The Poseidon Adventure
1972年 アメリカ
監督:ロナルド・ニーム
出演:ジーン・ハックマン、アーネスト・ボーグナイン、レッド・バトンズ、キャロル・リンレイ

◼️あらすじ

ニューヨークからアテネを目指して大西洋を運航する豪華客船ポセイドン号が大波により転覆。
船体が上下真っ逆さまになってしまい、多くの乗客たちが救助を待つ中、助けが来る前に自力での脱出を試みる人々がいた。



◼️感想

え?これって宗教映画だったの?

「次回はポセイドン・アドベンチャーをお願いします。パニックものとして有名ですが、宗教映画としての側面もある深い作品なんですよ」

と、丸顔海賊団さんから優しいパスを頂いたので(ありがとうございます)約25年ぶりに観直してみることにしました。

「人間ドラマも充実したパニック映画の傑作」というのが本作の一般的な評価だと思いますが、改めて観てみるとナルホド〜。確かにこれはバリッバリの聖書映画でしたね!


まず、上下ひっくり返った船内がどんどん浸水していく中で、わずかな人々が自力での脱出を試みるという話そのものがノアの方舟を想起させます。圧倒的大多数の乗客が待機して救助を待つという選択をしたにも関わらず、まるで神の啓示でも受けたかのように自力脱出を信じて疑わないのが主人公なのです。

そういう観点で観ていくと、この転覆事故がまるで神が人間たちに課した試練(または怒りの制裁)のように思えてくるのです。これはいかにもキリスト教的な神と人間によるSMプレイだな〜と。

さんざん人間たちを痛ぶって信仰心を試す神はドSでよ、ほんと。

で、「ノア」の役割にあたるのが主人公であるスコット牧師(ジーン・ハックマン)なんですが、これが実に興味深い人物像なんです。


ゴツイ風貌のジーン・ハックマンが牧師の役?似合わね〜、と観る前は思ったのですが、それはまさに作り手の狙い通りでした。

スコットは格闘家とスポーツ選手としての経歴がある異色の牧師という設定なんですな。体育会系の牧師とはなんとも型破りなキャラクターではありませんか。

スコットが牧師として乗客たちに説教をするシーンがありますが、まるで試合前にロッカールームで選手たちを鼓舞しているコーチのようにしか見えないのです。

「苦しい時は神頼みではなく、内なる神に祈れ!
勇気を持って闘え!
神が求めるのは勇敢な者だ!臆病者ではない!
勝つ努力をせよ!神は努力する者を愛する!」

牧師というよりも、その風貌も相まってアメフトのコーチのような男です。


そんな体育会系の牧師が10人に満たない乗客を引き連れて、自力脱出という「正しい道」へと導く過程はそのまま「キリストとその使徒たち」に見立てることもできます。

何しろスコット牧師は千里眼の持ち主かというくらいの超人的な判断力を発揮します。全てお見通しなのか、スコットの「こうすれば助かる!」はことごとく的中するので、もはや神の子レベルです。

このスコット牧師が象徴する「危機に打ち勝つために人々を束ね、導くリーダー像」というものに、

・スポーツマン的
・キリスト的

という二重の意味合いを持たせてあるのが面白いですね〜。スコット牧師はジーザス筋肉クライストなのですな。

そして終盤では、両腕を広げてぶら下がった状態のスコット牧師が神に問いかける場面があります。


様々な難関により乗客が1人また1人と命を落としていく展開(神が与えし試練)に、「神よ!どれだけ人間に試練を与えれば気が済むのか!この人たちが救われるのなら私が犠牲なろう!」という旨を訴えます。

これは磔にされたキリストに見立てられていることが明白です。普通に観てもここは本作中で最も胸を打つ場面ですが、このような聖書メタファー(難易度は中級?)が隠されていることも鑑みると圧巻、の一言。

そして「使徒たち」には「天からの救い」がもたらされるところで映画は幕を下ろします。

思うに、1950〜1960年代は『十戒』や『ベン・ハー』などに代表される聖書をモチーフにした映画の全盛期でした。それが1970年代にはニューシネマなどの現実的で暗さのある映画の隆盛によって鳴りを潜め、聖書映画は終わったジャンルと見なされていました。

しかし、パニック映画という新たな装いにて復活を遂げた聖書映画が本作ではないでしょーか。

勿論そんなことを気にせずに、パニックと人間ドラマだけでもかなり面白い映画なので、本当によく練られてあるなぁと驚嘆するばかりです。

一応、書いておきますが、僕の信仰はキリスト教でありません。強いて言えばカンボジア仏教です笑。

僕の評価:8点/10


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