皆さん、おはようございます。

 

昨日は、自分の才能を活かしたようだけれど、手応えは大してないということを体験しました。これは最近自分が感じたいと思っていた感覚で、他人の才能に感動して、その人にこの才能が活かされているってどんな感覚なのか聞いたら「自分がしていることの手応えは全くないんだ」という話をされました。そして「なるほど〜〜」と思ったのでした。

 

昨日は、自分が作ったものを相手に出して、その時には目の前の人が喜んでくれて、褒めてくれて、「役に立ってよかった」と嬉しい気持ちになったものの一瞬で終了。事前の準備がメインで、その場では自分は見守るだけだったというのもあるのですが、このおかげでよくわかりました。準備に百時間は使っていて、私は一人か二人で何かを作り出すとか、自分が点と点で得ている情報から何かを編み出すのが好きで、その夢中になっていた時間が自分にとっての歓びで、ああ、こういうことなんだ、と、大量行動の意味を知りました。行動だけが本質的な歓び。それが届いた先の喜びはその人の喜びでしかないんだとわかりました。喜ばせているわけではないんですよね。これ伝わりますか?

 

今まで、何かを買ったりする時にその商品のおかげで喜びが湧いたと思っていたんだけれど、そうじゃなかったわけです厳密には。そして、それは全体の一部として生きていく中では、自分と他人という境界をぼかせばいい部分でもあるのですが、否定的な意味でも同じ仕組みだということが重要なのです。

 

ノートワークを作るのに、自己対話を短期間に8回したら、感覚がすごく細かいところまで捉えるようになって、本当に外の世界の問題じゃないということを身をもって体感しました。気分が悪い人って、自分の思考、体内環境が悪いだけなんですよね。そして、その思考を採用しているのは間違いなく今の自分。だから、今すぐに自分は採用しない!と決めればいいだけなんです。でも、それが今までの習慣で自動再生されているので、自動で起きていることに目をむける新しい習慣を取り入れることでそこを改変できます。自己否定に徹底的に気づくことで。

話はそれましたが、結局夢中になっている時が楽しいわけで、夢中になる時間が毎日何時間あるのか。そして、それを1日の終わりにひとと共有したり生きてることを感じるのが幸せだと思うのです。そう思うとやっぱり人間はやりたいことするために生まれてきたと思うのです。自分を全体に対して活かすことでもありますしね。

 

感情というのは新たな行動喚起のためのガソリンでしかありません。行動のその先に感じなくてはいけないものがあったとしたら、それが自己否定を埋めるための行動であったからこその恐怖の裏の感情だと思うのです。感情って燃料でしかなくて、人が感じたいのはその人固有の感覚、感性、知性でとらえられるその人だけの世界、美しさだと思うのです。美しさを求めて、求めるというのが行動で、だから行動が目的。感情は求めていません。パワーを感じたいというのも、無力だ、という前提があってこそ必要になるもの。自己肯定感をあげる、ではなく、自己否定に気づく。本当にシンプルなことで苦しさから人は抜けられます。

 

感情が欲しくて行動していると思わされている人が多くて、アンソニー・ロビンスなんかも言っているらしく、これは自分で確かめていないので、噂の域を出ませんが、DNAが違うってことも前提として大事ですよね。自分の本音を聞いてあげようよ、と思います。自分の感覚が麻痺しているのか、マインドコントロールがすごいのか、人生における親との関係の役割やインナーチャイルドケアについて今度書こうと思います。子どもを見ていると、感情が欲しくて生きてなんていないですよ。ただ夢中に遊んで、寝て、おやつ食べて、遊んで、の繰り返しで。被害者意識を抜けられずにいる、大人の自分が内的父性と母性を磨くだけなんだという知識がない人たちにこのことが広まったらいいなと思います。美しい大人って、本当に子どものように夢中に生きていて、大人になるっていいな、と子どもに思わせてあげられるような気がするのです。私も間違いなく、叔母叔父を見て大人っていいな、と思っていました。

 

ガキは、気分、感情で選ぶ。

大人は、損か得かで選ぶ。

成熟した大人は、美しさで選ぶ。

 

自由で成熟した大人で、子どもに夢を見させてあげられるのがいいな、と思います。そのためにも、今日も大量行動。

 

今日もお付き合いいただき、ありがとうございましたラブラブおねがいお願い

 

 

Relax & Joy飛び出すハート流れ星

 

小栗 茜