2014/12/22()

年末、年始のスケジュールのお知らせです。

1.稽古納め:12月27日(土)
2.稽古始め:1月8日(木)

になります。

また、12月29日(火)はジュニアクラスを対象にバンコク近郊の、ムエタイジムで1日ムエタイトレーニングを予定しています。オヤジクラスの人も参加可能ですので希望者は山内まで直接お問い合わせ下さい。

オヤジクラスといえば最近、日本で本格的にやっていた経験者でありタイ在住者の人が参加、出稽古に来てくれるようになりました。

こちらとしても初級者から上級者、経験者にできるだけ満足してもらえれるように稽古方法にいっそうの工夫と研究が必要になってきたと感じています。
取り急ぎ、ご報告まで!!押忍!!

 

 

2014/12/17()

能力がないのに、上の立場に置かれた人間は可哀想で哀れであると思う。

〇〇の××様、△〇航×の女副〇長、知り合いの社長息子の〇×君。。。。。

特にこの知り合いの〇×君は先般、社長のお父様が急死されて30代半ばの若さで会社運営をしていかなければならくなった。

30代半ばといえば、「もう立派な大人、たいへんだけど大丈夫っしょ。」と思ってしまうが、そこは結局タイの金持ちハイソの一人息子の御曹司。

個人の才覚で若くして億万長者になったライブドアのホリエモンやサイバーエージェントの藤田晋氏ではないのである。

甘やかされて育てられ、同族会社に入っても実務経験がないままいきなり幹部。人に命令できる立場に祭り上げられる。しかし、知識もスキルも経験もないので、命令がトンチンカンで重みがなく、スタッフは皆白けてしまっている。

この御曹司君はそれを分かっているので、ますます威厳を見せようとますます意固地になって、自分の言っていることが正しいとか正しくないとかとは関係なく、自分の意見を大声を上げてでも無理にでも通そうとするから、社内では人心が離れて相当浮いていた。

会長の息子だけに皆遠慮して助言もしない。親父がいる間は親父の求心力と後ろ盾があったので、問題なかった。

しかし、その親父が病気で急死された。正直、本当にこの先どうなるのか?と心配になってくる。

ブランド力のある会社だけに、当分はそのブランド力でしのげると思うが、逆にブランド力を傷つけてしまった場合のダメージが測り知れないのは〇韓×空のナッツ事件が全てを証明している。

結局、親の育て方に問題があったとのではないかと思ってしまう。苦労して社会的に成功した親ほど、自分が経験してきた苦労を子供に味あわせたくないと思うので、結果的に子供を甘やかす。

子供のためを思って欲しいものは買い与え、高い学費を払って海外に留学させ、子供が食いっぱぐれないように金や土地、会社を残す。

しかし、子供に親が残してくれたものを維持運営していく能力がなければ待ち受けているのは悲劇だけである。

「子供には魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えろ。」という言葉があるが、この釣り方にあたる部分が、教育であると思う。

学校に通わせて社会で生きていく上で必要な知識やスキルを覚えさせる。学校の勉強は凄い人にはなれなくても、社会人としてきちんと仕事をして生きていく姿勢や生活習慣を身につける基礎になるものであると思う。

また、スポーツや運動を通じて身心を鍛えて、精神的にも肉体的にもタフにさせたり、性格を前向きにさせてここ一番の集中力とか、学校を離れた違う場所でのコミュニケーション能力をつけさせる。

あまり書きすぎると個人攻撃のようになってしまうので、書きたくないがこの御曹司君は、端から見てても親に車や家を買ってもらったり、30過ぎても親の金で海外旅行に行っていたりしたので、かなり甘やかされて育てられていたのが見て取れた。

基本的な性格は優しく、いい性格で人間的には決して悪い奴ではないんだけど、上の立場に立つ自覚と経験、力量が決定的に欠落しているように思え、先行きが心配なのである。

まあ、こんなこと書いていると「お前、人の心配している暇あったら自分の心配せえ!!」とか子供の「父ちゃん、全然上の立場やないやん!!」いう声が聞こえてきそうだが(ほんまにそうなんですね。)、これを他山の石として、愛情の与え方を間違えると、結局子供が不幸になる、ということをしっかり肝に銘じだいと思う。押忍!!

 

2014/12/11()

「幸せは求めるものではなく感じるものなんです!!」

「3年B組金八先生」の言葉ですが、この言葉の意味がよく分かるようになってきた。
昨日の空手オヤジクラスでもそうだが、本当に空手が好きなオヤジたちが集まって一緒に汗を流す。

一人でやると「孤独なトレーニング」という感じになって悲壮感が出てしまうが、一緒に汗を流すと「仲間といっしよにやっている」という感じになって、幸せを感じる。

メンバーは全日本に出る現役オヤジや本格派オヤジもいて、そういう人たちを相手に、老体ながらまだまだ技に磨きがかけれるというのは幸せであると思う(これは個人的感想で、楽しんでやっている人たちとも空手を通して触れ合えるとうのも幸せです。)

ムエタイトレーニングでも元世界チャンプや元ムエタイランカーにミットを持ってもらったり、スパーリングの相手を普通のようにしてもらったりできるとうのも光栄かつ幸せなことである。

それを遠くで黙って見てくれている日本の会長にも感謝しているし、今は直接関わりなくても、私に関わって頂いた多くの真門仲間やK会時代の人たちにも気持ちの面で多くを支えてもらっている。

また「地球は子供たちからの借り物」という言葉もあるが、空手を教えながら、これからの地球の将来を担う子供たちに何かを伝えていける立場にいるとうのも責任を感じながらも幸せである。

12月に入るとどうしてももう「今年後残りわずか」ということもあって、1年を振り返って色々思うことが多くなる。

「俺が。俺が。」の「が」ではなく、不肖ながら「おかげさま」で「げ」の気持ちを忘れることなくやってきたいと思う。感謝と押忍!!

 

 

2014/11/30()

オヤジクラスはさておき、チビクラス、ジュニアクラスの子たちは練習期間、年齢とともに確実に成長してきていると思う。

道場発足当時はチビクラス、ジュニアクラスというものはもともとなくオヤジもジュニアもチビも皆、いっしょくたでやっていた。

しかし、それぞれのクラスの人数が増えてくると、当たり前の話だがどうも教えるのが上手くいかなくなって、ある時期から分けて教えるようになった。

私自身も発足前はこの地で空手を教えよう、空手をやろうという気などさらさらなく、運動不足解消のため、当時長期のムエタイ修業に来ていた日本人の友人と二人で体育館の1スペースを借りて週一でミット練習とスパーリングに汗を流していだけである。

それを何人かのタイ人が遠巻きで見ていて興味を持って参加し始めたのがそもそもの発端である(後ろ蹴りとか飛び後ろ回し蹴りとか私の空手ッポイ動きに興味を持ってくれて、それを教えてくれと言われたと記憶している)。



とにかく、意気込み皆無の自然発生的道場だったからこそ、変に気負うことなく自然体でここまで続けてこれたのだと思う。

「やってられん、もう止めよう!!」と思ったことは何十回となくありますが、、、、、


現在、チビ、ジュニアの生徒は日系の学校の生徒とタイ系、インター系の学校の生徒がいるのだが、日経の学校の生徒は親御さんの仕事のご都合で3~5年を目途にいずれ日本に本帰国するパターンが多い。

もともと生徒の人数がそんなに多くないこともあり、また親御さんのご理解もあり、日系、タイ系、インター系の学校問わずチビクラス、ジュニアクラスの子は大体長く続けてくれる

だから、子供たちとの付き合いは長く、中でもタイ系、インター系の学校に通っている生徒とは本当に長い付き合いになる。

そういうチビの時から教えている子が今、小学校の高学年や中学生になってきた。

身体も大きくなって対人練習でもパートナーがいないので、必然的に指導陣とパートナーを組むようになる。

昨日の練習でも高学年の子とパートナーを組んだのだが、ミットでもスパーリングでも結構、歯ごたえがあるのである。向こうも同じジュニアクラスの低学年と組むよりは私や指導陣とパートナーを組んでやった方が表情も活き活きしていて楽しそうだ。

そんな時、「大きくなったな。成長したな。」と子供を持つ親の心境に似たような感情を生徒に抱いてしまう。

そして、ジュニクラスから脱皮しつつある多感な思春期を突入していく子達のニーズにも応えなければならない何かが必要になってきたよな~。と同時に思った。押忍!!

 

 

2014/11/22()

冤罪事件の代名詞、「袴田事件」の本を読んだ。

読了した後、日本という国の司法の恐ろしさに何とも言えない気分に陥った。袴田事件とは元ボクサーの被告が、「無実の罪」で裁判で死刑が宣告・確定され40数年以上も刑務所に拘置された冤罪事件である。

無実の罪で、国家権力に死刑が宣告される等、中国共産党、北朝鮮以外にこの私には思いつかないし、実際、自分のその当事者になったら気も狂わんばかりになって、精神崩壊をきたすのではないかと思う。

もっとも衝撃的だったには、当時の捜査機関も検察も、裁判所も袴田氏が無実だと気付いていながら、有罪に仕立てあがようと拷問をし、証拠を捏造し、はめていったこと。

最終判決を出さねばならない裁判官も、袴田氏が無実と確信しながら、有罪判決の死刑確定文を書かねばならなかった無念さや憤りが詳しく書かれていて、国家権力、組織の論理の恐ろしさを、本を通してではなるが、改めて思い知った。

日本の裁判所の門をくぐる者は例え身が潔白であっても、全ての希望と期待を捨てねばならないという言葉に嘘偽りはない。起訴されたら、99%以上の確率で自動的に有罪判決がくだるという言葉に嘘偽りはないのだろう。

実際、外国(主にヨーロッパやアメリカ)の司法関係者は日本の有罪確定率の高さにぶったまげるらしい。

「日本では正しい意味での裁判は行われていない。日本の裁判とは検察の言い分を100%に近い確率で認めて判決を出す機関に過ぎない。自白調書に頼り過ぎた日本の司法はまるで中世のようだ。」と言われ、それに腹を立てた日本の司法関係者が、国際会議で「シャラップ!!」と叫んで、物議をかもした出来事を記憶している人もいるだろう。

産経新聞の元ソウル支局長が、韓国政府の言いがかりとしか思えない罪状で在宅起訴され事実上、韓国政府に軟禁されていることは一日本人としてその理不尽さに怒りを感じるし、一刻も早い開放を願うものである。

しかし、その一方で日本のマスコミが、日本の公明正大さを美化して、それを非難する論調にはどうしても違和感を感じてしまう。

日本は素晴らしい、それに比べ、、、というような論調にどうしても引っかかってしまうのである。

口に出しては言えないが(書く時点で口に出しているのと同じようなものだが)冤罪事件を頻発させている、てめえの国はどうなんだ!?と思ってしまうのである。

そういうことには蓋をして、相手の非ばかりを避難して、憎しみを惹起させる日本のマスコミのやり方は一種のプロパガンダであって、国民の知る権利に誠実に応えていないと思ってしまうのである。押忍!!

 

2014/11/16()

FBにはあまりというかほとんど投稿したりはしないのだが、時々面白い話や記事が友達つながりでアップされてきたりするので、毎日一通り眼を通すようにしている。

今日、読んだ記事で面白かったのは「成功している人間は体力、根性がはんぱない!!」というものだった。

主にアメリカでの成功者を例を挙げていたのだと思うのだが、「少ない睡眠時間でも仕事をやりきれる体力」、「疲れていても資料を読み込む集中力」、何より「勝つまで止めない精神的・肉体的なタフさ」はどの成功者にも見られる共通した特徴であるというようなことが書かれていた。

過去、ベストセラーにもなった「金持ち父さんと貧乏父さん」という本の中でも、社会に出るまでは学力が将来を大きく左右するが、社会に出てから勝敗を分けるのは「勉強以外の何か」であるというようなことが書かれていたことをそこで思い出した。

昔、私が日本で会社勤めをしていた時、その会社はいわゆる大手といわれる会社で、日本の有名大学出身者が多い会社であったが、支店長とか幹部に上っていく人はやはりその中でも体育会出身の人が多かったように思う。

体力もあって重責に耐えられるだけの精神力もあって、スポーツで培ったリーダーシップ所以だと思う。

私もバブル期の体力採用で運良くこの会社に入れ、持ち前の愛嬌?で年の近い体育会系の先輩社員の方々からは可愛がってもらった方だと思うが、見ていて「こら太刀打ちできんわ。。。」とサッサと逃げ出した。まあ、これは余談。(昔から見切りの速さと逃げ足だけは速かった。)

最近、うちの長男が小学三年生ながら学業にかなり忙しくなってきて遊ぶ時間やTVを見る時間もないほほどである。

毎日遊び呆けていた私のガキの頃と比べると、見ていて少し可哀想な気もするが、週二のバドミントンと週一の空手は続けさせているし、よほどのことがない限り休ませない。

というのは、私も何事も体が資本で、スポーツや格闘技で培う精神力が長い眼で見た場合、人生に役立つと思うからである。

最近は塾の関係で週一の空手の練習時間も少なくなってきているが、休んだ場合は自宅でミットトレーニングと補強の補講を課している。

夜中にミットを蹴らされる子供も辛いと思うが、ビールを飲んだ後、まったりしたい気分を押しのけて夜にミットを持つ私も結構疲れる。

しかし子供のためなら敢えて鬼にもなれる!!

「勉強も大事だが、こういうことも将来必ずどこかで活きるんだ。ひろき!!」と心の中で叫びながら熱血親父を演じている傍らで、配偶者が二男のはるきに「あんたは何でもっと頭使って考えて勉強しないの!!」と金きり声を上げていたりするのである。押忍。

 

 

2014/11/09()

最近、ごく稀ではあるが、オヤジの方々から空手をやってみたいが、もう年齢もいっちゃてるし、「ガチガチ叩き合う空手はやりたくない、無理だ。」と考えていらっしゃる方々が意外と多いことが分かった。

おっしゃり通りである。

何を隠そう、私ももうガチガチなんかやりたくないし、実際活きのいい若手なんかとやっても勝てるはずがないことは重々分かっている。

こんなことを言っては何だが、やるならダメージなしに楽にやりたいと思う。

実際問題として、全力でガチガチ叩き合ったり、グローブをつけてヘッドギアなしに顔面を打ち合ったりするのは、30を越えた仕事を持っている社会人にはかなり無理があると思う。

私も学生時代、空手で思うような結果が出せず、それで戦いへの未練が断ち難く、サラリーマンをやりながらキックのリングに上がっていた時があったが、あれは独身で20代とまだ若かったからできたのだと思う。

家庭も出来、仕事の責任も出てくると正直、あれはできないし、もうやりたいとは思わない。
しかしその一方で、空手・格闘技は続けたいという気持ちは残る。

草野球や週末バドミントンのように、肩肘張らず楽しくやりたいと思うのだが、実際に打ったり、蹴ったりして相手を倒す競技という性質上、純粋に楽しみだけを追い求めるというのも、これもかなり無理がある。

ただ、最近というか、徐々に思うようになったことは「楽しんでやったって別にいいじゃないか。」ということ。

もう勝つとか負けるとか、そんなことにこだわらず、好きだからただ楽しんでやる。

日常生活や家族、仕事に負担をかけないよう、逆に生活の活力になるような取り組み方でいいと思うようになった。

危なければ、できるだけ怪我をしないよう防具を付ければよい。オヤジのスパーリングや組手の時は相手に勝つことを目的にしてやるのではなく、力をセーブして、お互いいたわり合いながら、技術の向上を目的としてセミコンタクトでやればいい。

オヤジはもうこれで十分だと思う。

そうじゃないと、格闘技とか空手はいつまでたっても、若い人間しかやらない「腕自慢だけの狭い世界」になってしまうと思うのである。

実際、若者ですら、最近は格闘技をやる人間は昔と比べるとめっきり減ったと聞く。

タイで多くの人が、おじさんたちが体育館やコートで週末バドミントンを楽しんでいるように、おじさんたちがヘッドギアやグローブ・スネ当てや防具なんかを持って、楽しくスパーリングやミットを蹴ったりするような光景は結構、粋だと思うのである。押忍。

 

2014/11/04()

先週の日曜、愚息二人が通っているバトミントンスクールで9歳ぐらいの男の子が泣きながら、結構なスピードでランニングマシンの上を長時間走っていた。

スピードが落ちたり、ランニングマシンに手をかけたりするとコーチの怒号が飛び、頭をはたかれていた。

「えっ?何で?」と近くの人に聞くと、練習態度に問題ありとか試合に負けたことに対するパニッシュメントとのことであった。

この男の子のお姉さんは、今をときめくタイの有名バトミントン選手でオリンピックのメダリストでもあり世界チャンプでもある。

多分、この男の子(弟)も将来を期待されているのだろうし、実際ジュニアレベルではかなり強い。

子供の頃からこうやって半プロフェッショナルとして鍛えられ、やがて世界のトップアスリートになっていくのは理解できるが、まだ子供なんだから、そこまでせずとも考えてしまうのは、やはり私が日本人だからか、甘ちゃんだからだろう。

ムエタイでもそうだが、タイの子供が本格的にスポーツをするとはこういうことなのである。

子供に覚悟を促すと同時に、他の全ての道を閉ざすということでもある。親もそれをサポートする。いわば「文武両道」ではなく、「武専道」である。

一方、それ以外のタイの普通の子がスポーツをするというのは一種の娯楽であり、健康のためだけだ。

だから、辛くなるととすぐ止めるし、親もそれ以上、強制したりはしない。指導者もそれを分かっているので無理なことはやらせない。(私たちの空手の道場の通常の練習も普通のタイ人にとっては「やり過ぎ」ということになるらしい。)

あるのは「上」と「下」だけで「中間」がない。

タイのトップアスリートは武専道でやっているので、選手であることを止めた時、タイの社会では選択肢が極端に少なくなる。

だいたいは専門トレーナーになるかコーチになる。選手に華があれば芸能界に入るとか喋りが巧みであれば、スポーツレポーターかキャスターになるという道もあるが、可能性としてはかなり低い。

一方、普通のタイ人がスポーツをしたといっても、それは「ただした」ということだけであって、それ以上でもなければそれ以下でもない。

スポーツをすることによって「何か」を培ったという訳ではないので、残るのは「やった」という経験と多少のスキルだけである。

取り組み方は人それぞれの考えでやるのが、その人にとって正しいものだと思うが、「中間」を標榜する
純粋?なアマチュアの私どもとしては、タイに中間層がないのは万事にわたって不都合極まりなく、寂しいものである。

「中間層を厚くしないとね」と感じた光景であった。押忍。

 

 

2014/10/27()

先月、帰国されたK君のご家族から連絡があり、K君は日本でも元気に頑張っていると聞いて嬉しかった。

日本でも空手を継続して続けているとのことで今は週3回の道場通いでかなり気合が入っているらしい。

何でも12月に試合があるようで、それに向けてハードに練習しているそうである。

生徒が去ってしまうことは寂しいことではあるが、次のステージで頑張っていることを聞くと本当に嬉しくなってくる。何より、空手を続けてくれていたことが素直に嬉しい。

別に空手を続けなくても、自分の持ち場で奮闘してくれていれば、その子に関わった人間としてはそれだけでも嬉しいのだが、やはり空手を通して道場生の皆さんに接しているので、「空手を続けている」と風の便りに聞けば、喜びは倍加する。

そういう意味では空手をすることそのものよりも、私自身が空手を通して皆に接することの方に意義を見出すようになってきたのかなとも思う。

自分のことしか考えていなかった20年ぐらい前と比べると俺も成長したじゃないか!!とここで自画自賛。

とにかくK君が元気で頑張っているとのことでほっと一安心。

その一方で去って行って更にステップアップした子にも負けないように、私もこの道場も、次に進むことをそろそろ真剣に考えないといけないとも感じる。押忍。

 

2014/10/18()

マンネリって悪いことなのだろうか?と思う。

「最近、仕事がマンネリで。。。。」とか「夫婦関係がマンネリなんだよな~。」とか「彼氏とマンネリなのよね~。」とかよく聞くし、かくいう私も色々なところで、このマンネリ感を感じることがよくある。

こんなことを言っては何だが、私自身、夫婦関係はいうに及ばず、仕事、空手の指導、ムエタイトレーニング、最近マンネリ気味である。

マンネリとい言葉は、悪い意味で使われることが多いが、いい意味で考えればこれは一つの適応現象で、心も身体もやっていることに馴染んできた証拠。

やり始めた頃のドキドキ感、ワクワク感をいつまでも感じていたら「心も身体も疲れてしょうがない」ということでの生物の一つの生理現象なのではないか?と思う。

大事なことはこのマンネリ感を感じてきたところで「もう飽きた~。止めよ~。」ということで止めてしまわないことなのである。

マンネリだからと言って浮気をしてしまっては、慧眼の配偶者をごまかすことはできず、家庭崩壊してしまう。

マンネリだからと言って、今やっている仕事とまったく関連性のない畑違いのことをしてしまっては、今やっている仕事が潰れてしまう。

マンネリだからと言って、今やっている空手を止めれば、信用を失うし(あるかどうかは別問題として)何より、自分を裏切ることになって自分を許せなくなる。

マンネリだからと行って、今やっているムエタイトレーニングを止めてしまえば、肉体的老化に向かってまっしぐらで、動けなくなる日もそう遠い日の話ではなくなるだろう。

逆に考えれば、マンネリ感を感じてきたら、次のステージに上がるため、グレードアップするための準備期間に入ったと考えた方が建設的だろう。

頭が現在の状況に飽き足らなくなってきて、これをベースにして自然と次のことを考え始めるようになり、意識も自然とそのようになっていく。

運動やスポーツでいえば、身体が現在の練習に対して耐性ができ(強くなって)、更に次の次元へ突入していく準備期間。

言うなれば、心と体の「貯蓄期間」と言えるのではないか?

このまま貯蓄を続ければ、利子もどんどん大きくなって更に貯蓄も利子も増えていくが、貯蓄を止めてしまえば「貯蓄の取り崩し」に入って元本割れということにしまう。

むろん、貯蓄が増えても、日本のように低金利なのは頂けないので、高金利体質になるよう頭をブラッシュアップして変えるところは少しづつ変えていく必要がある。

この頭をブラッシュアップして少しづつ変えていくということが結構重要なのである。

「刺激がね~な~。退屈だ。誰かワクワクさせてくれよ。」と人に求めるものではなく、目標や目的は自分の頭で考えて作り出していくものだと「不惑の40代」も後半に入り、感じるようになってきた今日この頃である。押忍。

 

 

2014/10/13()

子供道場生の話題が多く、多分子供しか教えていないのだろうと思われがちであるが、週一で「オヤジクラス」というものもある。

クラスというよりも、有志が集まって一緒に汗を流すような場であるが、他の道場やら日本から出稽古に来てくれる人もいて何とか命脈を保っている。

本当は「オヤジアンドレディークラス」のような感じであれば華もあっていいのだが、現在のところ30代以上の「オヤジ」と10台の年長けた感じの「オヤジ的少年」しかいない。

華やかさなど全くなく、実に泥臭く、汗臭く、むさ苦しく、時々お茶目(私だけ?)にやっていてスルーされたりする訳だが、このクラスに参加してくれているオヤジ達に垣間見える共通点は、どこかしらアウトロー的な雰囲気を醸し出している点である。

アウトローといっても飲み屋の女にうつつを抜かして身を持ち崩し、沈没しているという意味ではありません(一昔前ならともかく、そんなステレオタイプな東南アジア居住退廃的日本人ってまだいるのかな?)。

辞令一つで片道切符でタイにやってきた人、もう日本に帰ることはなく、次赴任するならどこか違う国に赴任されるであろうビジネスマンの方。

徒手空拳でタイに移住された人。前いたファランの人は、タイに住む前はベトナムで働いていて、今は故国に戻らずイギリスで働いている。

そうでない人もいる。しかし、こんなことを言っては失礼になるかもしれないが、そんな人も日本とか故国という「主流?」からはみ出た雰囲気が漂っているような感じなのである。

それだけに、どこかに「日本」とか「日本らしさ」「自分らしさ」を求めて空手に取り組まれているように見えるのは、私の眼の錯覚でしょうか?

また、「オヤジクラス」のことも考えてくれているようである。

いずれ日本や故国に帰るのだから、「タイにいる間は、とにかく眼いっぱい楽しむだけ楽しもう!!」というような軽薄?な部分が見えないのである。

むろんバカなことを言ったり、したりはする人もいるが皆基本は真面目な人たちなのだと思っている。

誘惑の多いバンコクという街だからこそ、敢えて空手をすることで自分のアイデンティティーを保っておられるいのか、もう一通り、遊びという遊びは全て経験して、「ただ遊ぶ」ということにもう飽きてしまわれたのかのどちらかでしょう。

遊びに飽きて、少し空しさを感じて来て、自分をちょっぴり苛めたくなってきたら、オヤジでも若者でもいつでもお越し下さい。ご期待に添えるよう、頑張ります!!押忍!!


ブロク更新しました(タイトル:オヤクラ紹介)
下記URLを更新して見てね。
http://ameblo.jp/taikokushinmon/

 

 

2014/10/12()

そろそろ「このHPのイメージ」と「現在の道場のイメージ」のギャップがかなり大きくなって、もう全然違う状況なので全面改装を思案中。

そこで、今どのくらいの人がこのHPを訪れてくれているのだろうとコントロールパネルを開いてみて驚いた!!

ここ数日1日の訪問者数が平均して150~200名という数字である。

頭の中では1日50名前後の固定読者という認識があっただけにこの数字には嬉しい反面、「読者が増えているのに入会者が増えないなんて。。。。」とちょっと複雑な心境にもなっりした。

50名前後ならどんな人が読んでいるか、大体想像がつく。道場と道場生の関係者か私の友人、知人というイメージなので、それなりに思っていることを、書けたが1日150名~200名だとどんな人が読んでいるのが把握できない。

小心者の私としては何を書いていいのか気分的に少し気が引けるが、ここはやはり私のスタイルを通すのが筋だろう。

こんなゆるい日記でも「くだらねぇこと書いてんな~。」と思いつつも訪れてくれたり、笑ってくれたり、何かを感じて頂いたりしたら、別に文筆業をやっている訳ではないが、結構幸せを感じる。押忍。

 

 

2014/10/06()

少し古い話であるが半月ほど前にバンコクの繁華街にあるMBK(マーブンクロン)という前で職業学校の学生が酒盛りをし、軍隊と警察が出動するという騒ぎがった。

学生からは麻薬や武器が押収されたというが、タイの職業学校の学生同士の抗争は日本のヤクザ顔負けの文字通り「殺し合い」である。

拳銃で相手を撃ったり、刀のような大きなナイフで相手を切りつけたりと明らかに「殺意」を持った殺傷行為なので、もはや「ケンカ」などと呼べる代物ではない。

武器を使わない殴り合いの喧嘩ならともかく、こういう人命を何とも思わない相手の人格を全く無視した行為は理解に苦しむが、こういう言い方が許されるなら、個人的には職業学生の立場にも同情の念を禁じ得ない。

タイのように格差が固定化した社会では、下の階層の人間は上に這い上がれる機会は極端に少ない。

唯一、這い上がれる機会は学業優秀になっていわゆる「いい学校」に入りタイの企業社会に入るしかないが、「いい学校」に入るためには結構な教育費と手間ひまがかかる。

職業学校の学生の家庭にはそんな経済的余裕もなければ、両親が子供の面倒を十分に見る時間もない。


評価がどちらかといえば「文」に偏った社会なので、勉強の嫌いな子、できない子、ハイエナジーな子は自分をぶつける場所、エネルギーを解き放つ所がない。

勉強ができなければ、スポーツで頑張って「甲子園を目指す」とか「Jリーガー」になるという訳にもいかない。

というよりも、子供たちが眼を輝かして目指すことのできる「華やかなプロスポーツ」というものがまだまだ育ってもいなければ、エネルギーを発散させることのできるスポーツが盛んな訳でもない。

少しづつ運動やスポーツに対する認識が草の根レベルで社会に少しづつ高まりつつはあっても、タイ社会が「文」重視の社会なので、職業学校の学生にしてみれば憤懣やる方なく自暴自棄になってしまっても無理からぬことであると思うのである。

もちろんだからといって人を殺したり、傷つけたりしてもいいということにはならないが、自分が認められ、存在意義が確認できるのが「殺し合いのような喧嘩」だけというのはあまりにも悲しすぎる。

そんな子に「いい子になりなさい。」と言ったり、政府が学校や学生に対して締め付けだけを厳しくしてもその効果には疑問を持たざるを得ない。

人は、特に子供は自分が評価されたい、認められたいと思っている。

そんな子には紋切り型の「いい子になりなさい、いい子になりなさない。」とプレッシャーをかけて締め付け
るのではなく、国ぐるみで「輝ける場所」を作って与えてあげた方がいいと思うのは私だけではないはずである。押忍!!