タイの王様 続き | ホーチミン市(旧サイゴン)在住・証券アナリストのタイ株、ベトナム株、日本株ブログ

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ホーチミン市(旧サイゴン)在住の証券アナリスト・竹内浩一が、ベトナムを中心に世界の金融市場を見渡すブログです。

 ー昨日の続きー

 その後、国王は政変に介入することも多くなり、着実に権威・実力を増していきました。

 ところが、そうしたなか、携帯電話事業で財をなしたタクシン氏が1998年に「愛国党」を創設します。2001年には首相に就任。

 もともと「北部」チェンマイ出身のタクシン氏は、「中央」の富を貧困層の多い「北部・東北部」に移転させる政策をとり、貧困層や人口の60%を占める農村部の支持を得ます。タクシン派の隆盛は、一時は「ランナー王国(13世紀から16世紀まで北部タイ中心に栄えた王朝)の復活か」とも云われたものです。

 反タクシン派に言わせれば、タクシン政権のバンコク(および南部のプーケットなど)の富を地方部(北部・東北部など)へ移転させる政策は「バラマキ政策」。しかし、繰り返しますが、タクシン氏はこの政策により民主選挙をすればタクシン派が勝利するという多数派としての「力」を獲得します。

 そもそも、バンコク(およびプーケット)の伝統支配層にとっては、北部や東北部は安価な労働力の供給基地になっています。逆に、北部や東北部が豊かになればバンコクの伝統支配層にとっては脅威となるという構図です。

 日本人から見れば、どうしてバンコクとチェンマイの間にもっと多密度なしっかりとした鉄道を敷設しないのだろうか?どうして鉄道敷設はチェンマイまでで止まっているのだろうか?どうしてチェンライ・メーサイまで鉄道敷設しないのだろうか?、といった疑問は自然に湧くと思います。不思議(!)にいままでそういった計画は出てこなかったのです。江戸時代風に言えば、「生かさず殺さず」といったところか。

 ところが、タクシン氏が首相になって風向きは変わってきたわけです。「タイ≒バンコク」という図式を崩そうとしたのがタクシン派とも云えます。

 しかし、結局、タクシン派は「軍部」「国王」「旧来の財界人」からなる「伝統支配層」によって力でねじ伏せられました。そして、そのタクシン没落(?)後に更に権威・実力を増したように思われる王権。また、今でも選挙をすればタクシン派が勝利するためゆえに総選挙ができないタイの政局。タイは色々な矛盾を抱えています。

 さて、今後のタイです。反タクシン派支持に回ったプミポン国王ですが、タイ国民は絶対的な敬意の念を現国王に対して持っているため、現国王が健在な間はタイには大きな問題は起こらないと思われます。

 しかし、プミポン国王は現在81歳のご高齢で心臓に持病をお持ちだそうです。国王の跡継ぎについては、ワチラーロンコーン王子(長男)は、陸軍との繋がりが強すぎること、離婚や愛人との破局などの女性問題が多いことからタイ国民の間では人気がありません。人気があるのは次女のシリントーン王女です。ところが、シリントーン王女の方には50歳超で独身という問題があります。
 
 仮に、万が一ご崩御ということになれば、それはどういう形をとるかはわかりませんが、タクシン派と伝統支配層の「軋轢再び」・・ということになる可能性が高いと思います。但し、それがどうSET市場の株価に影響するかは別問題。株は安いときに買うべきですから投資家は虎視眈々と情勢を観ています。