昨年半ば、米経済誌フォーブスは、世界の王族長者番付を公表。タイのプミポン国王が推定純資産350億ドルで王族長者トップと報道されました。
タイは立憲君主国で国王が国家元首。タイ国王は(ほぼ)すべてのタイ国民から敬愛されています。
特徴的なのは日本などの皇室、王室と比較にならない権威を保持していること。例えば、タイでは公共の場所では午前8時と午後6時に国歌が流され、TVでは国王陛下のビデオが流されるわけですが、その時はどんなに忙しくても直立不動の姿勢を取らないといけません。また、映画館では上映前に必ず国王陛下のビデオが流され、その時は直立不動の姿勢でビデオを見なければなりません。
週末に訪問したタイ家庭で1歳9ヶ月の子供(ナムイムちゃん)を見かけた。横になって寝ていたナムイムちゃんは午後6時にTVからタイ国歌が流れると、急に飛び起きてTVに向かって直立不動姿勢となった。これは両親の躾によるものだろう。両親はただ笑ってたから・・・(・∀・)
プミポン国王は、1946年に兄のラーマ8世が射殺体で発見(未だに原因は謎で自殺説もある)されたことから、18歳で即位(当時はスイス・ローザンヌ大学留学中)しました。
当時の首相・ピブーン元帥(戦前にも首相を務めた大物)は、国王大権をできる限り制限することを意図しており、国王の行動にかなりの制限をかけていたようです。
転機は1957年のサリット元帥のクーデターでピブーン元帥が追放されたこと。サリット元帥は革命政権の正当性確保のため、国王と面会し、詔勅により首都防衛官に就任。国王の後ろ盾が自分にあることをアピールしました。
その後、タイでクーデターを起こした者は誰でも、正当性確保のために、国王に謁見を申し込むのが当たり前になっています。つまり、プミポン国王はタイの「正当性の契機(ある物を動かし、規定する根拠・要因、ドイツ語のMomentより)」となっているのです。
16世紀末に戦国大名が天下取りのために揃って上洛を目指したこと、または幕末の時代に国家統一のイデオロギー的な拠り所として尊王(天皇陛下)が唱えられたことなどとアナロジー(類似)で考えれば良いと思います。いずれも混沌とした時代において「正当性の契機」が必要でした。
ー続くー