストレーターというプロブラムのフィルターという道具を使って5種類の違う形に半自動で変化させて使う事にしたのです。これで余計な時間はほとんどかけず、6種類の違う形のしかし同じ求心的効果をもつ光の効果を作り出せました。クライアントにも気に入って貰えたようです。

巌さんはデザインに関しては専門ではなく、前に売れたけどデザインはイマイチな本のデザインに引きずられてしまう時があります。でも逆に私が例えばIQシリーズの「とにかく6冊違う色を使って。」というデザインの注文に引きずられて、とにかく違う色を使おうと没頭したあまりに一部の本のタイトルが読みにくくなっているなんていう時に「これ読みにくいぞ。」と客観的に指摘してくれます。私はハッと現実に引き戻されてデザインの注文に一字一句従うよりも、要するに本を買う人がまず本のタイトルをはっきり読み取れる事のほうが大事じゃないかなんて当たり前の事に気づかされるのです。

巌さんの机があるのは私のいるデザイン部からプロダクション部を超えて更にその先なのですが、彼は声が大きくてはっきりしているので、営業の電話が私の所まで聞こえて来ます。既存の取引先と交渉したり、新規開拓の時には自己紹介をしてテムズ河出版を売り込んだり。でも売り込みの電話では何を言いかけても途中で相手に容赦なくさえぎられて「ではどうぞよろしく。」なんて早々と電話を切り上げるはめになっている様子も聞こえて来ます。営業はそれが仕事なんだから当たり前と言ったらそうだけど売り込み先にすげなくされてもめげずに「次!」と電話をかけ続ける様子を見て偉いな~と思います。前の会社と違って巌さん、2人の営業さん、1人の営業事務さんと、仕事の注文を取って来る専門の人達がいるのは強いなと思いました。

テムズ河出版は各種の国際的ブックフェアにも出展していて、秋にはドイツのフランクフルトのブックフェアにも出展します。そのせいなのかも知れないし、元々本の売り込み先はイギリスに限らずアメリカ、カナダ、そして他のヨーロッパ諸国にもあるせいか、先日は巌さんは電話でドイツ語を話していました。私はドイツ語は全く分かりませんがたぶん下手だっと思います。でもそのチャレンジ精神が凄いと思います。電話ではその後英語を話す人と代わって貰えたようで「あ、もしもし、英語を話されますか?ああ良かった・・・。」と商談を始めていましたが。大陸ヨーロッパだと数カ国後を操る人も珍しくないようですが、一般的にイギリス人は自他ともに認める外国語下手です。まあ、母国語である英語を主要言語とする国が世界にいくつもあって、更にその他の世界中の人々が英語を勉強して使おうとしてくれるのですからついついそれに甘えてしまう気持ちも分かります。

私が働いていた前の会社の社長さんは「テムズ河出版のようないわゆるパッケジャー出版社は売り上げ至上主義なので従業員はこき使われるだけで大切にされない。本の質も気にしない。」と言い切っていました。確かにそういう所も多いかもしれませんが、今の所テムズ河出版ではその様な気配はありません。もの凄く珍しい例外的なケースなのでしょうか。デザイン部の仕事が多い時は従業員に残業させるよりはさっさと外注にするし、プロダクション部の沙弥子さんがスノーボードでの事故で2ヵ月間にわたり病欠した時は残りのプロダクション部の従業員に割り増しの仕事を強いる代わりにフリーランスの人を雇っていたし。本の内容も、売れそうな本を作るというのはもちろんだけど不健康だとか道徳に反する種類の本は作っていなくて、私としてはそんなに酷い所だとは思っていないのです。

一番の悩みが高額の保育費である事の幸せ

前回の3話連続の家計の話、最後に保育費の話で少し愚痴っぽくなってしまいました。でもよくよく考えてみると、一番困っている事がお金だなんて幸せな悩みであるとも言えますよね。何とかしようと思えば何とかできてしまう問題です。もちろん「我が家では金銭面でも非常に恵まれていて、保育費や教育費についても何の不安もありません。」というのが最高なんでしょうけど。

そもそもまず「この人と子供を産んで育てたい。」と思う人に私が出会えていなかったら娘は存在しません。そして運良くパートナーと出会って子供を望んでも全てのカップルがすんなり赤ちゃんを授かる訳ではないです。負担の大きい不妊治療を受けても結果が出るとは限りません。無事に出産まで辿り着いても、赤ちゃんの健康に問題がある可能性もあります。

親である自分たち自身が心身ともに健康でそれなりに安定した社会に暮らしているなら、子育て費用は仕事を見つけて張り切って稼げば良いだけですよね。上記の問題と違って解決しようと努力すれば解決できてしまう事です。世の中には健康上の理由から働けない人、または働く気も体力もあるけど不況でどうしても職が見つからない人もいます。それを考えたらあまり文句を言っていたら罰が当たると思いました。反省。

家計(3/3)

余剰のお金がある場合、普通はそれを投資したり、貯蓄したりして将来のために備えますよね。特に元本割れのしない貯蓄を考える場合、イギリスの人がまず選ぶのは利子への税金を免除されているキャッシュISAという商品だと思います。銀行やビルディングソサエティーがこの商品を扱っています。毎年の預け入れ額に上限があり、3千ポンド(60万円)までです。貧乏自慢じゃありませんが我が家では共働きをしているというのに、今までこの上限額まで貯蓄できた試しがありません!別にプライベートの年金や健康保険、生命保険などにお金をかけている訳ではないのです。住宅ローンの返済額の家計に占める割合もいびつなほど高くはありません。

では何が我が家の家計を圧迫していたかというとそれは保育費なのです。娘の私立保育園代に過去3年間毎年1万ポンド(約200万円)ほどかかったからです。現在ではさらに値上がりして、2歳児以下の保育費は年間1万2千ポンド(約240万円)かかります。イギリスには3才以下の子供を預かってくれる公立の保育園がないのです。また、3才以上の子供を受け入れる公立の保育園は独立したものではなく、公立の小学校内の保育園クラスといった位置づけなので、保育時間は全日制の所でも朝9時から午後3時まででしかありません。

共働きの場合、子供の預け方としては費用のかかる順に住み込みのナニーさん、通いのナニーさん、私立保育園、チャイルドマインダーさん、という方法があります。どれがお得かは子供が1人か、複数居るかによっても変わってきますが。チャイルドマインダーさんが一番安いけれど、預け易い地域に人柄の良い信頼できる人を見つけるのは至難の業です。一番安いと言ってもロンドンだと年に6千500ポンド(約130万円)位はかかります。

現在娘の香蓮は夏休み中ですが、9月からは満4才6ヵ月でピカピカの小学校一年生です。小学校(プライマリースクール)に居るのは朝9時から午後3時半までの間です。朝8時から登校までと下校後夕方6時までは近所の私立保育園で預かって貰います。この保育園のスタッフが学校までの送り迎えをしてくれます。小学校は公立なので無料ですが、この私立保育園の小学生の保育費は月に300ポンド(約6万円)で、長期休暇中や学期の中休み中(期間はいつも1週間)は一日中預かって貰う事になり、保育費は週に120ポンド(2万4千円)になります。この私立保育園費は子供が小学校を卒業してセカンダリースクールに通い始めるまでかかります。セカンダリースールに通い出すのは11才からです。

娘の保育代が下がった事により浮いた分は将来の教育費として、さらに各種保険料として使う事になりそうです。現在我が家は夫は生命保険とプライベートの年金に加入していますが、誰もプライベートの健康保険に加入していません。娘の香蓮は良いとしてもさすがに私は生命保険とプライベートの年金にも加入した方が良いと思うのです。これまで私立保育園の費用は多大な負担でしたが、それを支払えなければお勤めを続けられないという事で、会社に賃上げ要求をする勇気の元になったし、娘は娘で良い園長さんと保育士さん達とお友達に恵まれて、保育園でのバレエやフランス語のレッスンも大いに楽しんでいたので無駄だったとは思いません。

この頃香蓮は「妹が欲しい、弟が欲しい、赤ちゃん早く作って、もう待ちきれない。」と言います。私も夫も香蓮と一緒に遊べる2人目の子供が欲しいのはやまやまですが、あの『魔の3年間』(保育費用の面で。)を思うと気が重いです。

家計(2/3)

私がせっかく働き始めても、私も夫も家賃を始め様々な公共料金などの支払いをきちんと管理出来ず、支払いを忘れたり遅れたりするなどして余計な手終料を支払うはめになったりしていました。そこで義理の母に相談して一緒に家計の手配を手伝って貰いました。まずは必要経費を全て書き出し、その合計額を私と夫の給料の額に見合う分担額に分けました。そして給料日直後にその分担額が私達それぞれの給与振込口座から共同名義の口座に振込まれるようにし、そこから必要経費が自動的に引き落とされるようにしました。

その頃には既に現在は大分落ち着いた不動産バブルが始まっていした。就職したばかりの私達は家の購入などは考えもしていませんでしたが、1999年の秋には「このまま家賃を支払ってもドブに捨てているも同然。住宅ローンなら払い終われば家が手元に残る。」と思い、家探しを始めました。1件目は売り手が途中で心変わりしておじゃんになりましたが、2件目は手続きに紆余曲折はありましたが購入に成功、3ヵ月のホームレス生活の後(手続きの終了前に賃貸の物件の賃貸期限が来てしまったのです。)に2000年6月に入居しました。

住宅購入の費用ですが、借金までしている私達に住宅ローンの頭金はおろか、購入手続きに必要な測量士、司法書士、税金などの費用に充てるお金はありませんでした。幸い信頼できる有能な住宅ローンアドバイザーと出会い、家の金額の102パーセントの25年返済の住宅ローンを見つけて貰う事ができました。2パーセントの部分で購入諸経費を支払ったのです。家の価値より高い金額を貸してくれるプランは数が少なく、金利も高めでしたが私達にはこれ以外の方法はありませんでした。

さて、この後家は一度買い替えて2004年4月に現在の所に入居しました。1回目の手続きと同様に、気が遠くなる程面倒な事が色々持ち上がったのですがそれはここでは省略します。住宅ローンに関して言えば、借り換えをしましたが残りの支払い年数はまた25年に戻る事は避けられました。現在残り20年です。じりじりと金利が上がり始めましたが何とか支払いはできています。また80年代終わりのような大きな不動産バブルが弾けたら考えを変えるはめになるかも知れないけれど、今の所は「不動産の梯子の第一段に足をかけられて良かった。(市場に参入できて良かった。)」と思っています。

家計(1/3)

最近家計の見直しをしています。前回の見直しから2年以上経ち、金利の上昇により月々の住宅ローンの額が上がったり、娘が公立の小学校に通い始めたため保育費は下がったりと大分変動したからです。まずは私達の家計始まりを振り返って見たいと思います。

1998年の夏に結婚した時、夫はロンドンで就職してやっと1年経った所で、彼の会社の初任年俸は1万2千ポンド(約240万円)でした。私は入籍後すぐに配偶者ビザの申請をしましたが、申請中の労働は禁止されていたので、在学中続けていた旅行会社でのアルバイトは辞めて、またせっかく卒業したのに本格的な就職活動もできずにいました。ホームオフィス(国務省)の案内では配偶者ビザの審査には早くて3ヵ月、長くて6ヵ月ほどかかるでしょうと言われていました。そんなに時間がかかるのかと驚いたけど、当時は手数料はなかったらまだ良かったかな。現在は配偶者ビザ申請に260ポンド(約5万2千円)かかるそうで、その後居住者ビザに切り替えるのに更に260ポンドかかるようです。

私は運良く3ヵ月で配偶者ビザを取得。取得後すぐ、11月からフルタイムのグラフィック・デザイナーの職を探し始めました。当時は英語も流暢ではなかったし在学中の2回の短期のインターンを除いてはデザイナーとしての経験もなしだったので活動はかなり厳しかったです。履歴書を送付してもまず面接に呼んで貰えませんでした。それでも在留資格があるだけまだましだっと思います。普通の日本人学生が卒業後に現地で就職しようと思ったら、雇う会社が費用をかけてホームオフィスに労働ビザを申請してくれなければ働けないのです。未経験の外国人を費用や手間をかけてまで雇おうという会社はまず無いと言って良いでしょう。

結局4件目の面接で採用を手にしたのは翌年の1999年2月で、3月から働き始めました。初任年俸1万2千5百ポンド(約250万円)でした。それまでの間に生活費に充てるためのクレジットカードでの借金が増えていました。私の仕事が決まってすぐに、このクレジットカードの借金を一括支払いして、さらに新しい大型テレビの購入と夫にとっては初めての日本旅行の費用を賄うために銀行から5千ポンド(約100万円)の借金をしました。このローンはその後一度コンピューターを購入するために金額を増やして金利の良いとあるスーパーマーケットに借り換えました。これは月々145ポンド(2万9千円)を現在も返済中です。来年の3月までです。

お食事会(4/4)

皐月さんと一平太さんは既に私から直接聞いたり履歴書を見て知っていましたが初音さんは私の経歴を知らなかったのでかいつまんで説明しました。大学では西洋史を勉強していた事、卒業後はしばらく銀行に勤めていた事、イギリスに来てから本格的にデザインの勉強を始めた事、今年の夏で在英10年になった事。前の会社の事も聞かれたのでそれも説明。そこから一平太さんと初音さんが今回私を採用するに至った(まだ正社員としては雇われてないけど・・・。)デザイナー募集と面接についてのエピソードを話してくれました。一平太さんは「今回の募集したのは児童書デザインの経験有りのシニアデザイナーだったけど、実際に面接に来た人のポートフォリオに児童書が全然入ってないケースが多かった。」そうです。そして「あ、児童書が含まれていると思えば皆同じD&K社(Dorling Kindersley、大手の出版社で白地に切り抜きの写真を多用し保守的なタイポグラフィーで一目見ればすぐにそれと分かる。)のだし。」と。

初音さんはD&Kの仕事をした事があるようで、「あの会社、本当に嫌になるほどデザインスタイルのルールが厳しいのよね。写真の配置の仕方などがミリ単位で決まっている。」と言っていました。だからどの本も同じに見えるのだと。それから初音さんと一平太さんは「リーダースダイジェスト(Reader's Digest)の仕事も皆やった事がある感じ。そして一平太さんがテムズ河出版に来る前に勤めてい別のパッケジャー、クアトロの仕事した経験ある人もたくさんいたそうです。有名らしいのに私は全然知らなかったので後でインターネットであらゆる組み合わせのスペルを試して探したけどそれらしき会社にはヒットしませんでした。今度もう一度しっかりスペルを聞いてみようと思います。

夜の10時過ぎにお開きとなり、その後パブに移動して飲んだ人もいたようでしたが、私は皐月さんと一緒にバスに乗って帰宅しました。まだもう一日仕事があるし。その後夜中に気持ち悪くなって目が覚めたのでおとなしく家に帰って良かったです。ワインをグラスに3、4杯飲んだだけだったのに。お水を大量に飲んで頭痛薬も服用して眠ったら翌朝にはもう回復していましたが。肝心のレストランの料理の感想ですが。ガスパチョ好きの私が選んだ前菜の冷たい野菜スープはガスパチョとはちょっと違ったけど新鮮な野菜の風味が生きていたし、先に書いた様にデザートもなかなかでしたが、主菜の豚肉がイマイチでした。ドライで味が無くて。カジュアルなスタイルでもコンラン卿のレストランだからきっと一人当たり30から40ポンド(6千円から8千円)位は取られていると思います。自腹を切っていたら落胆もさらに大きかっただろうなと思います。でもまあ、肝心の会話は大いに楽しめたので良かったです。