皆さん、こんばんは!

 

あと1週間で3月も終わり、もう1年の4分の1が終わってしまいます。早い、早すぎる。こうやってどんどん人生終わってしまうので、日々自分に預けられた技術を磨いています、どこまでいけるんだろ、笑。非物質にフォーカスかかり過ぎて、意識が遠のくことが何度もセッション中にあって、これは流石にまずいと、自前のグラウンディングソックス石というのがあって、それを設置したのに使うの忘れたり、とまだまだ変容する自分とメンタルリハーサルが足りないことを感じています。でも、セッションが本当に楽しいです。人間ってすごい作りです、複雑そうでシンプルで。シンプルそうで複雑で。

 

春分前日の、パーフェクトヒューマン結婚のニュース、皆さん、ご無事でいらっしゃいましたか?笑。なんて言葉にしたらいいのか。ぶっちぎりパーフェクトヒューマンだったので、こんなニュースを知っても何も情報を後追いする気もしなかった、この知らせが、一陣の風、でしかなかったことに、逆に、異世界の住人、妖精のように思っているんだと気づきました、笑。みんな凸凹が見えるからこそ惹かれる余地があるというか。美しい、としか思えない人って好きをワープして、あなたという存在を知れたことにただただ感謝します、という感覚になります。

 

パートナーシップって、人によって求めているものが全然違うんだなって改めて感じて面白かったです。一緒にいたいかどうかしか自分の中にはなかったので。このニュースを知った時に、旦那さんの前でこの人のことを絶賛しまくって「私一体何がしたかったんだろ?」と、軽く?後悔した人の話を聞いて、反応って面白いな、と思ったのでした。旦那さんに可愛がって欲しいんでしょうけど、まあ、それすら自分に本当はして欲しいことなので、笑。ひとつのことでも、受け取り方も、利用の仕方も人それぞれだなあと思ったのでした。

でも、なんだろ、この人って顔がとにかくかっこいいのかな、爆。

 

自分は、この春分の前日頃に、自分の中の統合が加速していて自分で引くくらい、好きでも無い人に言われたらホラーでしか無いような言葉を自分が自分に向けていた瞬間があって、ちょっと時間が経ってから自分がロマンチック村の住人だったことを久しぶりに思い出したのです、爆。そうしたら、いつものスーパーに「あれ?ここ浜松だよね?」ってくらい見掛けない、エキセントリックな男性がいて、すごく素敵なコートを着ていて素材をガン見してしまいました。この非日常感、笑、伝わりますか?爆。田舎でしか体験できない、内側変わると外側変わった現象、笑。

 

自己否定をやめて、自分の中を整えるって本当に面白いです。自分の中に、どんどん願いが湧いてくるのと、いろんな点においてそれぞれ自分が最高に楽しんでいた時の感覚が蘇ってきます。そして、すぐに面白い光景、出来事、情報、直感がやってきてそこから翌日には回収される伏線になっているようなことが続いています。偶然とか本当になくて、毎日寝ている間に翌日を一回体験して目が覚めてやり直しをしている感覚です。自分にとって大切な場面では最高を把握しては祈って、無理はさせない範囲での最高を選び続ける。DNAって連続の世界で選んでいると思うのですが、連続、安心じゃなくて好き、突然変異で選べる世界ほど自分が自分でいる意味を果たしている世界ってないと思うのです。その感覚。そして、それは全体に対しては何の影響もないけれど、自分には100%影響しているというか、選択それ自体が自分だと思うので、自分を全うしている感が、楽しいし輪郭線がはっきりしていて幸せです。そして、他責にしないで済むここまで成長した感、笑。

 

ひとを見て思うことは自分に思っていること、と私は相変わらず思っています。昨年末、私は他人を見て、大切にされていないのにどうして尽くしているんだろ、と強く思って「あ!自分か!」と。大切にされていないと感じる人を大切にしようとするのを辞めました。その分を全部自分と自分を大切にしてくれている人に向けるように変えました。私がひとを見て反応を起こしていたのは、私自身が大切にし合う関係を強く望んでいたから。そして、自分が自分に大切にされたかったから。そうしたら、どんどん自分の力が磨かれていくのです。どれだけ自分を大切にしていなかったんだろ、と大切にして気づいたし、ここでの学びはとても大きかったです。そこから自己否定への考察も深まったので感謝しかありません。自分を大切にすると決めたあの時の自分、ありがとう!と今は思います。そして、自分に感謝されることほど気持ちいい感謝ってないことも知りました。これってみんな知ってるのかな?と、薄々思っているのです。ああ、これ、パーフェクトヒューマンに近づいてる、爆。パーフェクトヒューマンが自分にしか励まされたことがないって言っていたんです。ちょっとそれに近づけた感、爆。アスリートって本当にすごいですよね。私の感覚では、自分への感謝と謝罪と共感と労い、これが聖テサロニケの有名な言葉へと繋がります。本当におすすめです。この自分への4つの態度。

 

自分の力の一つには感性があって、少し前に面白いことがありました。私は好きな食堂があるのですが、どうして好きかって、味に必死さがないのです。皆無。普通の顔してるのです。どんなに美味しくても、その一品ずつが普通の顔してるのです。だから、顔が歪むくらい、叫びたくなるくらい美味しくても、普通かな?って時も、同じ表情なんですよね。それが、ある日、目の前に出された定食が普通の顔をしていなかったのです、付け合わせのレタスまでざわついていたのです。で、店主に「今日、付け合わせの葉っぱまでおかしいよ!今日ヤバいんだね!」って。いただく前からどんな味なんだろ?と期待が膨らんだのです。そうしたら、店主が「茜さん、見てくださいよ」ってレタスのパッケージを持って来てくれたのです。そうしたら、生産者さんの情報のところに、手書きで赤いハートマークが2、3個踊っていたのです。で、その店主はこのハートマークを見て「うきうきしちゃったんですよ、〇子さん、ってこの方どんな気分でハート書いたんだろ?とか、笑」って。レタスのエネルギーなのか、店主のエネルギーなのか、もうそんな情報がちぎられた葉っぱに乗っちゃってるんですよね。で、私はそういうのが見えているというか、感じているので。なおのこと自分の中を誤魔化す気もしないというか。こういう感覚が格段に以前よりセッションの中で今活かされているのです。

 

そして昨日は妹が出してくれたコーヒーを普通に一口飲んだらいつものと違うと思って「あれ?これいつものと違うの?」って聞いたら、ちびまる子みたいに「え゛」って、笑。前日ちょっとした事件があって、良かれと思って彼女なりにコーヒーに意図、祈り?を入れていたのでした、笑。だから、商売で出すものって、本当にそのエネルギーが広がっていくから、本当に自分のように大切にして送り出してあげたいと思うし、受け取ってくれる方のことを思うと偶然でも何でも自分と繋がってくれた感謝を忘れないでいたいと思います。そして感謝を忘れそうになる時、忘れている時って、自分への感謝を忘れているからだということも気づいたので、労うし、寄り添うし、謝るし、とにかく自分の正直な声を自分にだけは出せるように、聞いてあげる姿勢、感謝の姿勢を取ってあげたいと思っています。

 

そしてそれが、ノートに書くということ。ノートに書くって手間なんですよ、だからこそ、本当にこれをやってあげるかどうかって自分に感謝しているか、であるし、やるやらないも全然違いますし、どこまで聞いてあげるか、自分への言葉掛けでも全然違います。教育の中で素直であることを強いられてきた人って効率求めているのが結局自分に対して正直であることを効率悪いと感じている節があって、その最たるものが自分だったので、ノートワークを始めた時、すぐには良さはわからなかったけれど、めんどくさいと思う時こそ頑張って書いたからこそ、この感覚を知ることができました。今はノートに書きさえすれば、晴れない気持ちなんて絶対にないと知っています。そして、晴れると知っているから曇ることも減ってしまうというわけです。

 

問題に直面した自分がいるとしたら、そこから気持ちを軽くさせてあげられる一番の存在は、その張本人、今の自分だってことをわかっているから。過去も未来も今にしかないので、今の自分が1番の裁量権を持っているので、自分が決めるだけです。決めるのも、決めたところから行動するのも、今の自分だから。他責にしなくて済む、って天国です。誰かのせいにしたり悪口言ったり不良でいる人って諦めているんですよね。自分の意見が支持されない、みんなに好かれる存在にはなれない、ってかまって欲しい態度をとるけれど、自分が自分を一番無視している状態です。他人への悪口って自分への悪口だから。自己否定しているわけです。だから私は過去の自分のようなそういう姿を見る機会には、自己否定ですね、と思いながら、そこからどうするのがいいのかは、まだわからずにいます。自分は自分で気づいたからいいけれど、他人からその可能性を指摘されるってどんな感覚か平気なのかわからないから。でも、それぞれの人生はそれぞれにいいように動いていると思うので今はただ見て相手のシーンに入っている感じでいます。

自分が引き受ける覚悟の時にはブッ込んできましたが、笑、その時の自分はそうしたかったからしたのはいいんだけれど、反面それは自分を大切にしていないことでもあったんだな、と今は思います。他人を大切にするのもいいけれど、好きな人が現れるのはそれくらい自分を大切に扱う、扱い方を覚えるためで、それを自分にやってあげるためです。

 

人間の成長というプログラムの中では、その最たるものが子育てって位置付けなんだと思います。どうされたら、自分もあなたも同じだけ大切だって伝わるし実現できるかな。自分でできるようさせてあげるためにはどうしたらいいのかな、って考えて子どもと接していると、やっぱりここでも、相手に感謝して謝って寄り添って労うことが大事だ、と結局教えている感じになっています。そして2歳だとか幼いと、この感覚がまだナチュラルに備わっているのがわかります。はんぶんこするのが嬉しい、嬉しいことを一緒にするともっと嬉しいって感覚が。共感、寄り添える幸せを知っているのにとっても温かい気持ちになるし、とにかく笑えることばかり仕掛けてくるのが楽しくて、こちらも可笑しいことをついついしたくなるけれど、母親のことを思うとあんまり可笑しい娘になっても悪いかな、と自粛しています。本当に可愛くて楽しい甥姪たちで、親と子の関係って息苦しくなることがあるから自分にとって叔母が救いだったことが自分の叔母としての立場でも生かされています。そして、自分のここまでの人生って本当に無駄がなかったんだなあと、人生が正確すぎるというのか、この仕組みが凄すぎて、生きているってこの仕組みだけでも感動するし、人生を生かされていることに感謝が湧きます。外にあるどんなゲームもこの実人生以上に面白いなんてありえないから。

 

春分明けて、この春からも皆さんがいつも温かい気持ちでいられますように!

春っていいですよね。スプリングロール、笑。

春巻きって、揚げも生も全部美味しい、笑。

 

それでは、聖テサロニケ使徒への手紙の言葉を。

 

「いつも喜んでいなさい 

 絶えず祈りなさい 

 すべてのことに感謝しなさい」

 

正、反、合!このサイクルお見事ですよね!この三文だけに心のあり方の全てを表せていてすごいなと思います。

日々を愉しむ、そして望まないことがあったら、じゃあどうがいい?と聞いて、望みもわかった上で全てに感謝。

暗記するまで、お手洗いだとか、お台所に書いて張っておくのお勧めです。二十歳の頃、下宿先に母からの手紙にこれが書かれたカードが同封されていて当時からずっと壁に張っていました。そして、これが一番すごい言葉よね、と私たち母子の間では聖書の中のベストワードとなっています。

 

今日もお付き合いいただき、ありがとうございましたラブラブおねがいお願い

 

それでは、新緑の季節に向けて、

今一度自分の土の具合を楽しく!

確認してみてください。

 

自分のこと大切にしているかな?

寒くないかな?

落ち葉のお布団でも敷き詰めてあげよ。

 

どんなお花を咲かせてあげる?

この隣はどんなお花がいい?

ああ、風はあちらから吹くのか。

そうしたら、こちらは大きなこの花

かわいいこの子はそこにしておこ。

 

このどんぐりもここに埋めちゃうか。

あ、食べたいから、椎の実も埋めとこ。

 

どんどん願いが出てきます。

どんどん祈りも出てきます。

人生をどんどん自分色に。

 

人生がひらかれていきます。

 

今日も、みんなの命が輝いています。

キラキラ、ニコニコ、ぷぷぷぷぷおねがい

大好き!

 

 

 

 

Relax & Joy飛び出すハート流れ星

 

小栗 茜