みなさん、こんばんは
昨日は、一昨日の『強運の法則』の著者、西田文郎先生の講演会や懇親会で聞いた話で信念体系クラッシュを起こし、一日中合間合間に涙が出ながらも、普通にやることやって過ごせる、という、自分の成長ぶりに、更に驚く一日でした。
そして、今朝も起きた途端涙は出るのですが、過去に体験してきたこと、印象的で記憶に残っているものは、全部いつかのために記憶に残っているんだな、と思ったのでした。あることについて、自分がこれを知っているということは、使っていくことなのか、と。
わたしが何かを見聞きして一番ショックを受けることは子どもに関するもので、一昨日から頭に浮かぶことは、子どもたちの精神衛生環境です。
精神は身体とは異なります。例えば、生活習慣病は数値で測られて、認定され、薬が処方されるわけですが、精神的な生活習慣病は、気づいた時にはうつ病だとかになっていて、それまでの生活を同じように送ることができなくなっています。身体で例えるなら、ある日突然、透析が必要な状態になったところで気づく。精神の場合には、そういう状態だとも言えると思うのです。
身体のことも、自分が健診だとかに行かなければ、体の中の数値を知ることはできず、外から取り締まってくれる健康警察はいません。スピード違反、健康数値違反で逮捕してくれる他人はいないのです。精神はそれ以上に野放しにされているのです。自分で守ってあげるしかありません。未発達な子どもを守ってあげられるのは大人です。
身体の健康を気遣う人にとっては、精製度が高い物、トランス脂肪酸、化学調味料、添加物、フッ素、香料、界面活性剤、色々な物を避けて生活したり、逆に摂取するようにされているものがあったりします。
精神も同じです。身体で例えたら血糖値が急上昇するような、五感刺激、残忍さ、凶暴性、依存性のある言葉、そういったハイテンションにするものに触れていると、精神の健康を損ねやすいです。健康な閾値からホルモンバランスが崩れ、普通に送れていた生活に対して億劫になったり、ストレスを感じたり、攻撃的な面が出てきたりします。
中毒性、依存性があるものから抜けられない状態は、ストレスの代償であるそれらが、現在の自分を保つのに必要になっているわけです。そして身体と違って、よりその人の精神性が関わるものなので、そこを他人が指摘することは危険で、解脱症状、人生に付き合う覚悟のある家族だったりしない限り、他人はそのことを指摘しないわけです。そして通常依存から抜けるには、他の依存先を用意しておきます。凶悪な新興宗教を抜けるのと同じことを脳の中では行うわけです。覚悟がないとできないわけです。
凶暴な何かに触れることや、依存性のある言葉を説く人間で、バランスを取る。一見そういった物に触れて、元気になったり、スッキリした感じはあっても、その支配は、ある種どんどんその人の潜在意識には刻まれていきます。そして、何かあった瞬間に、イメージの世界の話ではなくなる可能性があるわけです。脳の中では現実も想像もリアリティがあればその境界は曖昧だからです。
そういった物に誰でも、子どもでも簡単に触れることができるようになってしまいました。そして、浅はかな考えでそういう物を面白がって子どもに広める大人もいます。経済第一主義の世の中ですから、人の命よりお金で世界は回っています。小学生が自死する世の中になって、それは親世代の社会がそれだけ病んでいる、つまりわたしたち中年が相当危機的な状況にあるんだと思っています。
わたしは、こういうものを大きすぎて、自分がどう動いたらいいのかわからないし、こういうことに興味のある人も周りにおらず、今までスイッチの入れ方がわかりませんでした。それが、これに危機感を持った人たちが、危機感の面からではなく、理想像、ビジョン、夢の面から活動されていると、知ったのです。「健やかな精神を育てるもの」という、刺激もなく、優越感もくすぐれないものを、本気で考えている人は本気の物を作って、本気で目の前の人から全国に広げているということを知り、衝撃を受けました。そして、信念体系がクラッシュしました。
昨日、父が「昨日の会はどうだったんだ?」と能力開発だとかに興味があるので話しかけてきて、わたしは、自分の中というか自分が更地になった、こんな人がいたんだ、とか西田先生ってのは、と、いろいろ伝えたのです。そして話が終わって帰ろうとした時に「でも、まあ、あれだ、砂つぶになったんだったら、そこからマグマになって造山活動すればいいってことだな」って。久しぶりに、父に対して厳かな気持ちになって「ありがとうございました」と一礼して帰りました。大人になってから新年の挨拶以外で父に頭なんて下げた記憶ないですから、笑。わたし更に大人になった気がするというのか、ここからもっと大人になりたいと思いました。ちょっとこんなことを思ってしまうのは、もうわたしのキャラだと諦めています、根が大人じゃないことは。
これから、精神にとっての健康を作り出す場をどんどん作りたいと思います。だから、わたしはひとまず健康を目指すと決めました。
人生は、楽しかったら、健康でも不健康でもいい。
人生は、辛かったら、健康でも不健康でも関係ない。
こんな風に人生については、それぞれの人の考え方があるから、何でもいいですよね。生まれた時から、病気がある人もいるし、病気があったら不健康なのかもわからないです、わたしには。だから、この辺りの言葉の定義も自分はまだ曖昧なので、これから詰めていくとして、わたしが思う健康は、寝る時に「ああ、いい一日だったなあ」って眠れることです。
わたしが今、人生に想うことは
・人生が、有り難かったら、湧いた想いはとめません。
・人生が、有り難かったら、思ったことは形にします。
そんな感じのクラッシュ中です。
あ、「思ったことしか形にならんよ」とツッコミがどこからともなく入って来ました。
・人生が、有り難かったら、最高を想います!
も、追加します。
「人生を変えるのはやる気じゃない」そういったわたしの西田先生のイメージや、数冊の本、動画から受け取っていたものと、生でお会いして西田先生が関わってこられた方たちや、同世代で西田先生に惹かれている人を見た時に、点でバラバラな感じが、とても興味深かったです。ただ、一つ共通して感じたのは、みんな野心があるんだ、ということでした。本当に勉強になりました。
Be Wild!!とは違うけど、Be Human!!って感じ?飼い慣らされた愛玩人間をやめて、みんなで人間に還ろう!戻るんじゃなくて、進化して還りたい!だって、結局人間でしかないんだから、そんな気持ちです。脳のことがこれだけわかっているんだから、この歴史の中の洗脳を簡単に解く、自分で解く、それを進化とわたしは感じているようです。
クラッシュ中の記録ではありますが、応援して頂けたら嬉しいです。わたしにスイッチ入れるきっかけを下さった方に、わたしはいつかこのご恩を返したいです。
みなさん、今日もお付き合い頂き、
ありがとうございました
小栗 茜
Relax & Joy
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