宇宙(66) 125歳と神宮125社めぐり(3) | thackeryのブログ

宇宙(66) 125歳と神宮125社めぐり(3)

斎宮につき、 説明する。


「宇宙(64~65)125歳と神宮125社めぐり」に於いて登場する倭姫命と深い関係がある。 時は崇神天皇(すじんてんのう)の頃、 天照大神(あまてらすおおみかみ)は倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)と共に、 宮殿の中に祭られていた。 しかし、 二柱の神を同じ場所に祭ることは不都合が多かったため、 天照大神を倭の笠縫邑(かさぬいのむら)に移して、 崇神天皇の娘・豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に祀らせることとなった。 これが『斎王』の始まりである。 斎王は神の依代(よりしろ)でもあることから、 『御杖代(みつえしろ)』と呼ばれることもある。


垂仁天皇(すいにんてんのう)の時、 老齢となった豊鍬入姫は斎王の任を退き、 垂仁天皇の娘・倭姫命(やまとひめのみこと)がその後を継いだ。 この倭姫は日本古代の英雄・ヤマトタケルの叔母にあたる。 彼女は天照大神を鎮座させる場所を求めて、 宇陀(うだ)~近江~美濃を巡り、 遂に伊勢の国に至った。 ここで初めて天照大神が満足の意を表わしたので、 この国に社を建て(伊勢神宮の始まり)、 斎王が忌みこもるための宮を五十鈴川のほとりに建てた。 これが『伊勢の斎宮』の始まりである。 『斎宮』といえば、 本来は『斎王のための宮(都における天皇の宮のようなもの)』を意味していたが、 後には『斎王』自身を指すようにもなった。 なお、 この『斎宮制度』は伝説の時代を除くと、 天武天皇(てんむてんのう)皇女・大来皇女(おおくのひめみこ)から始まって南北朝に廃れるまでの約660年間続いたと言われている。


斎宮の歴史
※天皇の代替わりがあると伊勢の斎王も交代する。 斎王は皇族の未婚の姫(天皇の娘とは限らない)の中から占いで選ばれる。 大体が母親の身分が低かったり、 寵愛が薄かったりするので、 占いで決めるといっても、 あまり公平な選び方ではなかったようである。 斎王が任を終えて都に帰ることを退下(たいげ)と言う。 天皇が亡くなられた時、 または譲位した時に斎王の任が解かれる。 また斎王の父が天皇以外の場合には、 両親のどちらかが亡くなられた時に任を解かれる。 身内に犯罪者が出た時や自分が罪を犯した時(特に男性と通じた時)には、 『事故』とされ不名誉な形で都に連れ戻される。


[古代の斎宮]
・豊鍬入姫命 崇神天皇皇女
・倭姫命 垂仁天皇皇女
・五百野皇女 景行天皇皇女
・伊和志真皇女 仲哀天皇皇女?
・栲幡姫(または稚足姫)皇女 雄略天皇皇女
・荳角皇女 継体天皇皇女
・磐隈皇女 欽明天皇皇女
・菟道皇女 敏達天皇皇女
・酢香手姫皇女 用明天皇皇女


[斎宮制度成立以降の斎宮]
・673-686 大来皇女 天武天皇皇女 ・698-701 託基皇女 天武天皇皇女 志貴皇子妃 ・701-706 泉皇女 天智天皇皇女 ・706-707 田形皇女 天武天皇皇女 六人部王室 と続き、    
1333-1334 祥子内親王 後醍醐天皇皇女まで67代。


― - - つづく



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