皆さん、こんばんは。

 

先程は昨日のことを書いたのですが、今日のことも。

今日は仕事の後に自分のために始めたあることをしに行ったり、好きなお店をはしごしたりしたのです。そうしたら「さよなら自己否定」活動(大人のための自己対話ノート)のせいなのか、今までの行動と異なるというか、自分にとって新たな選択肢を無意識に勝手に選んでいることに気づいたのです。自分が「え?そんなことするんですか!?笑」と言われ、言われてみて、確かにそんなことをしたのは人生で初めてであった、と気づいたり。そして周りも出してきてくれる面が変化しているというか、そんな人だったの?爆、と今度また会った時にどんな変わった自慢をされるのか楽しみなのです。何かご縁があるので、繋がっているわけですけれど、ここまで変わった特技を持った人だとは想像していなかったのです。それにそう!「何かあった?女度あがってるよ?」爆、とも言われました。忘れるところでした。日記に書かなくちゃ、笑。

 

そして、例の店主がまた、すごいひと言を発して下さって、このご夫婦の頭の中を垣間見たのでした。静岡県西部の宝、と私は思っています。普通の顔して紛れているというか、そして、どうしてこうも天才なのかというのが、この人が読書の趣味があるからかも、と思ったのです。いろんな作家の文章を身体に通すというのは、それだけ信念を篩に掛けるきっかけにもなるし、小説は映像作品と違って自分の中で全てを再生するので、自分の中の想像力が埃を被りにくいんだろうな、と。天才って自分の感性、想像力にどれだけ正直に応答して生きているかだと思うのです。宝店主に肖って?倣って、仕事と関係ない本をただ楽しむためだけに2冊買ってきました。本当に時間が貴重です。あっという間に1日が終わってしまうから。そして、早寝早起き、大切なアウトプットの仕事を朝イチで完了させる。これは本当にいいリズムを作れそうです。

 

「さよなら自己否定」自己対話のノートは重要ですが、感覚を取り戻すのに、まず今日からできることを1つ。

 

「褒める」をやめる、です。

 

自分も他人も、褒めるのをやめます。

私たちは、子どもの頃から大人に都合よく動かされる手段として「褒める」という「けなす」と逆の、一見いいようなことを通して心理コントロールされることに慣れているのです。飼い慣らされています。これが、自己批判、ジャッジの大元、根源だと私は思っています。ですので、褒める、褒められる、この立場から脱却します。

 

親が子どもの成長を「すごいすごい」と言っているのは、生き物としての成長にびっくりしたり、成長を「喜ぶ」表現だったと思うのですが、それがそのまま「喜び」を表現している人と「評価」して育てている自分を採点している人に分かれていると思うのです。

 

「褒める」ことをやめると、この感覚が冴えてくるので、ひとから何か言われた時に、喜んでくれていたり、感謝されたのか、もしくは、評価されたのかを感じるようになります。同時に、自分が何かのきっかけで他人を褒めた時に、評価した気持ち悪さを感じるようになります。すごく面白いです。

 

「褒める」をやめると、感謝がめちゃくちゃ感じられるようになります。自分の喜びがその人と作られたと感じられるのです。私たちは感謝を本当は伝えたいのだと思うのです。日本には、褒められる、評価されるために頑張っている人がかなりいて、その人たちは褒められたくて仕方ないのです。そして、その飴を手にいれるために自分に鞭打っているので、他人を褒めることをやめるのは社会にとってとってもいいことだと思っています。そして、他人に対して私たちは感謝しているし、感謝を伝えられると気持ちいいことにも気付けるようになります。

 

例えば、散歩している時にその道沿いのお家の子どもが家の前の道を掃除しているとします。

そうすると「ありがとね」と言う人と「綺麗になりますね」と言う人と「えらいね」と言う人の3パターンからどの人になるか選べるのです。共通してるのは、綺麗な道を歩けていることです。それに対して、この子のおかげ、と思う人は感謝を言葉にするのですが、相手が感謝を受け取り慣れていなくて窮屈にさせるのも悪いな、とか、見ていますよってお天道様の代わり、愛の眼差しを引き受ける人は「綺麗になりますね」って言うし、無意識にコントロールされてきたし、するのが当たり前の人は褒めることをするわけです。面白くないですか?どれが好みか、って話でもありますし、褒めなくても、他に伝えられるもっと本当は伝えたいことがあるわけです。子育てに褒めることを推奨するものありますが、私はその内容はよく見た方がいいと思っています。喜び、共感、感謝で伝えるのがいいと思います。だから尚更、大人が大人を褒めるって気持ち悪いな、と思うのです。

 

褒めることをやめると、自然と感謝と労いの感覚が他人にも自分にも湧いていることに気付けるようになって、そこから言葉が出てくるようになります。ですので、是非、はじめの一歩として、今から褒めることをやめてみて下さい。

 

そして「感謝を伝えられる気持ちよさ」は「安心」と連動していることも感じられるようになると思います。ですので、「感謝を伝えるのが「いい」んだな?じゃあ、感謝をとにかく伝えていくぞ!」とするのではなくて、言いたいし落ち着いて言える状態で伝えられるようになった段階から言葉にしたらよくて、それまでは心の中でしっかり感じるくらいでいいのです。態度に出ているから相手には伝わっています。それよりも自分の中に広がる安心の場、感覚に慣れる必要があります。

「こうすると、いい!」という損得勘定、大人の思考に囚われて行動することに慣れすぎていると、自分の中身を置き去りにすることに慣れています。こういう人たちにとっては、この自己否定を無くす活動の目的は、自然体以前の、本音をそのまま自分に対して出せるようにすることなので、思考レベル、行動レベルで何かを強いることを極力避けたいのです。それは恐怖、不安の場でやることなので。だから「感謝をどんどん伝えていこう!」というのは早すぎて、まず自分の中でしっかり感じてほしいと思います。

 

それと「伝える」と言うことにはもう一つ大切な、面白い点があるように思っています。ひとは誰しも自分の話を「自分に」全部聞いてほしいと思っています。正直な話、本音を聞いてほしいと思っているのです。なぜなら、自分に聞いてもらえたら、自分に叶えてもらえると思っているから。潜在的に知っているんですよ、この真理を。面白くないですか?これに気づいた時に、わぁあああ、ってとっても温かい気持ちになりました。正直な気持ちを行動にできている人はそんなに話したいと思わないのかも、と最近感じたのです。着実に行動しているから。自分がしたいことを叶えてあげる、そうしたら、思いは言葉じゃなくて行動になっているので、自分の中に滞っていません。でも本当の思いが行動になっていないと自分の中に滞っているから別の方法、言葉や感情の発散どうでもいい自分ができる行動でどんどん出したくなるんじゃないかと。そして自分の本音のためでない行動に消耗、疲弊していたりするのです。最近、自分の本当の要望をどんどん聞いていると忙しいし他人とそんなに話したいと思わなくなっている節があるのです。だから、自分の本音がわからない人はまず日記だとか、自己対話は本当にいいツールです。まずは出せる、伝えられるようになってきて、安心が広がります。嘘の話でも聞いてあげられる大人の自分が育つので。そして聞いてくれる人が育つと、本当の話をしても大丈夫かも、となっていきますし、それが進むと、叶えるために行動してくれる人が自分の中で育つのです。

 

人間には先行刺激が処理されたように後続の刺激処理も行われやすいということがあります。例えば、朝お布団の中で目が覚めて、伸びをして気持ちいいなあ、ありがたいなあ、と感じると、その後も心地よさと感謝を感じる、という処理がされやすくなるというような感じにです。だから、朝どんな気持ちを感じて過ごすかが1日にとって大切ですし、これを利用して朝感謝することを日課にしているお爺さんとかいますよね。そして、これを更に遡ると、夜寝る前に、最高の朝になるように準備して寝るのはもっと理にかなっていると気付くわけです。夜寝ている間に脳は掃除されるので水分が必要になります。ですので、水分補給をして寝ておくことで、脳の浄化がされやすくなりますし、お風呂に入ったついでに感謝と労いの気持ちで1日を終えておくこともとてもいい習慣になるのです。やっているとシンプルに気持ちいいですしね。でもこれをまた強いるのはよくないわけです。でも、この気持ちよさで朝晩挟むのを私はサンドイッチのように感じていて、気持ちいい感謝と労いっていうふわふわのパンに1日っていう彩り豊かな具を挟んでいるみたいで、最高じゃないですか?笑。そしてサンドイッチを見ると、1日の集合体、人生みたいでキュンキュンします。はあ、可愛くて幸せ。

 

ということで、

褒めることをやめて

サンドイッチの優しさに包まれる毎日

よかったらお試しください。

 

今日もお付き合いいただき、ありがとうございましたラブラブおねがいお願い

 

 

それでは、今日も明日も

想像力とともに

 

 

自分を大切にする、

人生を愉しむ。

 

そのために

考えるべき時には考えることを楽しんで!

 

人生をどんどん自分色に。

 

人生がひらかれていきますように。

 

今日も、みんなの命が輝いています。

キラキラ、ニコニコ、ぷぷぷぷぷおねがい

大好き!

 

 

 

 

Relax & Joy飛び出すハート流れ星

 

小栗 茜