遺伝子との対話(8) 「悟りへの道」(1)
氏は一服するため、 いつものように散歩に出かけた。 道中には要所、 要所に野生の花が顔を出していた。 白色、 紫色、 橙色と自然の美しさに勝るものはない。 更に、 小鹿達も挨拶にやって来た。 氏の別荘周辺は人は少なく、 自然の色合いが年経る毎に濃くなっていた。 秋風を肌に感じながら歩を進め、 今読んでいる『シッダーマスターが示す「悟りへの道」(ヨグマタ・相川圭子著)へと思いは向っていた。 ここで著者・相川圭子女史の説明を少し加える。 彼女は、 二十代後半から三十代の時期、 1970年頃から80年にかけて、 ヒマラヤへの入り口であるリシケシやハリドワール、 奥地のウッタラカシ、 更には東側にあるコルカタ、 ポントチェリー、 中部の聖地ヴァラナシ、 モンゲール、 南のチェンナイ、 マドライ、 マイソール、 西側のムンバイ、 プーナ、 最南端ケープコモリン他、 インド中にあるヨガ道場でヨガや瞑想の学びの旅をしていた。 1975年頃、 インドでの修行のあとの三十代の頃には、 それらと並行してアメリカや西洋諸国での学びも進めていた。 そうして1985年の春、 ヒマラヤの奥地の聖地バドリナードやガンゴトリーに足を進め、 そこに留まってサマディ修行を本格的に始めた。 ж「サマ(sama)は「同じ」、アディ(adhi)は「もっとも高い」を意味し、 サマディに至ることは、アシュタンガの八支則すべての頂点であり、 至福の状態を表し、宇宙との一体化を意味する。 アシュタンガ・ヨガを続けるうちにこれを感じる一瞬が積み重なり、次第にその時間が長くなると言われている。」 その後も、 ヒマラヤ修行の旅は続き、 三十代後半から二十年間、 インドの奥地ヒマラヤからラダック、 続いてネパール、 インドのヒマラヤを越えてチベットへ、 神秘の湖マナスロワール湖を訪れ、 湖の近くにあるパドマサンヴァの寺院や更に霊峰カイラスへと、 修行の旅は秘境地域へ広範囲に広がっていった。 そして意識の究極段階「真のサマディ」に到達。 インド政府、 および聖者協会より、 世界で二名のみである「サマディマスター」のタイトル、 「ヨグマタ」(=ヨガの母)「現代瞑想の母」の尊称、 「シュリーマ・マハ・マンドレシュワリ」(=偉大なる宇宙のマスターの称号を戴くこととなる。
以上が、 相川圭子女史の略歴であり、 氏も「悟りへの道」の一端を学ぶこととなる。
― - - つづく