皆さん、こんばんは。
GW楽しい時間をお過ごしになられましたでしょうか?前回投稿してからフライパンで指を焼いてしまいタイプするのが痛くて、4Fのこともお伝えしたかったのに、時間が空いてしまいました。
先月チャクラ瞑想しようと思い、自分がセルフでチャチャっとやっているもので誘導することを試験的に2回やってみました。でも、オンラインだとその場を共有している人のチャクラの状態をそのままに進めていくことが自分には難しく、全員のチャクラが整うのを確認して進めると90分だとか掛かってしまい、通常の対面サウンドヒーリングでお一人なら10分掛からないでできていることができず、断念しました。
ブルース・モーエンメソッドでお伝えしている準備プロセスなら簡単にエネルギーをチャージすることはできて、それと比較するとチャクラ調整も事前に概念の共有をしていないと自分の誘導のレベルでは想定するレベルで整えることができず、今は私の中ではお一人ずつ対応させて頂く、もしくはセッションに来ていただいた方に誘導させて頂くものだと思うに至りました。このためにインスタフォローして頂いた方、申し訳ありませんでした。よろしければ、DM下さい。遠隔チャクラ調整をさせて頂きます。
この気づきの上で、GW中はサウンドヒーリングをさせて頂いて、チャクラを扱うことの神聖さのようなものを更に感じさせてもらうことができて、とてもありがたい時間となりました。それぞれの方が、チャクラを整えることで自分が既に持っている答えに気づくというのか、身体は全てを知っているという印象がより強くなった期間となりました。
では今日は、褒めることがどうして劇薬になってしまうのかという話をするために、防衛、脅威への反応としての4Fの概念をお伝えします。
ハラスメントやトラウマ、ストレスについて悩んだり考えたことのある人は「闘争逃走反応」こんな言葉を耳にしたことがある方は結構いらっしゃるのかな?と思います。脅威や何か恐怖を感じた時に、人間が取る反応です。闘う、か、逃げる。ちょっと想像してみて下さい。あなたは夜道を一人で歩いています。街灯がなく真っ暗な道を歩いています。すると、急に後ろから走って自分に向かってくる足音を感じます、そして知らない人があなたに向かって叫びます「おいコラ!」と。あなたは、次の瞬間どうしていますか?どんな反応を取りそうですか?
売られた謎の喧嘩を買いますか?
後も振り向かずに全速力で走って逃げますか?
「あれ?私は闘うでも逃げるでもない気がする、、」そうですよね。他にも反応の種類はあるのです。
突然の恐怖に、その場に固まってしまう。
怖すぎて、媚びた笑顔で「え?どうしたんですか?(私はあなたに危害を加える気も機嫌を損ねる気もありませんよ)」と切り返す。
この4つが4Fです。
闘う(Fight)
逃げる(Flight)
固まる(Freeze)
媚びる(Fawn)
脅威を感じた時に出る反応として英語圏では25年以上前から使われている反応の種類です。
日本語の心理学の世界では「媚びる」反応にまで言及されているものはまだ少ない気がします。そして、これが反応、無意識に選択されているものだということが重要です。日本でいうところの「いい子」が実は健全ではなく「適応しすぎる子ども」と呼ばれるような不健全な状態かもしれないということです。ドラマに『鈴木先生』という名作ありましたが、空気を読めすぎる子どもはこれからどうしたらいいのか。
私自身、中学受験の面接で「自分がどんな人間だと思われているか教えて下さい」と言われた時に「先生や親には良い子だと思われていると思いますが、私はそんな人間ではありません。本当の自分は違うと思っています。友達にはしっかりしていると思われていたり、楽しい人だと思われていると思います」と、それまで自分を客観視して語るなんて場面はなかったのに、そんな話を勝手にしていた自分に自分が後から気付くという衝撃の場面が思い出されます。小学6年生でも、冷静になる機会があれば気付いていたわけです。でも、それをしないと親に好かれないと思って無意識にそうしていた、とは気付いていないので、それがその後もずっと続いていたわけです。
私は4人兄弟の長女でも末っ子でもない位置で育ったので、気が利くと兄弟の中でそれを長所として育てられた感がありました。でも、心理学を学ぶ中で大人にとって「都合のいい子」であったんだな、と気づいたタイミングがありました。心の底から「お疲れ様、もう自由になっていいんだよ。本当に自由になっていいんだよ」と、それまでは自分の中の美徳というかそういう点であった気を利かせるという部分を手放す過程がありました。
自己犠牲を払っているのか楽にやっていることなのか、という判断が最後まで難しい所でもありました。でも、こういう時に、ストレンジャーテクニックという、自分を他人だと思って捉え直すテクニックが助けになりました。自分のことを自分が一番大切に思う人だと思ったら、自分はそのことをその人にさせたい?させる?と思うと、自分が払わなくていい犠牲を払っているのかが完全にわかるようになりました。アドラー心理学で言われるところの課題の分離も助けになった観点でした。
他人を利用する人、搾取する人は本当に平気で要求をしてきます。そうされることに慣れていて、自分が必死に応えてきたので、逆にそれを子どもや他者に対してやってしまうのです。自分のことを振り返って労う、癒す、ことができていないと、このサイクルが親子間でも代々引き継がれていきますし、組織の中でも循環します。組織では、指示を出すところと指示を受けて実行する現場がどんどん離れているのです。人間の中でもそれが起きているんだと思います。だから、自分を観察すること、自分に無理をさせないことって自分の中の話だけでなく、社会の役に立っているのです。ノーと言える自尊心。おそらく、今の日本の子育てでは、これを一番育てないといけないのです。他者に評価されなくちゃ、と無理することで不安を消してたなんて、自分が子どもで気付いていなかったけれど、それをしなくてよかったって、自分はどんな人間になっていたんだろ?とも思うのです。だから自分の過去については、自分で労ったのでそれでよかったと思うのです。確実に得たスキルがあるから。そして、今こうして使いたい時にそれは使えるものになっています。でも、これからの社会を思ったら、気付いた大人から改めるに越したことはないと思うのです。明らかに精神疾患の原因になっていると思うのです。
話題は少し変わりますが、自分(名前)と「私」という感覚は別だということ、これは共感してもらえたり、皆さんに伝えられているのだろうか、と疑問に思っています。この感覚がとても重要というのか、この感覚が掴めるようになるととても楽になるからです。
「私」と言わなければいけない状況というのは、そこには分離が前提条件としてあるのです。そのために分離に恐怖が湧く人は、「私」と言いながら不安から他者の信念をそこに持ち込みやすいのです。そうすると、自分と私の間に隔たりができてきます。自分と私が一致していたら、完全に自然体です。隔たり、葛藤があったらそこをクリアにするのに身体が媒介となってくれます。身体に優しく触れること、労うこと、感謝することそして、他の要素にも感謝することが助けになります。自分(情報)、身体、信念、心、思考、これらが自己否定がなくなる度に統合されていきます。トップダウンも、ボトムアップも両方あってこそ自分が生きるのです。
ミスチルの365日って歌知っていますか?この歌書いたって、桜井和寿は本当になんて人なんだ、と思うのです。この歌を知った時に、私の中で桜井さんが絶対的なアーティストになりました。本当に響くラブソングって自分との本当の繋がり方を教えてくれる気がするのです。自分とか私とか生きているってことに対してこれを超えるってなかなかないと思うのです。感情、肉体のある世界で、自分の中が統合される、無条件の愛を実現しようと、可愛いから美しいの世界へ移行する大人が本当の愛しさに気付いてる歌だと思うのです。どの立場からの歌と聞くのか、という面白さもあって、意識なのか、身体なのか、自分なのか、私なのか。いつか、この歌をライブで聞けたら最高だろうなと思います。歌ってすごい力があります。そして、触れられる世界に生きてるって私たち本当に幸せだと思うのです。自分に会いたくて、生まれてきたから。
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました
自分を大切にすると
自分の中に自分という最愛の存在を見つけます。
それまでは、
第一に大切にするのは、自分と子ども。
自分を絶対に愛している存在。
そこでの自然な在り方に気づくと
感謝で愛という元気がどんどん循環します。
そして気づきます
自分と私は別だということに。
そして
他者からどう思われるかが薄れていきます。
どんどん自分に集中していきます。
どんどん願いが出てきます。
どんどん祈りも出てきます。
人生をどんどん自分色に。
人生がひらかれていきます。
そして周りを見渡すと、
みんなの命も輝いています。
キラキラ、ニコニコ、ニャハハハハ
ああ、自分でいられるって最高。
自分の好きをわかってくれる
自分の好きを叶えてくれる
天才、大好き、ありがとう!
自分に対してそんな感覚でいっぱいになります。
自分という奇跡、
今日も生きてる
Relax & Joy
小栗 茜