皆さん、こんばんは!
前回、次は4Fについてとお伝えしていたのですが、昨日からの流れが面白すぎる今日でしたので、すみませんがその話を。
今日はお寺で、五十回忌の法要があったのです。自分が生まれるよりも前に亡くなった人なので、私は何も知らない人ですが、霊視できる人には、この人の存在を過去に二度指摘されたことがあり、自分でも何かしら気配を感じていたので、そういう意味では知っている人でもありました。
お墓で最後に御焼香をした時に、目を閉じたらオレンジ色のというか暖色の強い光が見えて、そこに自分の後頭部というか背後からも同じ色の光が出ていって、その目の前の光へスーッと入っていったのでした。その時に、「ああああ」と。昨日の出来事はここへの伏線だったのか!一連の流れだったんだ!と気付いたのでした。
昨日解放されたものが、ある意味この人と同じ脚本を共有していたというのか、私の様子でこの人が私に近づいてきたのか、初めから全ては決まっているのかもしれないし、わかりませんが、もう、ここからはこの人との脚本はない、と気付いたのでした。人生のある側面が成仏しました。八方塞がりみたいな状況にいるわけでもなく、考え事をして思い詰めてそこから「死にたい」と思うわけでもなく、本当に不思議な感覚だったのです。でも、身体はあの昔の重い感じを再生できるだけ記憶を持っていたというのか、体感が再生されて、言葉と自分の態度によって、ビル解体の動画の逆再生を見ているような回復感、氷が一気に蒸発するスピード感で、そこが完了したのでした。この体感、私はこの手順を行う時にしか味わえていなくて、めちゃくちゃ興味深い感覚なのです。気持ちいいのです。
これは、BMMでお伝えしているリトリーバルのこちらが意図せず起こっているバージョンとも言えて、そういう意味でも体験できたこともよかったですし、リトリーバルって本当に面白いものだな、と思いました。妹はBMMを習ったことがあるので、その場では話していなかったのですが、後から、お墓の話をしたら、暖色のエネルギーを見ていて、お互いに「やっぱり!」と確認も取れて、「妹、習ってくれてありがとう!」とも思ったのでした。
キネシオロジーのセッションでも、系図を遡って調整することがあって、DNA,RNAの調整をしているわけですが、自分の代で負の連鎖を断つことって未来にとって、地味だけど英雄にしかできない選択なのです。前の世代への共感はしつつ、時代錯誤だというものは突っぱねる。自分の感覚を信じて選択する、どんなに感謝してもし足りない相手であろうが行為、態度について拒絶する。本当に大切なことだと思いました。
今日も、親戚で集まったので「遺伝」を目の当たりにするわけです。思考も食習慣も深い人間関係もあらゆるパターンが幼少期に周りの大人、特に両親からコピーという形でダウンロードされているわけで、面白いくらいシンクロしていたり、そういうのも面白かったですし、50年前に亡くなっている人について話をしたりする中で親の子どもの頃の話が出てきたりして、あまり親の昔話を知らなかった兄弟は親への理解が深まったようでした。知るって大切なことです。情報がなかったら、何で判断しているのか?ということを冷静に考えると、いつもの防衛による自動のパターンか、深い直感か、見た目、それだけですからね。皆さんも、家族、親戚、それぞれの幼少期の話を聞ける機会があったら是非、聞いてみて下さい。自分の人生が面白おかしく愛おしさも増しますし、苦手な人へは理解、寄り添える情報を手にできるかもしれません。他人を嫌わずに済むってとっても楽です。
今日の体験からますます自由に、自分らしく、自然体で、好きを頼りに選択していこうと思いました。ああ、幸せ。
今日もお付き合いいただき、ありがとうございました
自分を大切にすると
自分の中に自分という最愛の存在を見つけます。
それまでは、
第一に大切にするのは、自分と子ども。
自分を絶対に愛している存在。
そこでの自然な在り方に気づくと
感謝で愛という元気がどんどん循環します。
そして気づきます
自分と私は別だということに。
そして
他者からどう思われるかが薄れていきます。
どんどん自分に集中していきます。
どんどん願いが出てきます。
どんどん祈りも出てきます。
人生をどんどん自分色に。
人生がひらかれていきます。
そして周りを見渡すと、
みんなの命も輝いています。
キラキラ、ニコニコ、ニャハハハハ
ああ、自分でいられるって最高。
自分の好きをわかってくれる
自分の好きを叶えてくれる
天才、大好き、ありがとう!
自分に対してそんな感覚でいっぱいになります。
自分という奇跡、
今日も一日輝いています。
Relax & Joy
小栗 茜