宇宙(67) 125歳と神宮125社めぐり(4) | thackeryのブログ

宇宙(67) 125歳と神宮125社めぐり(4)

「神宮125社めぐり」を述べた後に、 四国八十八箇所めぐりについても述べておきたい。 これは、 瀧原宮参拝に同行した友人の話である。 88という数字も人間の寿命と関係があるという。
※日本には、 神道、 仏教があり、 私にとっては宗教というより、 人間の生きる智恵を学ぶという受け止め方をしている。 特に神道は懐がとても広く、 すべからく人を受け入れる、 人のみならず万物を受け入れる広さがあると思っている。 その意味で全世界にメッセージを発信する際好ましい環境にあるのではと考える。


四国の「四」には大きな意味がある。 まず、 霊場スタートの徳島県(一)は人間の一生で言えば、 「誕生から幼年期に相当し」、 次に、 高知県(二)は「少年期から青年期に相当」、 次に、 愛媛県(三)は「壮年期に相当」、 ここには霊峰・石鎚山(四国第六十番霊場 横峰寺)があり、 最大の難所である石鎚山を越えると、 穏やかで温暖な地域が開ける。 最後に、 香川県(四)は「老年期に相当し」、 第八十八番札所 大窪寺に至る。


古代から、 都から遠く離れた四国は辺地(へじ・へぢ)と呼ばれていた。 平安時代頃には修験者の修行の道であり、 讃岐国に生れた若き日の空海もその一人であったといわれている。 空海の入定後、 修行僧らが大師の足跡を辿って遍歴の旅を始めた。 これが四国遍路の原型とされる。 時代がたつにつれ、 空海ゆかりの地に加え、 修験道の修行地や足摺岬のような補陀洛渡海の出発点となった地などが加わり、 四国全体を修行の場とみなすような修行を、 修行僧や修験者が実行した。 また、西行の白峰御陵(白峰寺)の参拝、 弘法大師遺蹟巡礼や、 一遍の影響もあるといわれている。 室町時代には僧侶の遍路が盛んになる。


第一番札所 霊山寺
ご詠歌
りょうぜんの しゃかのみまえに めぐりきて
よろずのつみも きえうせにけり


鳴門から西へ10㌔ほどのところに、 坂東という小さな町があり、 その町外れに霊山寺がある。 仁王門を入ると、 左に鐘楼、 多宝塔、 正面に本堂、 右に紀州接待所、 大師堂、 本坊がある。 天正年間の兵火と明治二十四年の災火に遇っているが、 その後、 建物は再建され、 一番にふさわしい伽藍。 縁起によれば、 聖武天皇の勅願により、 天平のころ行基菩薩が開基し、 弘仁六年(八一五)弘法大師が二十一日ほど留まって修法され、 この間霊感を得て釈迦如来を刻み、 印度(天竺)の霊山を日本(和国)にうつされる意味から竺和山霊山寺と号し、 第一番の霊場としたと伝える。 


第八十八番札所 大窪寺
ご詠歌
なむやくし しょびょうなかれと ねがひつつ
まいれるひとは おほくぼのてら


結願への最後の十八㌔の山路をたどる。 長い遍路の旅もここが終着・結願の寺である。 「お大師さんのおかげで巡拝できた」そのよろこびははかりしれない。 寺伝によれば元正天皇のころ、 行基菩薩がこの地に留錫し、 弘法大師が唐から帰国してより、 現在の奥ノ院の岩窟で求聞持の法を修し、 大きな窪のかたわらに堂宇を建立して自刻の薬師如来を安置した。 これが大窪寺のはじまりで、 後に女人高野ともいわれ、 参拝者で賑わったという。 そそり立つ胎蔵ヶ峰を背景に本堂があり、 礼堂・中殿・奥殿(二重多宝塔)からなり、 ご本尊の薬師如来は奥殿に安置されている。 薬壺のかわりにほら貝をもった尊容をされ、 このほら貝ですべての厄難諸病をふきはらうといわれる。 堂内には松葉杖、 髪の毛の束、 ギプスやコルセットなど奉納されている。 強い信仰のささえがあってこそ巡拝中におかげをうけたのである。 打ち終えた遍路は大師堂で感謝の勤行をすませ、 杖・菅笠を納めてゆく。


読者の皆様、 日本には人間の一生をじっくり考える霊場或いは神社があることを知り、 人間の寿命或いは生き方というものを学んで参りましょう。 遺伝子も含む、 色々な角度から。 


― - - つづく